第26話 帰らぬ人

「ホント何なんですのあなたたち! 馬鹿なんですの!? 死ぬんですの!? もう最ッ低ッですわ!! 信じられませんわ!! こうなったら無理矢理にでも野良モンスターの一匹や二匹をぶちのめさないと気が済みませんわ! あなたたちはさっさとどっかへ行っておしまいなさい! もう二度と顔も見たくなくってよ!!」


 もともとツリっとしたツリ目をより一層吊り上げてハサミは怒鳴り散らした。


 体じゅうにへばりついたゴールドの唾液やら鼻水やらをぬぐいながら、大地を踏み鳴らして怒りをあらわにしつつ、ひとり森の奥へと消えていく。


「はあ……」


 深いため息をついた俺。


 その足は自然とハサミの言葉通りに反対方向へ向いた。


 ハサミをこのまま森へ置いていくような罪悪感もなくはなかったが、むしろ今うれうべきはこれからバーサーカーに目をつけられる羽目になる未来のあわれな野良モンスターのほうだろうな。


 とにかく今はハサミとは動画撮影以前に、普通のコミュニケーションすらままならない状態だ。


 一旦戻って作戦を(最悪撮影自体のキャンセルまで視野に入れて)考え直す必要がある。


 ちなみにゴールドはあの後、激昂げっこうしたハサミから至近距離で何本も矢を喰らい瀕死の状態。


 ライドモードを維持するための魔力すら失って、血(のようなものは一応出ていた)まみれのちびキャラモードでぐったりしてピクリとも動かなくなってしまっていたので、俺が摘んで定位置に入れてある。


 まあ大気中の魔素を取り込んでいれば自然と回復していくというのが精霊らしいので、ほっといても大丈夫だろう。


 そもそも完全に自業自得だし。


 とにかくゴールドがそんな状態なので、自宅に帰ろうにも足がない。


 そのため、ここはやはり一旦ハサミ邸に身を寄せさせてもらうしかなさそうなんだけど……。


「右も左も似たような木ばっかりだな」


 俺は只今、地図アプリでもただ緑一辺倒いっぺんとうで塗りつぶされてあるだけの迷いの森に、たった一人で絶賛孤立中。


 それは本来なら死を意味する。


 が、幸運にも命綱のあてはあった。


 スマホを取り出す。


「このラグランジュってのが名字な訳ね。てことはハサミは芸名かなんかを使ってるってことか」


 昼食の後にミルフィーユさんとも連絡先を交換していたんだ。


 ちなみにハサミのように芸名とか偽名っぽい名前で投稿する冒険者もいれば、本名で投稿する冒険者ももちろんいる。


 中には『謎の○○(使っている武器など)使い』なんてネタチックな層もいたりする。


 仮に俺が動画を投稿するとしたら、『謎の自撮り棒使い』、とか?


 うーん、ダサ。


 そんなことを考えていると繋がった。


『わぁーい♪ さっき番号交換したばかりなのにもう通話までしちゃった、娘と同じくらいの歳の男の子と! どうしましょう、うふふふふふふ☆』

「あ、あの。実は森でハサミ、さんとはぐれてしまって……。伝話でんわしても全然出てくれなくて。それで……」

『まあ大変! 慣れない人が森に一人だなんて危険なのに! あの子ったらきっと、慣れてる道だからって一人でどんどん先に進んでっちゃったのね。しかも伝話にも気づかないくらい夢中で。ごめんなさいね刀我くん、心細かったでしょう?』


 うわー、すげー罪悪感。


 でも嘘も方便でいかせてもらうしかないよな。


 こっちは生死がかかってるんだし。


 森の中には、どうやらハサミ親子にしかわからないような目印がいくつもあるようだった。


 伝話で道を教えてもらいながら、ラグランジュ邸のある場所まで無事にやってこれた。


『じゃあ今から開けるから、ちょっと待っててね』


 伝話が切れて程なくして、カモフラージュの一角にぽっかりと口が開くとミルフィーユさんが出迎えてくれた。


「大変だったでしょう刀我くん? 大丈夫? モンスターに襲われたりとかしてない?」

「お、俺なら全然大丈夫です」


 い、言えねー!


 ホントのことなんて絶対言えねー。


 ハサミのあんなところやこんなところにまでエロ馬の魔の手が及ぶ一歩寸前だったなんて、被害者当人の母親に対して人の心がある限り言える訳がねー!


「ハサミちゃん、人付き合いがあまりうまくない子かもしれないけど、どうか見放さないであげてね。親の私が言うのもなんだけど、本当はやさしくて思いやりがある子だから」


 ほら、とミルフィーユさんは神妙な面持ちになって、


「あの子、ハーフエルフでしょ? だから小さいころに色々あって、それで家族以外の人とほとんど関わらないで今に至っちゃってるの。だから身内以外の人にはちょっと無愛想なところがあって……」

「え、ハサミさんってハーフだったんですか? 耳とか普通に純エルフっぽかったんですけど」

「あら初耳だった? って、それもそうよね。エルフってたまにハーフでもがっつりエルフの見た目で産まれてくることがあってハサミちゃんもそのタイプだったから、言われないとわかんないわよね」


