第7話 黒幕は白

 心臓が止まるかと思った。


 返事に詰まったのは、それが突然のことだったからというのもある。


 でもそれ以上に、言葉そのものが俺をとがめるようにも受け取れるし、声色が若干苛立いらだってもいたからだ。


 せっかくの自分とネネちゃん以外の初めての人間であるというのに歓迎できそうもない。


 俺は声のした暗闇のほうへと身構えると、「誰だ!?」と警戒しながら誰何すいかした。


「誰だとはずいぶんな言い草だねぇ。人のアジトに勝手に入り込んで好き放題暴れてる人間の言うセリフじゃないよ」


 やはり苛立ちが込められた物言いとともに、声の主は鷹揚おうような足取りで明るみのもとにその姿を現した。


 こんなゴブリンの巣窟そうくつにいること自体がいっそ不釣り合いなくらいな、いかにもといった風な好青年──というよりはいっそ突き抜けてナルシスト風のキザ男だった。


 明るい色の長髪に端正な顔立ち。


 スラリとした長身を白を基調としたローブに包んだ、どことなく神官っぽい容貌ようぼう


 だがその右手に握られている一メートルくらいの杖のようなものは、神聖さとはほど遠い。


 成金趣味の下品な金色の先端には、醜悪な悪魔の頭部を模したようなヘッド部分。


 その口が大きく開いた所に、淀んだように不気味な濁りを内包した緑色の宝玉が埋め込まれているといったデザインだった。


 一見アンバランスな組み合わせ。


 ツッコミどころは多々あるが、ひとまず言及すべきは──


「あ、アジトだって!?」

「とぼけるフリしてシラを切ろうとしてもムダだよ。地面に大穴開けてまで侵入しといて、さすがに無理があるだろう?」


 フリではなく、本当に俺がすぐには状況を把握しきれないでいると、さらなる理解不能な現象が起こった。


 男の後ろから新たなゴブリンが一〇匹ほど姿を現したんだ。


 しかも男をつけ狙っているかのようではなく、まるで彼に付き従っているかのように大人しく。


 それでいて人間に向けるべき敵愾心てきがいしんは、その威嚇いかく的な表情に込めてしっかりと俺に向けられていた。


 そんな動揺を察知したのか、男は得意げに言う。


「なんで人間の僕がゴブリンを従えてるのか? って顔してるね」


 するとその時。


 たまたま討ち漏らしてしまっていたのか、それとも気絶か死んだふりで難を逃れていたのか。


 とにかく一匹のゴブリンが仲間の死骸しがいの陰から飛び出して、男のほうへと襲いかかって行った。


「ん? まだ洗脳していない個体がいたみたいだね。僕のことも君と同じ敵だと認識してるようだ。ちょうどいいや、見せてあげるよ」


 彼はそう言うと迫り来るゴブリンに向かって杖を掲げた。


 水晶が不気味な緑の輝きを放つ。


 すると……なんだ!?


 ゴブリンはピタッと立ち止まってそのまま棒立ちになってしまった!?


 さらに男はそのゴブリンに言い聞かせるようにして言った。


「僕はキミのマスターだよ、敵じゃない」


 そして輝きの消えた杖を俺の方へ向け、


「キミの敵は、アイツだ」


 ゴブリンは杖の指す先を追うようにして身体ごと向きを変え、俺と目が会うと獰猛どうもうな笑みを浮かべ、他のゴブリンと同様に威嚇いかくの体勢になった。


「なっ!?」

「すごいだろ、これ。古代文明の遺産ってやつかな、このダンジョンの跡地で見つけたんだ」

「ダンジョン!? アジト!?」

「なんだい? まるで本当に僕が何をしているか知らないっていうのかい? おいおい冗談だろ、よしてくれよ。まさかたまたま通りかかって、思いつきで暴れたんだとしたら、それはそれでシャクにさわるんだけどなあ」


 なんだ、どういうことだ!?


