まだ何も──

「それなりの規模で討伐隊を組んだのに、それでも倒せなかったあのピアサ相手に! たった一人で!!」


 俺の怒号が響き渡った。


 ミルフィーユさんは呆気に取られて固まってしまっている。


 まあ目の前の人間からいきなり大声で叫ばれたらそうなるよな。


 でもな、エルフのママさんよ。


 このに及んでまだ目パチパチしてポカンとしてるなんて、アンタどんだけコトの重大さがわかってないんだよ!?


「いいですか!? 今回のクエスト、どっからどう見たってハサミがお父さんの仇を討つためのとむらい合戦じゃないですか!! それをあなたは了承したどころか、俺がここに来るまで撮影までするつもりでいたってことですよね!?」

「ど、どうしちゃったの刀我くん!? 落ち着いて! お願いだから、ね?」

「落ち着いてなんかいられますか!! 相手はあのピアサですよ!? お父さんでさえ倒せなかった!」

「待って刀我くん! 違うわ、今回ハサミちゃんが討伐しようとしてるのは、クロムさんの時に討ち漏らしていたと思われる卵が孵化ふかして、それが成長して暴れまわってるものなの。それに──」

「そうですか、相討ちでしたか。それは俺の早とちりでした。謝ります、すみません。けど、問題はそこじゃない! 俺が言いたいのは、どの道ピアサという種族をハサミにぶつけることを、何であなたは良しとしてしまっているのかってことだ!! 考えていないんですか!? ピアサっていう強力なモンスターと戦うってことは、ハサミもお父さんと同じように──ッ!!」


 別にハサミを見くびっているわけではない。


 かと言って、買い被りもしない。


 ピアサにビビってた俺が、どさくさに紛れて今回のクエストをなかったことにしようとしてる、なんて訳ではもちろんない。


 俺はただ、楽観視が過ぎるんじゃないかっていきどおってるんだ。


 ハサミの父親の具体的な実力はわからない。


 けれど、少なくとも弓術の師でもあるくらい腕が立つその人が討伐隊を組んでまで戦って、ようやく刺し違えることができるようなモンスターを、弟子であるハサミが一人で戦って無事でいられるとでも!?


 ミルフィーユさんはどこか天然みたいなとこがあるなとは思っていた。


 でもまさか、こんな致命的な抜け方をしてるだなんては夢にも思わなかったぜ。


「お、落ち着いて刀我くん。とにかくいったん冷静になって、ね?」


 彼女は自らも席を立って、わざわざ俺の元にまで来てなだめてきた。


 さすがにそこまでされては、俺も一旦は落ち着かずにはいられない。


 俺たちはまた腰を下ろして向かい合った。


「そ、そうね。確かにピアサはすごい強いモンスターよね。でも大丈夫、心配しないで。ハサミちゃんの運動神経やフィジカルの強さは、運動音痴で体力もない私になんて似ずに、ちゃんとクロムさんに似てくれたから」


 それだと父親と同じ相討ち止まりだと言っているのに……ッ!


「それになにより、今回のクエストは刀我くんに撮ってもらうでしょ? だからなんにも心配していないの♪」

「は、はい!?」


 無邪気な笑顔に、いっそ毒気を抜かれてしまったようだった。


 母エルフは投げ槍になって言っていたり、冗談でからかっているようにも見えない。


 俺なんかを買い被っておだてても仕方ないはずなのに。


「えっとね。ハサミちゃんが小さい頃に家族以外との交友を持てなかったって言ったじゃない? こっちに来てからも、冒険者として成功しても、プライベートでは人目につかないようにひっそりと暮らしてた。だから縁談の話が来た時、もう日陰で暮らすような寂しい思いはさせないで済むと思ってその話を受けたの。けど、その縁談は冒険者を引退するという条件つきだった」

「み、ミルフィーユさん……?」

「もちろんハサミちゃんは嫌がったわ。まだ冒険者を止めたくないって」


 ミルフィーユさんはうつむき気味になり、やるせないように声のトーンを落として、


「でも結果として、私は縁談を押し進めた。母親失格ね。子供に生き方を強制してしまったわ。森を出たいって言った時に周囲の大人たちから猛反対されて悔しい思いをした私が、それと同じようなことをハサミちゃんにしてしまったのよ……」


 いや。


 でも。


 子供の時の立場と、子供を持つような親になった時の立場では、言動や考え方が違ってくるのは仕方のないことだとは、ガキの分際でもなんとなくは察しが付く。


 ましてや夫を冒険者まがいのようなことで亡くしているのなら尚更だ。


 娘に、危険な稼業から早く足を洗ってほしいと考えるのは当然のことなんじゃないか?


