第17話 近衞尚通の准后宣下と細川高国の敗北(永正16年10月)

永正16年10月


 1日、細川六郎細川稙国より、藤岡与三を通じてすずき一を贈られる。

 4日、叔父の聖護院道増が近衞家を訪れ、祖父近衞尚通に中大路の筆一本を進上したそうだ。


 5日、祖父は三福寺格翁に、宸筆短冊の裏書を書くことを望まれたそうだ。宸筆の裏書ともなると、攝家の当主に頼むものなのだろうか?


 7日、祖父は、准后宣下の儀について、広橋亞相広橋守光に申し入れたそうだ。祖父が准后になるのも、もうすぐだろう。


 8日、近衞家では和漢聯句会が催される。

 9日、前日の和漢聯句会に引き続き、月次会が催された。参加者は公家衆、僧、連歌師などだ。頭役は不断光院が行ったらしい。


 10日、後柏原天皇の即位式の日時が決定したそうだ。

 そして、祖父は准后宣下を賜った。上卿帥卿三條西公條に対して、その礼に北小路俊永に命じて両種二荷を贈っている。

 夜になると左大臣の三條実香が奏慶に訪れた。左府に扈従したのは帥中納言三條西公條息中納言三條公頼三条宰相中将正親町三條公兄持明院中将持明院基規滋井中将滋井季国である。

 他にも勘解由小路在富など公家衆が奏慶に訪れていた。加えて、地下の者たちも奏慶に訪れていたそうだ。

 准后宣下は、近年では行われていなかったので、祖父が再び賜ったことで、公家社会では大いに喜ばれているのだろう。

 11日、五辻諸仲、大宮時元、押小路師象などの使者が准后宣下の勅書を持参する。そのため、朝から準備のために、屋敷の中は騒がしかった。

 三献の儀などが執り行われ、祖父は使者たち太刀を遣わしている。そして、進上の御太刀を渡し、勅書と宣旨を賜ったのであった。

 

 

 12日、帥中納言三條西公條、理覺院、少弼資直富小路資直などが訪れ、祖父は対面して、准三宮宣下を賀せられている。

 祖父の異母弟である浄土寺も訪ねて来て、祝の言葉を述べられた様だ。

 また、右馬頭細川尹賢などが訪れ、祖父から古今講釈を受けていた。

 そして、家領の播磨坂越庄から、少ないながらも年貢が到来する。近年、押領されて年貢が未進のままだったが、喜ばしいと騒がれていた。

 祖父の准后宣下とともに未進だった年貢も少量ながら届いたことは、家運が上昇した様に感じられる。


 13日、同族の鷹司兼輔と曾祖父の徳大寺実淳から、祖父の准三宮宣下の祝いとして、太刀が贈られた。

 夜になると、關白の二条尹房が奏慶に訪れた。二条關白が訪れる前に、祖父は北小路俊泰を遣わしたそうだ。祖父の装束を貸し出したらしい。二条尹房は祖父の奏慶に訪れるつもりなのだが、二条家に装束が無かったらしい。

 この頃の二条家は貧しいので、仕方無いと言えば仕方無いのかもしれないが、世知辛いことである。攝家でも貧富の格差が酷いのだろう。

 叔母の正受寺なども祖父を祝いに訪れている。


 14日、菅宰相五條為学が訪れ、准后の礼にやって来た。

 その後、一条房家が町顕基を祝いの使者として送ってきた。また、二条尹房も月輪家の者を祝いの使者に送って来ている。祖父は両名と対面した様だ。


 15日、広橋大納言広橋守光、勘解由小路在富が准后の礼に訪れた。

 今夜は日待である。日待とは、簡単に言えば、日の出を待って夜明かしすることである。当然、宴などが伴うこととなるが。

 宝鏡寺、大祥院、継孝院、慈照寺などの近衞家一門や親しい僧、曾祖母の徳女中が参加するために訪れている。曾祖父の徳大寺実淳からは、准后宣下の礼として三種二荷が贈られていた。

 夜になると、京兆細川高国母儀、和泉守護細川高基女中など、近衞家と親しい細川高国一族の女衆も参加している。

 近衞家では親しい人々との宴会が行われたため、朝まで騒がしかった。


 16日、大覚寺性守の使者として、三上民部卿三上守順が祝いに訪ねてきた。

 四辻中納言四辻公音冷泉前中納言冷泉永宣鷲尾宰相鷲尾隆康庭田中将庭田重親高倉少将高倉範久も祝いに訪れた様である。


 19日、京兆から鮭が贈られ、田邊孫三郎が持ってきた。鮭は大きな魚なので、私も相伴に預かれそうで、とても嬉しい。

 曾祖父の入道相国徳大寺実淳が訪れ、祖父は夜まで雑談したそうだ。

 近衞稙家は、宝鏡寺、御霊殿尚通妹、大祥院、正受寺、継孝院など近衞家一門の女衆を連れて慈照寺を訪れている。夜には帰ってきていた。

 他にも、持明院中将が訪れていた様だ。


 23日、祖父は以前、三福寺格翁に頼まれていた宸筆短冊に裏書を書き与えたらしい。


 25日、三福寺が宸翰裏書の礼に、両種一荷を持ってきた。

 菅中納言五辻章長が准后の礼に訪ねてきたそうだ。


 27日、細川高国が大和国で敗れたとの報せが届く。細川高国の軍は多くの者が死に、陣は破られたそうだ。

 祖父は、親しい細川高国の敗北に「言語道断」と嘆いていた。


 28日、中山中納言中山康親が准后の礼に訪れている。


 29日、祖父の元へ京兆から使者が訪れていた。南都で一乱があった様で、井上中務と言う人物は、蓮華院に隠れたらしい。

 使者は無事に上洛したものの、細川高国は一乗院一乗院良誉に庇護を求めているそうで、そのために祖父に書状を書いて欲しいとのことであった。祖父は、細川高国のため、一乗院へ書状を遣わしたのであった。



 祖父の准三宮宣下と言う目出度い出来事が起こり、それは禁裏や公家社会にとっても祝い事となった。近年では准三宮宣下が行われることが無かったため、久々に再興されたことは、慶事として公家社会に歓迎されていたのである。

 押領されていた播磨坂越庄からも少量ながら年貢が届くなどと幸先の良さを感じていた。

 しかし、細川高国の軍勢が大和国で敗北したとの報せが届く。細川高国から一乗院の庇護を求めて、祖父に書状を書いて欲しいと頼まれ、細川高国と言う近衞家の協力者のため、祖父は一乗院へと書状を送っている。


 祖父の准三宮宣下と言う慶事から、細川高国の敗北と言う不穏な気配が近衞家を覆う。

 波乱の気配が徐々に京の都へと近付きつつあるのであった。

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