第3話 レック・ザ・ファンタジー
「危ない!」
地面が爆ぜる轟音──よりも一瞬早く、
そのまま地を転がる。
「むごっ……、ぐはぁっ!!」
いきなりの回避行動がようやく終わり、地べたから上半身だけを起こした俺は、目に飛び込んできた光景にこの身が
「ひ、ヒィッ……!!」
視線の先ほんの数メートルの位置で盛り上がる、人間離れが過ぎる巨大な緑色の背中。
そこから生える異様に発達した両腕の一方には、何やら人間大ほどもある棍棒のような物が握られている。
おそらくは岩なんかを削って作った物と思われるそれが、つい先程まで俺がいた場所に振り下ろされ、地面がひしゃげていたんだ。
この絵面を見て、すくみ上がらないほうがおかしい。
未知の生物による明確な殺意。
その矛先たる俺がこうして間一髪で難を逃れているのは、図書委員ちゃんが飛びついて化け物の体長の割に低い位置にある股を抜いてくれたからに他ならない。
けれどその
もはやそのままの意味で鬼の眼光に
そんな混乱の極致にいながらも、徐々に明らかになる化け物の全容に一つの心当たりを抱き始める。
あれはまさかオークか!?
全身緑色で体毛はなく、豚の妖怪のような醜悪な頭部に、脂肪と筋肉でパンパンに膨れ上がった図体。
全長三、四メートルはあろうかというその
その位置の全体に対する低さからも、かの化け物が持つ人間離れした骨格の
異世界の予備知識的に、これはオークと見て取って間違いないよな?
けどそんな異世界の物証の感慨も何も今はあったものではなく、俺は依然として恐怖で腰が抜けて立ち上がれないでいた。
「ヒッ、やめ……、こ、こっち来るなっ……んんッ!?」
その時、地を這う指先に生温かい液体の感触を覚える。
ビビった俺がチビらせた!?
そんなんだったらどれだけ良かったことか。
実際はこうだ。
「に……逃げ、て……」
「──ッ!?」
俺のすぐ隣で、地面に倒れ伏したままぐったりして動かないながらも辛うじて息はある図書委員ちゃん。
その頭の辺りから今も広がり続けている血溜まりに、俺の指が触れていたんだ。
「なっ……!?」
おそらくは俺に飛びかかって助ける時に、オークの棍棒の一振りが自身の頭に少なからずとも接触してしまっていたんだろう。
バケモンに気を取られて、図書委員ちゃんがこんなことになっているのに気づかなかっただなんて。
彼女が俺を化け物から助けてくれた上に、遠ざけるため尽力してくれた
けれどより正確に言い表すなら、『こんなに血が出るほどの致命傷を負っていながら』って付け加えなきゃだめだったんだ。
「俺なんかに構わなかったら今ごろ無傷でいられただろ……」
足手まとい極まりない自分自身を責めたかったが、それ以前にやるべきことがある。
すぐ隣に瀕死の図書委員ちゃん。
向こうには完全に振り返り終わり、こっちの方へ歩き出そうとしているオーク。
この絵面を見て、腰を抜かしたままでいられるほうがどうかしてるね。
「うおおおおおおおおおっ!」
俺は震える体に鞭打って立ち上がると、ぐったりした図書委員ちゃんの両脇に後ろから腕を通して抱え上げるようにして、足のほうを引きずる格好で逃げることにした。
こんなのは逃走とも言えないような速度かもしれないけど、今はこうするしかないんだ。
幸いにオークの野郎の動きものっそり歩く程度でそれほど速くない。
舐めプされてるって可能性もあるが。
とにかく今はこれで逃げる。
振り向いたオークから遠ざかる方向、つまりオークが俺たちに近づいてきた経路を逆行するような形だ。
あの巨体が進んだだけあって木立ちにはそれなりの道がついていたが、そこを
他のオークと鉢合わせたりするかも知れないけど、人を引きずっている状態で木立ちの中を進むのはほぼ不可能に近いからこの道を進むしかない。
「にしても、こんな道が出来るくらいだから結構な気配なんかがしてたはずなんだろうけど、なんで気づけなかったんだ……ッ!!」
やり場のない焦りを、悪態という形で俺自身にぶつけたつもりだった。
けれど、
「ごめ……なさ、い……。会話に、むちゅ……で……」
「──ッ!?」
引きずられている図書委員ちゃんだった。
首はすわらない上、今にも消え入りそうな弱々しさながらも、彼女は確かに口を開いていた。
「こ、ここは……? あ、なたは誰、ですか……? わ、たしは……マキナネネ……と言います……」
こんな時に悠長に自己紹介だなんてこの子、ネネちゃん?
