第20話 嵐の前の静けさ(永正17年正月)
永正17年正月
細川高国方と細川澄元方が摂津で争う中、京の都では両者の争いに不安を懐きつつ、新年を迎えていた。
新年を迎え、私は数え年で5歳になる。着袴の儀が執り行われ、少年として扱われる様になるはずだが、行われるのかどうか不安である。
1日、今年は禁裏では節会並びに小朝拝は行われず、四方拝が行われただけだそうだ。
飯川弥九郎など年賀の客も訪れている。
2日、進藤長英が年賀に訪れ、両種一種を進上したそうだ。今年も大工衆が年賀に訪れており、祖父は庭で対面したらしい。
竹屋光継が、昨冬に行われた
4日、朝食に
そして、今日は例年通りに御湯始が行われている。昨年の12月は風呂が多かったが、間が短く御湯始が行われて嬉しく思う。
5日、
6日、
弾正少弼は、
7日、
8日、法礼の諸人が年賀にやって来た。要は僧や尼たちであるが、多くは近衞家一門である。
また、智恵光院三種一荷、大祥院二種一桶、玉蓮寺二色一桶も年賀に訪れたので、三献の儀を行ったらしい。
海蔵院は杉原紙十帖と扇を持参して、対面したとのこと。
他にも、
夜になると
9日、
加治左京亮も訪ねて来ており、祖父は生母の親族が訪れたことに喜んでいる様子だ。
祖父は、仁木女中に両種一荷、継孝院に三色一荷、勧修寺尚顯に両種一荷を遣わしたらしい。
10日、祖父は禁裏へ参賀のために参内した。本来なら、
11日、近衞家では比叡山山法師の阿闍梨鏡乘坊によって護摩を始めている。阿闍梨鏡乘坊は、昨日近衞家に来たのだが、
12日、祖父は禁裏に両種二荷を進上している。そして、禁裏からは菱喰鴨を賜ることとなった。
本満寺上人が両種一荷を持って年賀に訪れたため、三献の儀が行われている。
大原野社務、
13日、
14日、多一検校が来て、平曲を語っていった。
15日、
16日、三福寺長老が祖父を訪ねてきた。、
17日、護摩は毎日毎夜行われ、御加持があるそうで、祖父は殆ど出座しているそうだ。
18日、護摩が結願したそうで、祖父は鏡乘坊を召出すと扇を与えたとのことである。
20日、飛鳥井前大納言が佳例の銚子事があると祖父を訪ねて来たそうだ。
22日、
24日、祖父は斎藤以康を摂津に下し、
同じ様に細川高基にも贈り物を遣わしたらしい。すると、北政所に対して、細川高基の息子から返礼があったそうだ。
26日、斎藤以康が摂津より帰洛し、右京兆たちの返事を持って帰って来た。
公家衆が祖父を訪ねて来たそうだ。
28日、今日は風呂のある日である。
祖父が風呂に入っている間、大宮時元が訪ねて来たそうで、風呂を退出したそうだ。
他にも
29日、
1月は、大樹が病に罹ったため参賀が無かったぐらいしか変わったことは無く、比較的平穏だった様に思える。
しかし、近衞家を訪れる客は例年より少ない様だ。細川高国一族や被官たちの参賀が無いのは当然として、公家衆の訪問も少ない。
そのため、静かな正月だったと言えるだろう。
この静けさは、嵐の前の静けさなのか……。私の中では不安ばかり募るのであった。
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