第12話 再建された御霊殿(永正16年5月)
永正16年5月
4日、
晩になると、飛鳥井雅綱と
5日、
7日、
9日、今宮祭が行われた。祖父は、
私は、幼いからと連れて行ってもらえなかった。果たして、私が連れて行ってもらえなかったのは、幼いからなのか、生母の身分なのかは分からない。まぁ、着袴の儀を終えていないので、連れて行かれないのも仕方ないのだろう。
祖父は、帰路に徳大寺家と会った様で、徳大寺家の
私は会うことは無かったが、季母の話を聞いた限りでは、公家の子息としての振る舞いをしていたそうだ。居並ぶ面子が公家社会の大物ばかりだから当然だろうな。
12日、禅昌院なる僧が美濃国より上洛した。
いつも通り右馬頭と戸部の兄弟が訪ねて来たので、祖父が古今講釈を行っている。
花徳院光世と言う僧が来て、仁王經を読誦していったらしい。
15日、祖父の異母弟である一乗院良誉が
17日、右馬頭と民部大輔が訪れたので、祖父による古今講釈が行われた。
18日、近衞家は一門で、新造の御霊殿に向かった。
御霊殿とは、近衞殿の敷地内にある建物で、近衞家の霊廟の様な存在である。御霊殿では、近衞家一門の女子が得度し、代々先祖を祀っている。その女性の呼称も「御霊殿」であった。
御霊殿は、文明10年(1478)12月25日、火事で近衞殿とともに焼失してしまった。そのため、御霊殿は今年の4月8日に再建されたのである。
「御霊殿で先祖を祀れるのは、御一門の悲願でしょうな」
「父上は御霊殿が焼けてしまったことを気に病んでおられたもの。再び一門で集えたことを喜んでおられましょう」
私は、季母に御霊殿の再建は一門の悲願だっただろうと話し掛けると、季母の話では祖父は相当気にしていた様で、今日の集いを喜んでいるそうだ。
御霊殿で一門が集まった後は、大人たちは宴を開き、喜び合っていた。
22日、大叔父は高山寺の開帳に備えて、精進を始めている。近衞家一門は高山寺の開帳の間は、神事のために進藤長英の宿所に向かっていた。
23日、大叔父は、高山寺の開帳のため、高山寺へ向かって出立している。
24日、高山寺が開帳し、一門が拝見を行った。高山寺を訪問し、参詣をした後、晩に近衞殿へと帰ったのであった。
26日、晩に
27日、近衞家では双六勝負が行われたそうで、大人たちが遊戯に興じていた。
かなり慣れてしまったものの、細川尹賢と細川高基の兄弟は、近衞家を訪れ過ぎである。古今伝授のためとは言え、こんなに頻繁に訪れるものなのだろうか?
近衞家の霊廟と言える御霊殿が再建されてから、初めての一門による集いであった。祖父を筆頭に一門の大人たちにとって悲願であったのだろう。宴の席では大いに喜んでいたのが印象に残っている。
御霊殿の再建などにより、一門が近衞家に集まったことで、親族たちと多少の交流を持つこととなったのであった。
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