 つまり、俺が倒したのも含めて、ここのゴブリンはこいつが操ってるってことか!?


「まあいいや。キミ本当に何も知らなさそうだから、せっかくだしもうひとついいことを教えてあげるよ。この杖はゴブリンの他に──」


 男がそこまで言うと、暗がりの方から重量感のある足音が響いて来た。


「オークも操ることができるんだ」


 その言葉の信憑性しんぴょうせいを確固たるものにするかのように、緑色の巨体が一つ、暗がりから姿を現した。


 ゴブリン達と同じで男に付き従うようにし、だけど小兵には到底マネのできない様な埒外らちがいの所作で。


 すなわち──


「ね、ネネちゃん!?」

「やっぱり、仲間だったか」


 地上のとはたぶん別のオーク。


 その巨大な両手に軽々と下支えされて、ネネちゃんが横たえられていたんだ。


 特に目立った外傷や衣服の乱れはなさそうだが、やたら血に塗れていて完全に意識もない感じだ。


 おまけに、手首と足首を縄で縛られているようだった。


 俺はたまらず声を上げた。


「そ、その子! さっき上のオークが振り下ろした棍棒に当たって頭に大怪我してるんだ! その上かなりの距離を落ちているはずだ……。だからッ──」

「あーはいはい大丈夫。その子の傷なら僕がちゃんと治しておいたよ。今はただ回復に伴って眠ってるだけだと思うよ。直に目を覚ますはずだ」

「な、治した? どうやって……」

「うーん、僕けっこうわかりやすい見た目してると思うんだけどなあ」


 男は得意げな表情で、空いているほうの手の平を上に向けて胸の前あたりで掲げてみせた。


 次の瞬間、手の平の上の虚空が白く淡く光り出し、ハンドボール大の球体が顕現けんげんした。


「ご覧の通り、回復術士だから」


 男が手を下げると同時に霧散していく光球。


 す、すげえ!


 けど、今は見とれてるような場合じゃあないよなどう考えても。


「ま、そんな僕がすごい音がして様子を見に行った先で、真っ二つになったオークの胴体に意識のない女の子が埋まってるなんて光景を目の当たりにしたら、助けてあげない訳がないじゃない。幸い落下による衝撃はオークの肉がほぼほぼ吸ってくれたらしく、頭の傷だけで死んではいない状態だったから、回復魔法の手に負える範疇はんちゅうだったってのも運が良かったね。蘇生魔法なんて、神話の中の空想の産物だもの。とにかく本当に良かったよ。この子を助けられて」


 この人、いい人!


 女の子を縄で縛るようなアブノーマルな趣向の持ち主で、友達の作り方も間違っちゃってるけど、根はいい人なんだ!


 一瞬でも、そんな風に思った俺が甘かった。


「だって、死なれちゃったら産んでもらえないからね。ゴブリンやオークの子供を」

「は?」


 冗談……だろ?


 でも、ゴブリンを操るっていう確かな物証を見せられた後だ。


 冗談だと思いたい一方で、血の気はどんどん引いていく。


 俺の脳内で警鐘けいしょうが鳴らされていた。


「な、なんで……。どうしてそんなこと……」

「うん? 君、ホントに面白いねえ。見た所いい歳いってると見えるのに、まさか赤ちゃんはフェニックスが運んでくるなんてまだ本気で信じちゃってるとか? あははっ、いくらなんでもそれはないか」

「ちが……そうじゃない……」

「だよねえ。さすがにそれはないよねえ。するとアレか。なんで人間がゴブリンやオークとできるのかっていうところかな。それはもうそういうもんだとしか。僕も魔物の生態学は専門外だから詳しくは知らないけど。て言うか、ゴブリンやオークはオスしか産まれない種族だから、人間や亜人のメスを母体に使って増えるしかないってのは、もうみんな知ってることだと思ってたんだけどなあ」