意識が
場所とおそらく俺のこともリセットされている。
意識があるだけまだマシと言えなくもないが、依然ヤバいことには変わりないよな。
いずれにしたってこうやって引きずっている程度の振動でもNGなんだろうけど、今は安静よりも退避だ。
なんとか我慢してくれ!
「あの……、あな、た……」
「
俺も相当テンパってるな。
こういう時は『喋らなくていいから』だ。
息をするのさえもこんなに苦しそうにしてるんだから。
「トウガ……く……ん、こう……こう、いち……?」
「喋らなくていいって!」
「おね、がい……が、あります……」
「安全な場所になら、今なんとか向かうようにしてる! だから喋っちゃだめだ!」
「ちが……います……、おねが、い……」
「聞く耳なしかよ! じゃあせめて敬語はいいからもう!」
「わた……しを、とって……」
「は? ってうわッ──」
拍子抜けついでに、体の力も抜けてしまったのか。
俺は足をもつれさせてネネちゃんともども地面に倒れ込んでしまった。
両脇を木立ちに切り取られた、雲一つ無い青空を見上げながら考える。
いや──
「『
ガバッ! と上体を起こした俺は完全に思い出していた。
──エフェクトとは、見えざる力の総称です。
──あなたのは見えざる鎧『
──あなたが録画する映像の中で、一番近くにいる被写体が身につけることができます。
──あなたが誰かを撮影する時、その者が見えざる力で守られます。
気がつけば、ズボンのポケットをまさぐってスマホを取り出していた。
「……で逃げ……らい、なら、わた……最しょ……、ぼう、険しゃ……ろうだ、な……おも、って……よ」
言葉にも満たない
そんな痛ましい姿の彼女に対して手も貸さず、ただレンズを向けるだけという非道極まりない残酷な所業は、しかしこの場に限ってはそれにかけるしか無い最後の望みだ。
オークが近くまで迫ってくる。
焦って覚束ない手元が憎たらしい。
それでもなんとか動画モードまで辿り着き、あとは
目と鼻の先まで来たオークはいよいよ棍棒を振り上げた。
俺はとうとう
だがほぼ同時、反射的に片腕を防ぐようように掲げて、更に両目をつぶってしまう。
それでも、もう片方の手はスマホを握りしめてネネちゃんへ向けていた。
だから。
見えざる力よ、ネネちゃんを守ってくれ!
直後だった。
ヒュン、という乾いた風斬り音が、一瞬の静寂を切り裂いたのは。
重々しいかったるさとは無縁な、糸をピンと一つ張るような洗練された響き。
恐る恐るながらも、その音につられるようにして目を開けた先。
俺は、イメージした通りの銀の輝きを見ることになる。
「──ッ!!」
ネネちゃんが、片膝立ちの体勢で腰の鞘から片手で剣を抜き払っていた。
死の淵にいたはずのネネちゃんが、だ。
実物でも画面の中でも、その光景はただ真実として像を結んでいる。
ようやくあさっての方向から腹に響く振動と音が響いた。
岩を削って作ったような巨大な棍棒が、地面に投げ出されていた。
つい先程までそれを握っていた、丸太のような緑色の前腕と共に。
悲鳴のようなオークの
あるべきはずの腕から先は、血しぶきを散らす断面を残して消失していた。
きっと俺のスマホには、ネネちゃんの一閃がオークの腕を斬り飛ばす様子が克明に記録されているに違いないことだろう。
そして少し未来の話になるけど、これを含めた三発。
たった三発だ。
ネネちゃんが自分の何倍もある巨体を沈めるために要した手数だ。
その二発目。
オークが苦しまぎれに健在の方の腕を振り下ろそうとしたタイミングで、ネネちゃんは膝立ちから完全に腰を上げ、ためを作るような中腰の低い構えに移行。
直後、銀が一閃
一拍遅れて巨大な前腕部が宙を舞い、悲鳴と鮮血がその後を追った。
三発目。
完全に戦意を失った巨体が反転──しようとした時には既に、ネネちゃんは一足一刀の内側へ深々とした踏み込みを完了。
その震脚を軸にして、両手持ちにした剣を水平に旋回させる。
胴に深々と横一文字に刃を走らせ、そのままひと息に引き斬った。
残心が完全にこちら向きになる大回転だった。
くずおれた巨体は、噴水のような血しぶきを上げて真っ二つに割れていた。
「す、すげえ……」
都合三発。
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