第20話 コイビトニナッテイタダキマスワ……!?

 時間が止まったかと思った。


 衝撃のあまり、全身の細胞が機能停止におちいってしまったかのような忘我ぼうがの一瞬が、永遠のように感じる。


「あら、どうかしまして? もしかしてこのわたくし、ハサミ・ミラージュをご存知ありませんこと?」

「め、めめめめめ、滅相めっそうもございません! もう何回も動画を拝見させていただいております!」

「まあ残念」

「えっ」

「いえ、こっちの事情なのでお気になさらず。とにかく、このわたくしを知らない人間なんてやはりこの世に存在しないということですわね。それはそれで大いに結構なことでしてよ!」


 ハサミ嬢は気を良くしたのか、フードだけでなく全身を覆っていた外套をマントのようにバサッとひるがえしてその美しい肢体を惜しげもなく白日の下にさらすと、手の甲を口元までもっていき、


「オーホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ!!」


 あの高笑い。


 動画で見たまんまだ。


 むしろそれより数段優雅で迫力満点感無量だ。


 夢じゃないよな本物だよな!?


 腰まで届くようなサラサラのロングストレートの金髪を、左右ツインテールにアップしただけのシンプルな髪型だけで、止めどなく溢れ出る気品。


 まるで一級品の彫刻のように整った目鼻立ちと視認性が高まった立派なエルフ耳は、彼女が美形揃いのエルフの中でも特に美しいと称されているという事実を、その優雅さでもってただただ実証し尽くしながらそこにある。


 雪をもあざむく白い肌の全身に至っては、まさに高潔の象徴だった。


 マントのような外套の下は、身長に対して短めの胴に、緑を基調とした厚手の革製のレオタード一枚を纏ったのみ。


 それ以外に身に着けているといったら、革製の胸当てと、クロッチ部分を絶妙に隠すように腰元にたすき掛けした二本の太めの革ベルト。


 あとは同じく革製のロンググローブとサイハイブーツでしなやかに伸びる四肢を包んだだけ。


 そんなメリハリの利いたボディライン(公称89cmとなってるけど絶対それ以上あるよねとネット上でもっぱらの噂)がくっきりと浮き彫りになった装いにも関わらず、扇情せんじょうさよりも上品さが勝るのは、彼女が神々しいまでに高潔な美貌を持って生まれて来たことを物語っているに他ならない。


 矢をつがえるだけで、まるで黄金率に祝福され切った一枚の絵画を顕現させてしまうかのようなあの美の極致が、今この眼前に現実のものとして確かにあった。


 彼女から漂う柑橘かんきつ系の甘い香りが鼻孔をくすぐり、高笑いの息遣いがひしひしと感じるこの距離で。


 うん、夢じゃない本物だ!


「──っと、少しはしゃぎ過ぎてしまいましたわね。ごめんあそばせオホホホ……」


 おしとやかに口元を覆い直し、一つ軽く咳払いをしたハサミ嬢。


 蒼穹そうきゅうを閉じ込めたかのようなコバルトブルーの双眸そうぼうで俺を見つめ直してくる。


「さて、前置きが長くなってしまいましたが──」


 そして平然と言ってのけた。


「あなたには、わたくしの恋人になっていただきますわ」


 ……ん?


 コイビトニナッテイタダキマスワ……?


 何かの呪文かな。


 いやいや。


 こんなの言葉の意味だけなら、小学生だってわかるほど簡単。


 そう。


 だから。


 つまり。


「ええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!???」


 俺はこの日一番どころか、もしかすると異世界に来て一番の叫び声を上げていた。


 ゆずジュースをぶちまけた相手が実はあのチャンネル登録者数一〇〇万人のハサミ・ミラージュで、さらに告白までされちゃいました!?


 人生何が起こるかわかったもんじゃねえぜイエエエェェェエエエエイッッッ!!!!!!


「もしもーし、聞いておられます? 話はまだ終わってませんわよー?」


 あーダメダメ、ダメですー!


 IQがどんどん下がってますー!


 もうハサミちゃんとあんな事とかこんな事してる光景しか想像できなくなっちゃってますー!


「あのォッ!! さっきから大口開けたままワナワナしてないでですねえ! ちゃんと話を聞いて下さいまし!」

「す、すみません! そ、そそそ、そのっ、おおおお俺でよかったらよろこんでお付き合い──」

「あなた、何か勘違いされていませんこと?」

「えっ」


 釘を刺すようにビシッと人差し指を突き付けられて我に返る俺。


「いいですこと。恋人と言ってもあくまでフリですわよ!?」

「ふ、フリ?」

「ええ、フリですわ。と言いますのもわたくし、いま現在進行中の望まない縁談を断るため、うまい具合に恋人の振りをしてくれる男性を探していたんですの。ですがどうにも罪のない一般人の方に泥を被ってもらうのは気が引けたりして、探しあぐねていましたわ」

「あ、それで都合良く粗相そそうをした手前、気兼ねなく俺を身代わり役に……」


 で、ですよねー!


 何か裏があると考えるのが普通ですよねー!


 早とちりするなんて俺ってばおっちょこちょい。


「そんなところですわ。ですからあなたには縁談を断るための物的証拠として、これからわたくしの家に行ってお母様に会っていただきますわ。今回の火種たる縁談の話を勝手に受けてきた、わたくしのお母様にね」

「い、家に行ってお母様に!?」


 そこで気づく。


 それなんて美人局つつもたせ


「あのォ……、そんなこと言って家にホイホイ着いていったら、怖い男の人とか待ち伏せてたりしませんよね……」

「はい!? なんですのよそれ。うちに怖い男の人なんていませんわよ! とにかくあなたに拒否権なんてありませんわよ。ええと、あなた……ええと……」

「に、仁後にごとうといいます!」

「ふーん、ニゴトウガとやら、ですのね。それではトウガ。さっそくですがあなたはわたくしに対して敬語を使うのはおやめなさい。これは命令ですわ」

「……はい?」


 俺は当然ながら戸惑った。


「普通逆じゃないですか?」

「あなた、わたくしの言ったことを聞いていなかったんですの!? 敬語はお止めなさいって言ったんですのよ! それにわたくしのことは『おい』とか『お前』とか呼び捨てで呼んで、この上なく不遜ふそんな態度を取りなさい!」

「ちょ、ちょっと待ってください! いきなりそんな恐れ多いミッションを次から次へと突き付けないでくださいよ!」


 ハサミ嬢は額に軽く手を触れてやれやれポーズ。


「これは、荒療治あらりょうじが必要なようですわね……」

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