第10話 花見の季節と古今伝授(永正16年3月)

永正16年3月


 4日、近衞家では和漢聯句会が催された。曾祖父の入道相国徳大寺実淳右京兆細川高国右馬頭細川尹賢民部大輔細川高基冷泉民部卿入道上冷泉為広、宗碩、高僧や連歌師などが参加している。この日の和漢聯句会では、出題は民部卿入道が行った様だ。

 右京兆の嫡男である細川六郎細川稙国からも梅枝が進上されている。

 今回の和漢聯句会は、参加者が錚々たる面子であったためか、大いに盛り上がっていた様だ。風流を忘がたざる者なりと大いに飲んでいたらしく、屋敷が騒がしかった。



 3月は、桜が美しい季節である。近衞殿は「櫻の御所」と呼ばれるほど、桜が美しく咲き誇ることで有名であった。かつては、足利義満の時代に「花の御所」へ近衞家の桜の苗木を植えたと伝わっている。


「本年も桜が見事ですね」


「近衞の桜は風呂に並ぶ名物ですもの」


 私は季母慶寿院とともに、桜を眺めていた。私が近衞殿の桜を褒めると、季母は桜は近衞家で風呂に並ぶ名物だと言う。

 確かに、近衞家の風呂は屋敷に次ぐ大きさであり、名物なのは間違いなかった。近衞家の一族や親族徳大寺家など、公家衆や高僧たちに加え、武家衆細川高国一族も入りに来るからな。

 もうすぐ、近衞家では花見会が催される。私や季母は参加出来ないので、今のうちに桜を眺めておくのであった。



 7日、近衞家で花見会が催される。「例花見事」と祖父は今年の桜の美しさに満足気な様子であった。

 近衞家の花見は一族の高僧たち、飛鳥井前大納言飛鳥井雅俊などが参加している。

右京兆から鶯宿梅枝を贈られたそうだ。花見会は、暁鐘時分まで行われ、参加者たちは大いに飲んだ様だ。近衞殿はかなり騒がしかったので、参加していない立場としては、羨ましいやら迷惑であったが……。


 9日、近衞家では後柏原天皇の禁裏女中衆を招いていた。大典侍広橋守子、新典侍、藤内侍高倉継子を招き、椿を観たのだ。飛鳥井前大納言も加わり、夜まで大いに飲んだ様で、またも近衞殿は騒がしかった。

 桜や椿を眺めるのは風流で良いと思う。戦国の乱世において、この様な催しを行える公家は稀なのではないだろうか。


 10日、今日は風呂が有る日であった。曾祖母徳女中伯母継孝院が風呂に入るためか訪ねてきている。

 竹園伏見宮貞敦親王の使いがやって来たが、先日の礼にやって来たそうだ。

 祖父は、持明院基規、高倉範久が来たので対面し、晩に冷泉前中納言飛鳥井永宣、飛鳥井賴孝が来て蹴鞠を行っている。


 11日、細川典厩細川尹賢並びに細川民部大輔細川高基が訪ねて来た。祖父が両名に古今集を講釈するそうだ。典厩殿は以前にも古今集の伝授を受けていたが、今回は民部大輔殿も加わる様である。

 古今伝授は典厩殿から頼まれて始めたが、名目上は近衞稙家に古今伝授するついでということになっている。典厩殿と民部大輔殿は、父が祖父から古今伝授されるのに同席するという形で、古今の講釈を受けているのだ。


 13日、近衞家では連歌会が催される。飛鳥井前大納言、宗碩など公家衆や連歌師などが参加していた。

 今夜は、春日祭の神事が南都奈良で行われるそうで、近衞家を含む藤原氏の氏神である春日神社で執り行われる。


 14日、伯父慈照寺が祖父を訪ねてやって来た。昨日、大樹が慈照寺へ渡御したそうで、伯父は祖父にそのことを話すために訪れた様だ。

 昨夜の春日祭上卿は、帥中納言三條西公條が務めたそうで、子息の三條西実世ととも下向したらしい。


 15日、右馬頭から鯉二贈られた。鯉が食べられると期待したものの、祖父は禁裏に鯉をすぐに進上してしまった。近衞家とは言え、栄養状態が万全とは言い難いので、鯉を食べれないのは残念である。

 今日も、右馬頭殿と民部大輔殿が古今講釈のため訪ねて来た。父と細川兄弟は祖父から古今伝授を受けている。


 17日、祖父は和漢聯句懐紙を禁裏に進上した。前世で思っていたよりも、禁裏と近衞家は交流があるのだなと思ってしまう。近衞家は足利公儀や細川京兆家との関係を重視していたイメージだ。


 18日、祖母維子が実家の徳大寺実淳邸で催される花見に赴いた。祖母はちょくちょく実家へ帰って交流を深めている。しかし、祖母は妊娠中なのに、出掛けても大丈夫なのだろうか?

 今日も右馬頭殿と民部大輔殿が訪問し、祖父による古今講釈を父と共に受けていた。

 その後、祖父は能を観に行った様である。

 夜、寝ていたところ大地震が起きて飛び起きてしまう。地震は大きかったものの、屋敷の被害は軽微なものだった様で安心した。


 19日、右京兆から見事な鯉一を送られたそうだ。今日こそ鯉が食べれるに違いないと期待したものの、その期待は打ち砕かれることとなった。明日、上池院に鯉を遣わすそうなので、食事に鯉が出ることはなかったのである。


 21日、右馬頭殿が三種五荷を贈ってきた。祖父は使者に対面している。

 父が禁裏から帰宅し、18日の大地震について進上された勘文を持って帰ってきた。土御門有春が書いたものの様だ。


 25日、右馬頭殿と和泉守護殿が当家を訪れ、祖父は父と細川兄弟に対して古今講釈を行う。


 26日、祖父は三合三荷を鷹司前關白鷹司兼輔に送る。先月の来訪と和解の礼に、鷹司前關白に酒肴を贈った様だ。


 27日、右馬頭殿が祖父を訪ねてやって来た。右馬頭殿と閑談をした様だ。


 28日、今日は風呂が有る日であった。いつも通り、曾祖母徳女中や出家した一族が風呂に入りに訪れている。


 29日、禁裏において返礼の酒宴を催されるため、祖父は参内していった。三十首続歌が催されたそうだ。

 祖父が留守の間に和漢聯句会が催され、出家した一族の者たちがやって来て、朝蔵主の取り仕切りで行われた。



 近衞殿の桜は、桜の御所と呼ばれるだけあり、見事である。前世では成人であったため、大人たちが花見で酒を呑んで愉しんでいる様子が漏れ聞こえるのと羨ましく思ってしまう。

 細川典厩・民部大輔兄弟は、父と共に古今伝授を受けるため、頻繁に訪れる。当家に訪れ過ぎな気もするが、近衞家の荘園維持は細川右京兆の尽力が大きい。

 また、細川高国一族による贈り物は、近衞家の財政に大きく寄与している。近衞家と細川高国一族の関係を良好に維持することは、近衞家にとって肝要であるのであった。

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