第15話 八朔(永正16年8月)
永正16年8月
八朔の季節がやって来た。八朔とは、元々は、早稲の穂が実り、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くから始まったものである。このことから、田の実節句(たのみのせっく)とも呼ばれることがある様だ。
この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、日頃の恩を感謝する意味で贈答をするようになったとのこと。荘園領主である公家や武家が領民から贈られたのが公家や武家にまで浸透したとも言われている。
足利公儀においては、公式の行事として採用されている様で、洛中では禁裏から足利将軍などを含め、公家衆や武家衆の間で広く行われていた。
1日、
近衞家の信楽庄を横領している多羅尾三河守も訪れており、贈答を行っていた。多羅尾家は、毎年の年始、八朔、歳暮に近衞家を訪れているそうだ。
5日、
先月は、
7日、細川兄弟は古今講釈のため、また近衞家を訪れていた。
12日、細川高国が犬追物を催したそうだ。
13日、近衞家では和漢聯句会が催された。典厩、戸部が同道して参加した様で、参加者たちは深更まで大いに飲んで楽しんだ様である。
15日、近衞家では詩歌会が催される。朝蔵主など、文化人たちが集まった様だ。
16日、
京兆が下向するにあたって、世上に不穏な巷説があると家中の者たちが不安そうに
囁やき合っていた。
しかし、近衞家では和漢会が催されている。
17日、近衞家では前日に引き続き、和漢会が行われている。
その様な中、近衞家に
後柏原天皇の即位式に目途が付いたことで、その準備が着々と進められている様で、下調整が始まっているのだろう。
19日、
世上に流れる噂話と言い、不安が拭い去れない。
20日、曾祖父の
23日、近衞家では和漢聯句会が催される。一門や公家衆、僧、連歌師などが参加した。
24日、日野内光と飛鳥井雅俊が近衞家を訪ねて来た。祖父と禁裏御歌詠草について談合しに来たそうだ。祖父は禁裏詠草について意見を述べた様である。
25日、長く患っていた
今年に入って、叔父は長く体調不良が続いていたので心配だったが、一応は回復した様で安心した。
27日、典厩より木練柿を一籠贈られる。
28日、祖父は典厩に対してお返しに鮎一折を贈ったそうだ。
30日、祖父は上池院(龍護、坂定国)を召し、
八朔を迎え、禁裏、大樹、公家衆や武家衆と八朔の贈答が行われた。高位の身分の者だけで無く、洛中の町人や河原者とも八朔の贈答が行われることもあるそうだ。
先月に引き続き、叔父の病が長引いていたが、回復の目途が付いた様で、早く良くなってくれることを願うばかりである。
世上でら不穏な噂が流れていると家僕たちが噂し合っていた中で、
そのことに、私は幾許かの不安を抱かざるを得なかったのであった。
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