第18話 細川高国の出陣(永正16年11月)
永正16年11月
月の初め、近衞家には高僧や公家衆が
2日には、祖父は叔父の慈照寺に記録を預けている。
3日、
竹田法眼が、近衞家を訪れ、
4日、北小路隆乘が訪ねて来た。同じく、香西与三郎が訪ねて来て、今度の南都合戦について祖父と話をした様だ。
5日、
祖父は、
6日、細川澄元・
9日、
10日、右馬頭や長塩元親などが出陣した。
「右馬頭殿や右京兆殿は勝てるでしょうか?」
「きっと、勝てることでしょう」
私は、
細川高国一族の勝敗は、近衞家に多大な影響を与える。近衞家や公家社会にとっては、細川高国一族が京兆家として在洛してくれていたほうが都合が良いのだから。
その後、近衞家一門が頻繁に訪れる様になり、14日には正受寺、継孝院などの叔母たちや大叔母の大祥院が訪れている。
15日、
16日、今日は風呂のある日である。いつも通り、曾祖母が入りに来た。
晩になると
17日、
19日、御霊社御湯立神事があり、曾祖父の徳大寺実淳たちもやって来ている。
20日、
しかし、
21日、
22日、
前日に、細川澄元と戦うために出陣したのに、足利義稙の方違のために翌日に帰らなければならないなんて、細川高国が可哀想だと思ってしまった。また、澄元方と戦うために出陣している右馬頭と左衛門佐まで呼び戻されるなんて。
足利義稙は細川高国の戦を邪魔したいのだろうか?
23日、今日、再び京兆たちは出陣している。細川高国たちが不憫に思えてならない。
25日、
26日、夜に宗碩が祖父を訪ねて来た。明日、京兆の陣所へ赴くらしい。
30日となり、この日は一日中、雪が降っていた。
細川澄元が阿波勢を率いて畿内へと攻め込んでおり、細川高国一族はその対応に追われている。
細川尹賢が出陣し、細川高国も続いて出陣したものの、足利義稙の方違のために帰洛させられ、不憫に思ってしまう。
近衞家では、
細川高国の出陣に際し、いつも通り荷物を預かるなど、右京兆と近衞家の関係は緊密であった。
細川高国が敗れることが分かっていても、近衞家のことを考えれば、勝って欲しいのが
本音である。しかし、細川高国は一時的とは言え敗れるのだ。
私は降り積もっていく雪を眺めながら、京の都の平穏を願わずにはいられなかったのであった。
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