第8話 激突

 無機質な金属音が鳴り響いた。


 人と人が干戈かんかを交えるという未知の領域に、始めて足を踏み入れたことを意味している。


 同時に、俺の剣の一振りと回復術士の杖の一振りが、完全に分けたことの証明でもあった。


「なん──ッ!?」


 そう。


 見えざる鎧『機神視点デウスフォーカス』によって固められた一振りが、回復術士のただの杖の一振りと分けたんだ。


 物理法則を歪め、ゴブリンをたやすくほふり、おそらくはヤツに対しても同様の効果を発揮すると思われた一撃が、だ。


 人間相手だからって無意識のうちに手加減してしまったのか。


 いや、致命傷にさえならなければ、コイツは自分である程度治せるはずだし、やらなかったらこっちがやられるんだ。


 この際、仮に俺はいいとしてもネネちゃんがヤバい。


 人道の概念が遠く及ばない生き地獄に叩き落されてしまう。


 だから腹をくくって振るったはずだ。


 にも関わらず、両者の得物がほとんど同じ位置、角度、速度でもってして反動の軌道を描いているさまは、『機神視点デウスフォーカス』は実はドッキリでしたなんて悪魔の嘲笑ちょうしょうが聞こえてきさえしそうな無情さだ。


 かたや頭が真っ白。


 かたや眉一つ動かさない冷静さ。


 回復術士は、ただの立ち会いの切り結びが五分五分で終わるという、勝負におけるよくある一幕に遭遇しただけというようなていで、次の一打に向けた予備動作に入る。


 未だに次のモーションに移れずに愕然がくぜんとしてしまっている俺の鼻先に、緑の宝玉が不気味に淀む軌跡を引いて迫り来る。


 そこから先は一気だった。


「あがッ!! グハッ……ゴフッ……!!」


 打擲ちょうちゃくによる応酬。


 弱者を一方的になぶ蹂躙じゅうりんだ。


 瞬く間に取りかえしようもない段階まで形勢は傾き、もう何度目かもわからない一打で俺はついに剣を取りこぼした。


 それでも降り注ぐ打撃の雨は止まず、スマホだけは離さないようにして抱え込んで小さくなっていくしかない。


 『機神視点デウスフォーカス』は、果たして効いているのだろうか。


 キャンセルされているはずの痛みがじわじわと滲み出してくるようにも思えるし、とっくの昔に痛覚が受容過多でマヒしてしまったようにも思える。


 頭、肩、脇腹、背中、脚。


 体のありとあらゆる箇所を打ちえられてフラフラになった俺は、とうとう地面に倒れ込んでしまった。


 朦朧もうろうとする意識の中、俺は頭を踏んづけられた。


「まったく、口ほどにもない。さっきまでの威勢いせいはどうした!」


 すると回復術士は、何か違和感でも覚えたかのように、


「ん? おまえ、何を抱え込んでいる?」


 


 一気に焦燥感が駆け巡るのがわかる。


「そういえば、剣で戦っている時もなぜかスマホで自撮りしていたな。何だ、何を企んでいる? 見せろ、いやよこせ! 握りしめているスマホをよこすんだ!」


 うずくまる俺に掴みかかるようにし、男は無理やりスマホを奪い取りにかかった。


「や……、やめ、ろッ……!」


 俺は最後の力を振り絞って抵抗する。


 スマホを取り上げられたら、その時こそ終わる。


 何もかもご破産だ。


 が、必死の抵抗虚しく、


「コイツっ、おとなしくよこせ! ……ッおらぁあ! ったく手こずらせやがっ──」


 この手から引き剥がされてしまった。


 


「は?」


 一瞬の空白。


 回復術士は手のひらよりちょっと大きめの、をぶんどったその代償として、肩透かしによる一瞬の空白期間を支払わされることとなった。


 そしてその隙きにつけ込まない俺じゃない。


 と言うよりも、これこそが俺の仕組んだ策略だった。


「オラァッ!」


 ゴンッ!! と。


 俺はかち上げるような軌道で男の顎に頭突きを喰らわせた。


 


 頭突きの痛みはさほどない。


 むしろ、


 一方で男は仰向けに延びて倒れた。


 白い歯が何本か抜けて地面に転がっている。


 クリーンヒットだ。


 頭突きの勢いそのままに立ち上がった俺は、お返しならいくらしてもしたりないとわんばかりに、転がった男の白い歯を明後日の方向へと蹴っぽりながら、


「なんとかうまくいったようで、よかったぜ……」



 初手の一撃が引き分けた時点で、正攻法はあきらめた。


 スマホの角度はしっかり自らの身体を向いていたはず──つまり、『機神視点デウスフォーカス』はかかっていたはずだったが、理由をあれこれ考えるよりも、とにかく『機神視点デウスフォーカス』が通用しないという事実を受け入れることにした。


