迷いの森の入り口で

 まるで立派な一頭の馬だった。


 本物のそれと明らかに違う特徴として、尻尾の先に揺らめく金色の炎が灯っている。


 意を決して触ってみたことがあるけど、全然熱くはなかった。


 他にも全身が本当に金の延べ棒みたいにきんきんってところや、くらなんかもセットで顕現しているあたり、やっぱり精霊なんだなあと思わせる。


 それがゴールドの精霊としての本来の姿だった。


 凛々しい顔立ちにあのアホ面の面影は一切ないし、鼻水だって垂れてない。


 おっさんみたいだった声は、ちゃんと雄々しいいななきとなって聞く者の耳朶じだを震わせる。


 四つのひづめで堂々と大地を駆けるこの姿を、俺はライドモードと呼んでいた。


 乗馬の経験など異世界に来るまで全くなかったけど、この一ヶ月間でネネちゃんに教えてもらいなんとか乗れるようにはなっていたし、実際にクエストの足として重宝させてもらっていた。


 ただ乗馬と言いっても、完全な馬というわけではなくあくまで精霊なので、ゴールドのほうからの何らかのアシストは働いているのだろうけど。


 けれども今ゴールドを走らせているのはクエストのためじゃない。


 昨日のゆずジュースの一件だ。


 俺のスマホを取り上げた彼女は、弁償の代わりにとある森に朝九時まで来るよう言ってきた。


 とにかく昨日はあの後、俺はこれ以上事態がこじれるのを避けるために引き下がった。


 で、言われた通りにしている訳だ。


 ちなみに他言厳禁とも言われたからネネちゃんにも言ってない。


 そうこうしている内に八時五〇分。


「着いたぞ、迷いの森。その入口……」


 ブレイクの街の北西部にそびえる山岳地帯の裾野すそのに広がる、広大な樹海。


 その一角に、そこだけ道が開けて奥へと続いている場所があった。


 それが入口だ。


 通称『迷いの森』と呼ばれるだけあって、道に迷いやすいし迷ったら最後、出てこれなくなると言われている。


 人なんて滅多に立ち寄らない。


 そんな場所に、まさかこんな形でやって来ることになるとはな。


 俺はゴールドから降りると、ちびキャラモードに戻ったゴールドをつまみ上げて定位置である自身のパーカーのフードの中に入れた、まさにその時。


「精霊……ですって?」


 入り口の脇の木の陰から、緑の外套がいとうまとった昨日の彼女が姿を現した。


 どうやら既に身を潜めて待ち構えていたようだ。


 一気に緊張が走る。


 他言は厳禁と言われていたし一人で来るようにとも言われていたが、ゴールドと一緒にいるのをガッツリと見られてしまっていたのだ。


 彼女の背負っている弓に、否応なしに威圧感を覚えてしまう。


「足がこれしかなくて……でも安心してください! こいつは俺の言うことは絶対聞きますし、そもそもこいつは俺としかコミュニケーションを取りません。だからこいつからは今日のことが漏れることはありません!」


 正確には俺の言う事など聞いたり聞かなかったりで、俺以外にもネネちゃんともコミュニケーションを取るが、ここは嘘も方便というやつだった。


「そういうことでしたら結構ですわ。そもそも、精霊使いとして精霊さんと契約を結んでいる時点で、その主従関係には絶対的な信頼性が生まれているのは当然のこと。何人なんぴとも割って入ることの出来ないような強固な、ね。故に主であるあなたがそうおっしゃるのなら、その精霊さんからは絶対に秘密が漏れないというのも確信できますわ。いつものようにはべらせていただいて結構でしてよ」


 そうなのか、と別の緊張が生まれる。


 如何いかにして彼女の中にあるご立派な精霊像の範疇はんちゅうからこの駄馬だばをを外さないように取りつくろったらいいのか、という別な緊張が。


 ライドモードでこそそれなりに見えるが、ちびキャラモードでは威厳いげんも何もあったものじゃない。


 そもそもゴールドとの関係性は彼女が思っているほどの大層なものじゃない。


 ガチャで引いたらたまたま出てきたってだけで、特別何か契約みたいなものを結んだ覚えなんてないんだ。


 むしろどうやって結ぶのか知りたいくらいだった。


 俺は彼女にバレないように、首のあたりを掻くふりをしてパーカーの袖を使い、フードから顔を出しているゴールドの鼻水をそっとぬぐった。


 またすぐ垂れてきたので、ゴールドそのものをフードの中にしまうことにした。


 抵抗されたが、力ずくで押し込んだ。


「あら、どうかしまして?」

「い、いえなんでも。それよりも、本題のほうに──」

「と、そうでしたわね。それではさっそく、本題のほうに入らせていただきますわ」


 ゆずジュースをぶちまけて外套を汚してしまったことへのつぐない。


 その内容を明かすべく、彼女はゆっくりと近づいてくる。


 俺は心なしか全身に力が入った。


 万が一の場合に備えて、スマートフォンは持ってきてある。


 最悪の場合、荒事あらごとになったらそれを使うつもりでいたが、出来ればそんなことにはならないでほしいというのが本音だった。


 彼女は俺の至近距離まで近づくと、一旦立ち止まって辺りを見回した。


 まるで自分たち以外にこの場には誰もいないことを最終確認でもするかのように。


 そしてその気が済んだのか、彼女は改めて俺に向き直り、フードを今にも脱ごうかというようにその縁に手をかけると、


「さて、今回の一件についてですが──」


 ふと。


 唐突に、猛烈に。


 一気に縮まった距離増えた情報量によって、彼女に対して得体のしれない既視感が湧き上がった。


 俺は今この瞬間や昨日以前に、彼女に会っている……!?


 いや──


 フードの下から覗くそれだけで、顔全体の整い具合が用意に想像できる小さな口元。


 気品に満ちた丁寧な言葉遣いと、それに相応しい華やかさに満ちた美声。


 外套越しでもはっきりと感じ取れるほどの一貫した優雅な立ち居振る舞いと、その身のこなしから否応なく溢れ出る自信に満ちたオーラ。


 俺は彼女それらを見て、聞いて、知っている。


 


「まさか──」


 ありえない、と思う一方で、目の前の彼女がその人物でなければ説明がつかない状況証拠の数々に、チャンネル登録者数一〇〇万人の超人気美少女エルフ冒険者の名前は、俺の喉元まで出かかった。


 だがそれよりも早く、彼女はフードを取り、ツインテールにアップした美しい金髪をたなびかせて得意げに言い放った。


「あなたには、わたくしからの頼み事を聞いてもらうという形で償いをしていただきますわ。このわたくし、ハサミ・ミラージュからの直々の頼み事を、ね?」

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