第13話 久我晴通の誕生(永正16年6月)

永正16年6月


 3日、聖護院道増(近衞尚通の息子、近衞稙家の弟)が、本年始めて訪れた。しかし、叔父聖護院道増は、隠密に来たらしい。何があったのだろうか?


 4日、右馬頭細川尹賢民部大輔細川高基が今月も近衞家を訪れ、祖父近衞尚通から古今伝授を授けられている。近衞稙家も同様だ。


 9日、近衞家では和歌会が催された。一乗院小童一乗院覚誉(近衞尚通の息子、近衞稙家の弟)、聖護院、御霊殿など叔父叔母一門や飛鳥井賴孝などの公家衆、連歌師などが参加していた。



 10日、季父大覚寺義俊が虫気を起こしていた。多分、腹痛のことだと思われる。

 私は、季母慶寿院の相手をしていた。なので、季父の容態について、季母と話をする。


「季父上の虫気は大事無いでしょうか?」


兄上大覚寺義俊は身体が弱い故、心配でならぬ。然れど、父上近衞尚通が富小路家の医師を召した故、治るであろう」


 祖父は、富小路資直を召し、季父の診察を頼んでいた。取り敢えず、薬が処方されてある様だが、近衞家に逗留している一乗院師弟や聖護院も季父を心配して止まない。季母と私も、季父の容態を心配しつつ、過ごす他なかったのであった。



 12日、大叔父一乗院良誉並びに叔父一乗院覚誉が都から下向し、南都奈良へと帰っていった。南都から都まではそれなりに近いものの、頻繁に上洛することは出来ない。両名は近衞家で過ごした日々を惜しみつつ、帰っていったのであった。


 13日、近衞殿では大掛かりな修繕工事が行われていた。蔵並びに風呂などの屋根を葺き直しているのだ。風呂は近衞家でも屋敷に次ぐ大きさの建物である。蔵と風呂の屋根を葺き替えるだけで、かなりの大作業となっていた。


 三井寺圓城寺の法師より祖母北政所に対して公事につき、礼物が贈られた。

 祖父にも幾人かの客が訪ねて来ている。細川民部大輔は頻繁に訪れているので、いつも通りだ。

 しかし、珍しい客が祖父を訪ねてきていた。上杉家の家来である。関東の上杉家の者だろうが、家中では上杉家の家来としか伝え聞こえないので、どこの上杉家の者か分からなかった。



「季父上が回復された様ですよ」


「多幸丸、兄上が回復したことは、既に聞き及んでおりますよ」


 私は、季母の元を訪ね、富小路資直が進上した薬が効いたのか、季父が回復したことを伝える。当然、季母は既に知っていた様で、笑いながらも安堵の表情を浮かべていた。



 15日、季父の虫気が回復したことを見届けた叔父聖護院道増は、聖護院へと帰る。弟が治ったことに安堵した様子で、やや晴れやかな表情を浮かべていた。


 20日、季父の体調が再び悪化したらしい。季父は朦気病気に罹ってしまった様で、祖父は宮内卿法印を召した。宮内卿法印は、すぐに来て、良薬を進上処方したそうである。季父の体調不良が続いているので、心配でしょうが無い。

 21日、二位法眼が季父の脈を診に来た。祖父は「今朝、小童大覚寺義俊大験を得た也」と家族に語っていた。しかし、それが何を意味するのかは、私には分からない。


 22日、典厩細川尹賢戸部細川高基が、古今講釈のために祖父を訪ねて来た。

 細川兄弟はいつもは頻繁に訪ねてくるので、典厩殿は久々に来た様な気がする。季父の体調が優れないから遠慮しているのだろうか?


 23日、宮内卿法印と少弼が季父の脈を診に来た。両名は薬を進上処方し、祖父は薬代として百疋ずつ遣わしたそうだ。

 24日、二位法眼と少弼が訪ねてくる。両名は季父の脈を取って、薬を進上処方した。

 祖父は晩に少弼を召して、季父の容態の見立てを尋ねる。少弼の見立ては、疱瘡であろうとのことであった。少弼はすぐに下薬下剤進上処方している。下薬を飲んだ季父は夜七時分に、五度下痢をしたそうだ。

 25日、二位法眼と少弼が訪ねて来て、季父の脈を取りに来た。今朝、季父の容態は落ち着きをみせた様である。



 29日、小童誕生の知らせが入る。祖母が産所で男子を出産したそうだ。出産は出血を伴うため、穢れと見做される。そのため、屋敷とは別の場所に産所が設けられ、そこで出産するのだ。

 祖母が出産した男子こそ、後に久我家に養子入りし、久我家を継承することになる久我晴通である。久我晴通の誕生により、彼が新たな季父(父親の末弟)となった。


「祖母上は、無事に赤子をお産みになられた様ですね」


母上北政所が無事で何より。早う元気になられることを願いましょう」


 私は、季母とともに祖母の無事の出産と季父の誕生を祝ったのであった。


 30日、近衞家では六月祓いが行われる。風呂のある日であり、洛中の一門などと風呂に入りに来ていた。

 また、奥御所から、例年の如く干し鯛が送られたそうで、京兆細川高国からも鯉一が贈られている。



 叔父大覚寺義俊の長引く体調不良と疱瘡という不幸があったものの、祖母の無事の出産と久我晴通の誕生と言う慶事も共に訪れた月であった。

 久我晴通の誕生によって、私が近衞家最年少の子供では無くなったが、近衞一門では末席であることには変わりない。

 私は戦国の世を生き残るべく、更に勉学に励むことを誓ったのであった。

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