「いや……だから……」

「まあ君みたいな教養のない人もいるよね、ごめんごめん。僕の配慮が足りなかった。とは言え、この子はコイツらにヤラせる前に僕が何度か頂くけどね。だってよく見たらすごい美人でスタイルもいいじゃん。手足を切り落とすのはその後だ。僕にダルマの趣味はない」

「──ッじゃねーよドアホッ!! そもそもなんでゴブリンやオークを操ったり増やしたりして、こんなトコでコソコソ何かを企てようとしてんのかって聞いてんだよこの人でなしがッ!!」

「あぁん!? 口の利き方には気をつけろよこのド三下がァ」


 それまでへらへらとして人を食うような感じだった男が、静かではあるが初めてストレートに顔をしかめたと思う。


 俺も負けず劣らず憤怒に顔を歪ませてんだろうな。


 今まで口にしたことのないような罵詈雑言を実際に言っちまってるんだから。


「あのさぁ、僕だって出来ることならこんな可愛い子、ずっと側に置いておきたいに決まってるだろ。でも君がこうして減らしてくれちゃったおかげで、増やさなくちゃいけなくなってんだろうが。あっちで真っ二つになってるオークも、おそらく君かこの子の仕業だろう?」

「だから、なんでだよ……。なんで増やさなくちゃいけねえんだよ……。まさか、ゴブリンやオークの軍団でも作って世界征服なんてしようっていうのか……ッ!?」

「うん、そうだけど?」

「???」


 だめだ、話が見えてこない。


 どこまで本気なのか、俺にはもうついていけない。


「いいかい、僕は回復術士だって言ったよね? 回復術って、全然数字にならないんだ」

「す、数字?」

「あー、だよねー。君ら戦士系サマにしてみれば、僕たち回復系のことなんて知ったこっちゃないよね。頑張って回復してあげてるとこを上げても、誰も見向きもしてくれないような僕ら不遇職のことなんか、知らんがなって感じだよねもう」

「いや、だから何を言ってるのかさっぱり……」

「いいよいいよ、今更とぼけるフリなんかしなくても。僕はもう、この世の中には見切りをつけたんだ。そしてブッ壊してやるって決めたんだよ。そう、僕のような回復術士が日の目を見れないこんなクソみたいな世の中をね!」


 男はもう、周りなんて見えていないようだった。


「だってそうだろ? もうやってらんねーって感じでぶらついてたところで、偶然このダンジョンの跡地を見つけて、しかも踏破者が見落としてったのか、この杖が放ったらかされていたんだ。これはもう、ここをアジトにしてこれ使って緑の軍団作って、世界に復讐しろって神様に言われてるようなもんだよね」


 自分自身に酔いしれてしまっているようだった。


「だから早速実行させてもらうことにするんだ。まずは手始めにここの最寄り、ブレイクの街にゴブリンとオークをけしかけさせて潰す。同時にもっと強いモンスターを操れる杖の発掘も進めて、軍団を強化する。楽しみだなあ。きっとドラゴン種とかも操れる杖がここには眠ってるに違いないんだろうなあ」


 自分の想い描いた通りの未来が来ることを、信じて疑わないような顔をしていた。


「ま、そんなわけでこの子にはブレイクを攻め落とせる数になるまで産んでもらうし、君には……そうだな。せいぜいコイツらの餌にでもなってもらうとしようか。もちろん生きたままでね」

「そ、そーかよ……。お前の言ってることなんてよ、全然ついていけねえけどよ。俺やその子を巻き込むってんなら、黙っていいようにされるつもりはこれっぽっちもねえんだよッ!」


 精一杯虚勢を張る。


 ビビったら負けだ。


 呑まれるな。


 大丈夫、こっちには見えざる鎧がある。


「ふん、ほざいてろ。まあそれでこそボコりがいがあるってものでもあるかな。とにかく君は手駒の憎きかたきなんだ。僕が直々に打ちのめしてやる。簡単にやられてくれるなよ!」


 杖を掲げた狂人は、ローブをひるがえして俺へ向かって駆け出す。


 俺も剣を掲げて走り出した。

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