 この縁談に関して言えば、ミルフィーユさんのやっていることは、母親として絶対に間違ってはいないと俺は思った。


「でもねそんな時、諸々の問題を解決してくれる救世主が現れてくれた」


 一転、母エルフは顔を上げると、今度こそいたずらっぽいような、けれど限りなく無邪気な笑顔を俺に向けた。


「その人の名は、『仁後刀我にごとうが』くーん♪」

「は、はいィイ!?」


 思わず上擦うわずった声を出してしまった。


 母エルフはいたずらっぽい笑みを浮かべたまま席を立つと、豪華な調度品の一角に飾られていた、B5サイズほどの写真立てを手にしてまた戻ってきた。


 家族写真だった。


 幼い女の子の両脇に、両親が立ち並んでいる。


 恐らくはまだ領地の屋敷に貴族として住んでいた時のものだろう。


 それぞれきらびやかなドレスや豪奢ごうしゃな貴族服に身を包んでいた。


 まだ幼いハサミと、今と全然変わらないミルフィーユさんと、在りし日のクロム・サテライト・ラグランジュ氏だとすぐにわかった。


 そのクロム氏、かなりの長身の人物で体の線もしっかりしている。


 それでいて首から上は飛び切りの美男子だった。


 それこそ妻や娘と同じエルフと見まがってしまうほどに。


 娘と同じ色の瞳に、彼女たちと同じ色の髪。


 男性でも長髪にして後ろで結っているのは、そういう貴族の様式なんだろうか。


 精悍せいかんで誠実そうな美丈夫びじょうぶだった。


「この時は爵位もついですっかり落ち着いた感じになってたけど、私の住む里を助けてくれた時は流浪の身だけあって、風来坊みたいな感じだったの。でね、その時のクロムさんと今の刀我くんがね、なんだかすごい似てるなーって、今朝けさ会った時に第一印象で思ったの」

「お、俺がですか!? 俺こんなに背高くないし、イケメンでもないと思うんですけど……」

「そういうんじゃなくてね、うーん、何ていうのかしら。クロムさんは実は貴族っていう、私とは住む世界が違う人だったじゃない? そういう大衆とはちょっとズレたような浮いちゃったような感じがあったんだけど、刀我くんもそんな浮いちゃってるような、それこそまるでような感じがね、私にはするの」


 ギクリ、とはさせられた。


 けどさすがに彼女も額面通りに言っているわけではないのはわかる。


 なんせ昼食の時に、ミルフィーユさんにはハサミと同じようにヤ国から出稼ぎに来たという設定で通してあるんだ。


 きっとこの世界では珍しいパーカーとズボンのせいだろう。


「ごめんね、浮いちゃってるなんて失礼よね! 気を悪くしないでね。そういう変な意味で言ったわけじゃないのよ? でも、何ていうかクロムさんが里の窮地きゅうちに突然現れたのと、親子でちょっと揉めてる時に突然刀我くんが現れたのが、どっちもピンチを見かねた、問題解決に最適な人をんだなって、二人にはそんな共通点があるのかなって、私が勝手に思い込んでるってだけだから」


 もはや彼女はそういう勘に優れたタイプの人間なのかもしれないと、半ば諦めにも近い形で認めさせられざるを得なかった。


「でも、これだけは自信を持って真実だと言えるわ。私がクロムさんを初めて見た時、この人なら私を連れ出してくれる、私の夢を叶えてくれるって素直に思った。そして刀我くんを見た時も、刀我くんならハサミちゃんに冒険者を続けさせてあげながら、ハサミちゃんを一人にしないであげてくれるって素直に思ったの。だから次のクエストも絶対大丈夫! なーんにも心配してない♪ 私のもとにクロムさんが来てくれたように、ハサミちゃんのもとに刀我くんが来てくれたんだから☆」

「そ、そんな、俺は……ッ」


 ──まだ何もなし得ていない。


 ミルフィーユさんが思い描いているであろう俺の像と、俺自身で認識してるちっぽけな自分とのギャップで、彼女から思わず目をそらしてしまった。


 ただただ二の句が継げないでいるしかない俺へ、さらなる追い打ち。


「私たち親子のところへ来てくれて、本当にありがとうね。刀我くん」


 トドメのダメ押しを満面の笑みで言ってきた母エルフだった。


 するとそこで、


「あらっ、もうこんな時間!? 大変っ、お夕飯の支度しなくっちゃ! 刀我くんも食べていってね♪」

「えっ、いや、そんな悪いですよ晩御飯まで……」

「遠慮しないでいいのよ。それと晩御飯が出来るまで待たせちゃうのもなんだから、お風呂でも入ってきちゃって☆」

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