 がっつりモブで産まれてきちゃった俺は、いつもならひがみ根性で『こんな美人な奥さんと娘に恵まれたリア充パパさん爆発しろ!!』って思ってたかもしれない。


 でも今は事情が違う。


 ──今回のクエストは、わたくしがお父様に誓って成功させると決めた大事なクエストなんですのよ! 足を引っ張ったら承知しませんわよッ!!──


 ハサミがあそこまで執着する何かがある。


 そしてその何かを掴めれば、ハサミともっとうまくコミュニケーションを取れるきっかけになるかもしれない。


 クエストを、成功させられるかもしれない。


 だから俺は切り出していた。


「あの、もし差し支えなければ、ハサミさんのお父さんについて少し教えてもらえませんか」


 ミルフィーユさんは逡巡しゅんじゅんした後、


「そうね、せっかくだから私とあの人の馴れ初めから話しちゃおうかしら♪ 立ち話もなんだし、リビングでハーブティーでも飲みながら☆」




 ───。


 結論から言ってその何かとは、


「そこで、あの人は帰らぬ人となってしまったの」


 とんでもない地雷だった。


 ラグランジュ邸のリビングでテーブルを挟み、互いにソファーに腰を下ろして向かい合っている俺とミルフィーユさん。


 ハーブティーはすっかり冷めてしまっていた。


「そ、そんなッ!? 討伐隊を編成してまで出向いていったのに、帰らぬ人に……ッ!?」

「ええ。あの人は自分から前線に立ちたがる人だったから」


 ──帰らぬ人。


 世の中のため、そして何より家族のために尽くしたとある一人の男の英雄譚が、そんな終わり方していいのかよ!?


 物語はこうだった。


 ミルフィーユさんがまだ俺くらいの歳の頃、住んでいたエルフの森が密猟者の一団に襲われた。


 そんな窮地きゅうちを救ったのが、偶然通りかかった一人の旅の武芸者。


 その青年こそが、後のミルフィーユさんの夫となりハサミの父親となる人物──クロムという名の旅の弓使いだった。


 森を出て外の世界の料理を学びたいと思っていたミルフィーユさんは、クロム氏の旅に同行させてもらえることに。


 旅の道中、ミルフィーユさんはハサミを身篭みごもる。


 それがきっかけでクロム氏はミルフィーユさんに結婚を申し込み、二人は結ばれた──かに思われた。


 実はクロム氏は単なる流浪の旅人ではなく、ラグランジュ家という貴族社会に名を轟かせる名家の嫡男ちゃくなん──クロム・サテライト・ラグランジュなる人物だったんだ。


 民の暮らしを自分の目で見て回りたいと、半ば家出同然で旅をしていた訳だ。


 そしてミルフィーユさんは理解していた。


 血筋や家柄といったものを何よりも重んじる貴族社会。


 そこに身を置くラグランジュ家にとって、エルフである自身とその血を引くハサミの存在は、邪魔物以外の何物にもならないことを。


 ミルフィーユさんはお腹のハサミ共々、森へ帰ろうとした。


 クロム氏はそれを引き止め、更に周囲を懸命に説得。


 その甲斐あって、ミルフィーユさんはラグランジュ家に迎え入れられ、無事ハサミを出産できた。


 家に戻ったことでクロム氏は正式に跡を継ぎ、親子三人での暮らしが始まった。


 が、ここで貴族社会の闇が親子に牙を剥く。


 おそらくはラグランジュ家をうとましく思う勢力の手回しだろうとのこと。


 おおやけの場でのエルフ母娘おやこへの陰湿な嫌がらせが相次いだ。


 そんな訳でハサミは屋敷に引きこもりきりになり、父親に手ほどきを受けていた弓術に没頭して疎外感を紛らわせた。


 それが、ハサミという人間の人格形成に少なからず影を落としているという訳だった。


 ただ、そういったエルフの血筋に関するようなどうしようもないこと以外は、クロム氏は何不自由ない暮らしをエルフの母娘に与えた。


 どんなに公務が忙しくても出張などがない限り、一日のうちで必ず家族三人で屋敷にいる時間を作ってくれたのだという。


 そんなある日、隣接する地域の領主からとあるモンスターの討伐の依頼が入った。


 そいつこそがあの異形のドラゴン『ドラコ・ピアサラス』。


 クロム氏は自ら部隊を編成して討伐へ向かったのだが──


『そこで、あの人は帰らぬ人となってしまったの』


 という訳だった。


「じゃ、じゃあまさか、ミルフィーユさんたちがこんな辺境で暮らしてるのって、その時のことが原因で……」

「そうなの。その騒動を境にラグランジュ家は没落。領地を失ったり権力争いの憂き目にあったりした私たちは、この地まで逃げるようにしてやってきた、って訳なの」


 一通りそこまで語った母エルフの表情は、憂いの中にも何か満ち足りたものがあるように俺の目には写っていた。


 きっとクロム氏は自らの早すぎる死の悲しみを埋めて余りあるほどの幸せを、エルフの母娘にのこしてくれたに違いない。


 が、それとは別に、俺が他人のデリケートな部分の事情を掘り返してしまったことは、やはりあまり褒められたことじゃない。


「俺、そんなことがあっただなんて想像もしてなくて……。ご主人について教えてくれなんて軽々しく頼んでしまって、すみませんでした」

「そんな謝らないで。気にしないでいいのよ刀我くん。これは仕方のなかったことだから」


 ミルフィーユさんのお心遣いに痛み入っていた、のも束の間。


「あれ? でもそれって──」


 俺はあることに気付いた。


 だから叫んでいた。


 ソファーから立ち上がってしまうほど血相を変えて。


「待って下さい! ハサミはお父さんでも倒せなかった相手に挑もうとしているってことですよね!?」

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