第16話 大樹が源氏長者に(永正16年9月)

永正16年9月


 1日、外では風が吹き荒れていた。この世界に生れてから、これほどまでに風が荒々しく吹くことはなかったのでは無かろうか。

 京の都では大風が吹いたため、近衞家の屋敷は所々が破損してしまった。修理のために召し抱えている大工衆を呼ばなければならないと家中ではボヤかれていた。


 2日、祖父近衞尚通は、入道相国徳大寺実淳に『魚魯愚抄』を贈ったそうだ。曾祖父徳大寺実淳は以前から魚魯愚抄を所望していた様だが、祖父は漸く写し終えたらしく、約束通り贈ったらしい。


 12日、叔父大覚寺義俊の体調が再び悪化した。今回は風邪の様である。

 祖父は竹田法眼を召し、叔父の脈を見てもらった。祖父は、良薬の処方を所望したそうだ。

 祖父は京兆細川高国が、香西三郎次郎を通して所望していた観月歌会の歌題を三十首、書き与えたらしい。


 13日、近衞家では和漢聯句会が催される。参加者は一門や公家衆、僧、連歌師と言った面子の様だ。しかし、珍しいことに近衞稙家も参加していたらしい。普段は参加していないので、その日は予定が無かったのだろうか?

 竹田法眼が叔父のための良薬を用意出来た様で、祖父に進上するため、近衞家を訪ねて来た。


 19日、近衞家では連歌会が行われる。いつも通り、一門、公家衆、僧、連歌師などが参加していた。祖父に近衞家の美濃国の荘園の元気ょを伝えに来た宗碩も参加している。

 美濃国の近衞家家領については気になるな。


 20日、近衞家では和漢聯句会が催される。前日の連歌会と同じ様に、一門、公家衆、僧、連歌師などが参加していたらしい。


 24日、細川右馬頭細川尹賢が三種三荷を持って訪ねてきた。弟の細川和泉守護細川高基は同道していないので、和泉国へ下向したままなのだろうか?

 祖父は細川尹賢のために古今の講釈を行った。元々は父への古今伝授が目的なので、細川尹賢だけが伝授を受けている訳では無いが。


 25日、京兆細川高国が、京兆家被官の田邊とやらを使いとして、近衞家に鴈一を贈ってきた。田邊さんは、近衞家担当の取次なのか、いつも訪ねてくるな。

 細川高国と細川尹賢は、いつの間に摂津国から帰洛していた様だ。



 27日、大樹足利義稙が淳和院・奨学院両院別当並びに源氏長者となる。

 武家の源氏で、源氏長者となったのは、清和源氏の足利義満が最初であった。足利宗家は、武家のまま源氏長者になっている。

 足利義満以降で、源氏長者に任ぜられた公方は、義持・義教・義政・義稙の計4名だ。   

 足利義尚は、淳和奨学両院別当に任ぜられたものの、長者の宣旨を受けなかったため、事実上の長者ではあったが。

 足利宗家で源氏長者となった者は、義尚を含めたとしても6名である。

 実際には、清和源氏の棟梁である足利宗家と村上源氏の久我家が交替で源氏長者に任ぜられていた。


 大樹の源氏長者就任には、公家衆だけでなく、高僧や武家衆も参列している。

 祖父を含め、九条前關白九条尚経二条關白二条尹房三條左府三條実香久我大納言久我通言花山院大納言花山院忠輔西園寺中納言西園寺実宣などの攝家や清華家の当主は朝廷の服装で参加した様だ。

 公家衆ではあるものの直垂を着用した者たちがいる。小倉大納言小倉季種甘露寺大納言甘露寺元長広橋大納言広橋守光勧修寺中納言勧修寺尚顕中山大納言中山康親正親町三條宰相中将正親町三條公兄、伯三位白川雅業王、山科三位山科言綱日野頭弁日野内光飛鳥井中将飛鳥井雅綱藤兵衛佐高倉永家姉小路侍従姉小路済俊東坊城大蔵卿東坊城和長などだ。昵近公家衆や武家伝奏であったり、足利宗家と関わりの深い公家衆で大臣家以下は直垂を着用した様である。

 僧は法中、大覚寺性守、定法寺公助など。

 武家衆は細川右京兆以下6、70人が参列したそうだ。

 武家伝奏である広橋大納言を以て参宮に準ぜられん事を奏請し、勅許を賜った様だ。

 こうして、足利義稙は4人目の源氏長者の宣旨を賜ったのであった。



 28日、右馬頭が祖父を訪ねて、古今の講釈を受けている。

 祖父は、醍醐天皇並びに円融天皇の例を引いて、大宮時元即位日時の定め日に他事を付し行われたことの例を禁裏に勘申したそうだ。禁裏に対して先例を伝えることも攝家当主の仕事なのだろう。


 30日、斎藤以康の息子である尊千代斎藤以親が近衞家に初めて参った。祖父は尊千代を始めて見たそうだ。斎藤親子との申次は、進藤忠綱が担当したとのこと。斎藤親子は、近衞家に御樽二荷両種を進上したのであった。



 叔父大覚寺義俊の体調不良がなかなか回復しない。良くなる兆しはあったものの、再び風邪に罹ってしまった様だ。

 早く良くなることを祈るばかりである。


 足利義稙が源氏長者の勅許を賜り、足利義政以来、久方ぶりの出来事である。一度は将軍職を失ったものの、2度目の征夷大将軍就任を成し遂げた唯一の人物である足利義稙は、持ってると言えば持っているのかもしれない。

 足利義稙にとっては、この時が最も絶頂期だったのかもしれないと、私は心の中で思うのであった。

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