機神視点

 最後はほとんど滑落するような格好だった。


 おかげで地の底に直接叩きつけられてトマトみたいに潰れて死ぬ、なんて事態にはならずに済んではいる。


 ただし、こうして生きてるのが奇跡としか言いようがない距離を落ちてきただけあって、体中はボロボロだ。


 よほど曲がりくねったルートを落ちたらしくあちこち体をぶつけまくって、俺は満身創痍まんしんそういもいいとこだった。


 極め付けに、たぶんあばらが何本か折れている。


 痛みのあまりうずくまることすら出来ず、中途半端な姿勢で横たわる。


 息をする度に意識が飛びそうになる。


 心なしか寒気もしてきやがった。


 ちゃんと体が動いていた俺でこれだぜ。


 気絶同然のネネちゃん(多分落ちる途中ではぐれたんだろうけど)がどうなっているのか、どうなってしまっているか、考えたくもなかった。


「クソッ……大体、なんでいきなり地面が……ッ」


 ざっと見た限り、鍾乳洞しょうにゅうどうのような地底世界。


 日光なんて勿論届いていない。


 にも関わらず、俺がこうして全容を見渡せているのは、至る所に松明のようなものが設置されていたからだ。


 誰かがここを使用したり、出入りしている?


 なんか壁を掘ってる途中のような痕跡こんせきもあるし、採掘でもしてるのか?


 まさか今回の崩落はここの採掘が影響して──。


 そんなことを考えていた矢先だった。


 それまで地下特有のひんやりとした空気の流れの中に、突如としてヌメッとした生暖かい雰囲気が混ざったことに気がついた。


「──ッ!? な、なんだ……ッ!?」


 それが漂ってきたほうに目を向ける。


 ヒタヒタという足音と共に濁った眼光のような光が、俺が思っていた位置よりもだいぶ低いところから浮かび上がってきた。


 そして低くうめくような息づかいで空間のあかりの元へと現れたそれに、俺は心臓が跳ね上がると同時に、異世界の予備知識やゲーム、その他のファンタジー作品の記憶からその正体に即座に確証をもった。


 それは──


「ご、ゴブリン……!?」


 そう呼ばれるもので間違いなかった。


 人間の子供ほどの背丈の二足歩行の生き物だが、細部は人とは似ても似つかない。


 全身を覆う皮膚は緑色で体毛はなく、腰にボロ布を巻いただけで節くれ立った四肢やあばらの浮いた胴体がき出しになっている。


 頭部にも一切の体毛はなく、その頭蓋とうがいに不釣り合いなほど大きな目と鼻や鋭くとがった耳は、えも言われぬ不気味さをかもし出していた。


 最初に感じた嫌な予感は的中していた。


 オークがいたんだからコイツらだっていて当然だ。


 ざっと一〇匹ほどのゴブリンが目と鼻の先に迫っていた。


 横たわる俺をあざけるかのような不気味な足取りで。


 話が通じるような相手じゃないことは明白。


 人類に対する敵愾心てきがいしんを、人類を代表して現在形で肌で感じる。


 絶体絶命ってやつだ。


 立つこともままならない状態で、る気満々のゴブリンどもに詰め寄られてるだなんて。


 でも実はこの時、俺はあきらめなければ負けじゃない的なノリに少しられてた。


 だからあらがう意思を見せようと、頑張って上体だけは起こした。


 そして。


 見てしまった。


 俺の心を完全にへし折る鈍い輝きを。


「あ、あれは──ッ!?」


 剣だ。


 ケタケタ笑いのシュプレヒコールの中から二、三歩前に出てきた一匹は、剣を持っていたんだ。


「あ、あぁ……」


 最後に像を結ぶのが、こんなクソみたいな光景だなんて。


 振り上げられるび付いた輝きを愕然がくぜんとしながら見やった時。


 けれど。


 何故か唐突に。


 俺は身近なとある物を連想していた。


 それは鏡だった。


 鏡を覗き込むように、自分で自分のことを撮ったとしたら──


「──ッ!!」


 気がつけば、肋の痛みなんてほっぽり出してズボンのポケットをまさぐっていた。


 白刃はくじんはすでに振り下ろされつつあるが、俺の元まで完全に届くのにはまだわずかながら時間はある。


 カメラアプリ、ビデオモード、フェイスカメラ──間に合えッ!


 直後、ガッキイイィィンッッッ‼︎ と、耳障りな金属音が耳朶じだを打った。


 が、それ以外の一切の外的変化は感じない。


 俺は恐る恐る目を開くと、前方に伸ばした両腕の先でスマホの中の自分自身と目が合い、さらにピントを一段進めた地点でそのスマホがゴブリンの白刃はくじんを受け止めている光景をの当たりにした。


「こ、これはッ!?」


 物理法則が歪んでいた。


 体の強張りは消え、呼吸の乱れはない。


 そんな風に余計な力を入れていないにもかかわらず、決して軽くはないはずの重量の剣が、ピタッとい付けられるようにスマートフォンにき止められていた。


 困惑しているような表情をしたゴブリン。


 その体ごと、受け止めていた剣を押しのける。


「うそ……だろ……?」


 ゴブリン側の体勢を崩させるだけのつもりだった。


 立ち上がるためのわずかなきを作るつもりだった。


 剣が一振りでは届かない程度の距離を稼ぐつもりだった。


 だというのに、どうしてゴブリンはんだ!?


 グチャッ、と鈍い音を立てて落下した場所は、仲間のゴブリンの群れを軽々超えた先。


 その後を追うように、ゴブリンの手から離れていた剣も無機質な音を立てて地面に落下した。


 その個体は二度と起き上がることはなかった。


 ゴブリンの群れに、明らかな動揺が広がっていた。


 物理法則が狂っていた。


「すっげえええ! なんだコレッ!?」


 たまらず腰を上げる。


 よろけることなく難なく立ち上がれた。


 歓声を上げれてる時点で当然だが、肋に痛みなど皆無。


 それどころか、他の痛みも立ち所に消えていた。


 制服に刻まれた無数の切創せっそうはそのままなのに、そこからのぞいていた傷口はことごとくふさがり、血の一滴もこぼれていない。


 加えて全身が軽く、それでいて指先にまで気力がみなぎっていた。


 これが見えざる鎧『機神視点デウスフォーカス』。


 虫の息からの起死回生。


 マイナスをゼロにするどころかプラスに。


 レンズを通せば、向かい風が追い風へと変わってしまう。


 ──あなたが何者かを動画で撮影する時、その者が見えざる力で守られます。


 なるほど、と俺は合点がいった。


 見えざる力が働く光景──つまり神のみぞ知る景色を見れる視点で、機神視点というわけだ。


 そしてその見えざる力の恩恵は、自分にも適用されるってことだったんだ。


 さらにもう一つ気づいたことがあった。


 画面の中の俺の輪郭(顔以外の全身も含めて)が、虹色に輝いているように見えたんだ。


 もちろんリアルでは、俺の体は一切発光なんてしていない。


 となると、画面内のこの虹色の縁取りは、おそらく俺だけに認識できる『機神視点デウスフォーカス』が掛かっているという合図かなんかだろう。


 とにかく、見えざる鎧は自分でも着れるし、ゴブリンを吹き飛ばしたことからも察するに、使い方次第では見えざる剣としても機能する。


「ゴブリンども、覚悟はできてんだろうなぁ!!」


 反撃の時間ってやつだ!

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