 詰まるところ、剣撃で戦っても勝ち目はないと早々に見切りをつけたんだ。


 代わりに選んだのが、ブラフという選択肢。


 防戦一方に回るをし、途中からスマートフォンを板切れに持ち替えて──つまり生身になって、本当に防戦一方となって攻撃に耐え続けた。


 全ては後生大事に抱え込んだダミーを奪わせ、油断させたところで本命のスマホを起動し直して一網打尽にするために。



 男の手からこぼれ落ちている板っ切れを改めてしげしげとながめてみる。


 回復に使えそうなものを探して物色したゴブリンうちの一匹が持っていたものだ。


 まるでスマホごっこでもするためのように、明らかに似せて作られていて不気味なようでもあったけど、何かの役に立つかも知れないと思って回収していたのがこうして吉と出た訳だ。


 そういえば回復術士も、普通にスマホの存在について疑念を抱いていなかったように見えたけど、もしかしてこの異世界はスマホのようなものがあるのか!?


 まあ、やつが徹頭徹尾てっとうてつびそんな感じだったからこそ、俺もこの作戦というけに出る決心がついたし、実際に作戦が成立した訳でもあったんだけど。


 とにかく、後回しでも構わないことを考えていたのに気づき、俺はすぐに男のかたわらに転がっている杖に手を伸ばした。


 ネネちゃんを助けるのが第一だ。


 すると手が届く前に、男のローブの裾から妙な物が顔を出しているのに気付く。


 正真正銘のスマホのように思えた。


 抜き取ってみれば質量感が本物を証明する。


 だが、女の子がつけるようなスマホカバーが付けられていて、男の持ち物とも思えない。


 これは一体……?


 とりあえずそのスマホを一旦自分のポケットにしまった俺は、今度こそ杖を拾い上げると、


「動くな、動くなよ!」


 牽制けんせいするように体の前にかざしながら、ゴブリンたちやオークの元へとにじり寄った。


 すると案の定、緑色の魔物たちは動くに動けないと言った感じでその場に留まるしかできないでいた。


 杖を持ったことにより、主人として見ればいいのか敵として見ればいいのかわからない、といった感じで戸惑わせることができたみたいだ。


「よしオーク、その子を地面に下ろすんだ。そっとだぞ」


 俺がオークの元まで辿り着いてピンポイントで杖を突き付け命令すると、オークは何かに落ちないといった様子ながらも言われた通りにした。


 ネネちゃんの腰の剣は取り上げられたのか、鞘ごと無くなっていた。


 ちょうどナイフのようなものを持っていたゴブリンがいたので、命令して縄を切らせる。


「ネネちゃん、大丈夫!?」


 杖とスマホを手放さないようにしながら、軽く揺すってみる。


 するとネネちゃんは目を覚ました。


「う、んん……、あれ……、トウガ……くん……?」

「よかった! 体のほうは大丈夫? まだ頭とか痛んだりしない!?」

「うん、大丈夫……って、なんでわたし大丈夫なの!? それにすごい落ちてたはずなのに! っていうか、トウガくんこそ大丈夫!? すごいボロボロだよ!」


 ネネちゃんは慌てて立ち上がったところで、自身が血塗れなのに気付いて「なにこれ!?」とさらに動揺した。


 オークの中に埋まったことは年頃の女の子には酷すぎるから伏せるとして、俺は後ろで伸びてる回復術士を自撮りを外さないようにして親指でクイッと指した。


「アイツが回復術でネネちゃんを治したんだ」

「あの人が……って大変! 倒れて──って、ゴブリン!? オークも!? え? えぇっ!?」

「こいつらも、アイツが元凶なんだ」


 話せば長くなるけど、と俺は杖を掲げて見せようとした、その時だった。


「ぐ……が……、クソッ……、お、おまえら……、杖を取り返すんだ……ッ!」


 回復術士が朦朧としながらも半身を起き上がらせつつ、絞り出すように声を上げていた。


 直ぐ側で緑の殺意が一気に膨れ上がる。


 本来の主人の言葉は絶対らしい。


「クソッ! あいつ、もう起きやがった!」


 動揺する俺の傍らで、ネネちゃんはすでに鞘から剣を抜き放とうとして、


「うそっ!? わたしの剣が!?」


 あるべきはずの装備がないことに愕然として固まってしまっていた。


 俺の剣はと言うと、回復術士とやりあった場所に落っことしてきたままだ。


 右手に杖、左手にスマホで持てませんでしたは甘えか?


 仕方ないので、


「もう杖なんて返してやるよッ!!」


 ただし、空中受領でな!


 そう言わんばかりに、俺は杖を勢いよくあさっての方向へぶん投げた。


 すると案の定、緑の濁流だくりゅうたちは杖に釣られるようにして一斉に、しかも一匹残らず向きを変えたんだ。


 とにかくゴブリンやオークの頭があまりよくなくて助かったぜ。


「今のうちに逃げよう、ネネちゃん!」


 彼女は状況を呑み込み切れていないながらも、俺に従って一緒に逃走を開始してくれた。

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