第9話 摂家鷹司家との和解(永正16年2月)

永正16年2月


 1日、和泉守護である細川民部大輔細川高基が来賀した。典厩殿細川尹賢と民部大輔殿は、頻繁に近衞家を訪ねてくる。


 2日、近衞家では和歌会始が催され、和歌の宗家と称される飛鳥井家の飛鳥井前大納言飛鳥井雅俊が歌題を出した様だ。和歌会始が行われたことで、当家での歌会が盛んになることだろう。


 4日、畠山式部少輔畠山順光から、うずらを贈られた。鶉の数は多くないので祖父母や父たちぐらいにしか出されず、私は肉を食べれなかった。非常に残念である。鶉を食べたかったな……。


 6日、先日の和歌会始に続き、和漢聯句会が催された。和歌会に引き続き飛鳥井前大納言、高僧たちや連歌師などが参加している。


 7日、祖父近衞尚通が神社参詣に出掛ける。祖母維子はよく寺社へ参詣している気がするが、祖父が参詣するのは珍しい印象だ。

 祖父の留守の間に、細川典厩尹賢がやって来た様で、天神名号の書法を伝授されたとのことであった。



 9日、近衞家にとって、それなりに大きな出来事がやって来た。鷹司前關白鷹司兼輔が近衞家を訪れて、和解をするそうなのだ。近年、近衞家と鷹司家は義絶していた。詳細は不明であるが、曾祖父近衞政家の代に鷹司家の前当主である鷹司政平がイチャモンをつけていたそうなので、それが関係しているのかもしれない。それでも、鷹司家は家計が厳しく、近衞家から人的・経済的支援を受けて存続出来ていたのだが……。鷹司前關白が和解に応じたのも、鷹司政平が亡くなったことも理由の一つなのかもしれないな。

 今回の近衞家と鷹司家の和解は、了山椿性と入道内府三條西実隆の周旋で成立したそうだ。同族である近衞家と鷹司家が義絶したままでは良くないと思ったのか、攝家同士の関係が悪いのが良くないと思ったのか、理由は定かでは無いが。

 結果的に、祖父も鷹司前關白も、その提案を受け、和解することとなったのであった。

 公家社会にも両家の和解を示すためか、飛鳥井中将飛鳥井雅綱などと共に、鷹司前關白と蹴鞠を行った後、酒を酌み交わした様だ。

 細川典厩から、鴈一と御茶を進上されたらしい。

 近衞家から分かれた鷹司家は同族であるので、両家の和解は近衞家にとって喜ばしいことだろう。


 10日、大樹足利義稙右京兆細川高国邸に渡御したと家中で噂になっていた。右京兆邸では能が催され、大樹はそれを観に行った様だ。


 12日、近衞稙家が目の具合が悪いと訴えた様で、屋敷の中が騒がしかった。何らかの眼病に罹ってしまったのだろう。ものもらいかウイルス何かの炎症だろうか。

 右京兆が右馬頭の許から、祖父を訪ねてやって来た。先日の大樹御成について、祖父と話をするのかもしれない。

 祖母の元には、大叔母久我女中が両種二荷を持って訪ねて来ている。

 本日は、来客の多い日であった。大叔母は泊まっていく様だ。


 13日、大叔母は久我邸へと帰っていった。曾祖母徳女中と言い、大叔母と言い、頻繁に祖母に会いに訪れている。

 祖母の弟であり、徳大寺徳大寺公胤が、祖父に歌会の歌題を所望したそうで、祖父は徳大寺家の者に書き与えていた。


 18日、細川典厩細川尹賢和泉守護細川高基、右京兆が訪れる。当家で催される和漢聯句会に参加するためだ。他にも公家衆や高僧、連歌師などが参加している。

 しかし、細川高国は最近、食欲が無く体調不良の様で早出してしまった様だ。


 19日、朝から屋敷の中が騒がしい。重要な客が来る様だ。その客とは、三條西逍遥院三條西実隆であった。逍遥院殿は礼の為来たそうだが、彼が周旋した鷹司家との和解に応じたことに対する礼だろう。連歌師の宗碩も同道している様だ。

 近衞家にとっても重要な和解であり、当代一の文化人と言われる逍遥院殿に対して、三献の儀を催している。

 祖父と逍遥院殿は都でも高名な文化人であるので、二人が揃っているだけでも、凄いことなのだろうと思ってしまった。


 21日、曾祖母徳女中が朝飯を食しにやって来た。

 祖父は、飛鳥井前大納言飛鳥井雅俊が訪ねて来たので、雑談をした後に一杯酌み交わした様だ。その後、飛鳥井賴孝が来て蹴鞠をしたそうである。

 飛鳥井前大納言たちが帰った後は、慈照寺伯父が来て曲舞を観た様だ。慈照寺は、祖父と妾である藤井嗣賢のむすめとの間の子である。妾腹であるため、長男でありながら、近衞家の世子になることが出来なかった。伯父は、そのまま屋敷に泊まっている。


 22日、和歌会が催され、飛鳥井中将飛鳥井雅綱飛鳥井少将飛鳥井賴孝など公家衆や高僧、連歌師が参加した。和歌会に参加した大伯父慈照寺も帰っていった。


 23日、智園寺伯母が坂本から上洛する。昌祐両種一荷を祖父に進上したそうだ。去年の公事の御礼らしい。

 24日には、繼孝院伯母がやって来て、泊まっていった。伯父伯母の訪問ラッシュで屋敷は慌ただしい。

 25日、風呂が炊かれる日で有る。曾祖母徳女中が当家を訪れ、繼孝院伯母など女衆で入った様だ。私が風呂に入ったのは、当然ながら一族の最後である。

 明日は祖父が禁裏に参内するので、屋敷の中も準備で慌ただしい。


 26日、祖父など朝廷の廷臣たちは、禁裏に酒饌を献じた。加えて、猿楽も催された様で、大層盛り上がった様だ。知仁親王は虫気腹痛のため出座しなかったらしい。


 27日、祖父は昨日の催しに対する礼状を勾當内侍東坊城松子に遣わした。その後、返事が届いた様である。

 有り難いことに、大樹から美物が贈られ、近衞稙家が対面して対応した様だ。白鳥一、海老二籠、貝鮑二などの美物が籠で贈られたそうで、やはり大樹は裕福なのだと実感させられる。その日の食事には、海老や貝が出て来て、いつもの食事より美味であった。


 28日、和泉守護民部大輔ほそ川が祖父を訪ねて来て、対面したそうだ。下京では勧進猿楽が始まったそうで、京兆細川高国典厩細川尹賢畠山式部少輔畠山順光が招かれたらしい。


 29日、右馬頭細川尹賢民部大輔細川高基が当家を訪れ、先日の和漢聯句会の続きを行っている。右馬頭は、昨日の猿楽のことを祖父に物語ったそうだ。

 今朝、季父大覚寺義俊朦気病気になってしまったので、富小路資直を召し出して診察してもらっている。季父には、季母慶寿院とともに遊んでもらうことがたまにあるので、早く治って欲しいと願うばかりだ。


 30日、祖母の妹である仁木女中(仁木高長室、徳大寺実敦女)が少女を連れて訪ねて来た。目的は、仁木高長のを祖母の猶子とするためだ。そのため、大叔母は樽代百疋持ってきた様である。

 祖母と仁木女中親子で三献の儀が執り行われ、仁木女中は北政所祖母の猶子となったのである。



 近衞家と鷹司家の和解がなるなど、驚きの多い月であった。父が目を煩い、季父が病に罹るなど親族の健康状態に不安を抱く。早く治ってもらいたいものだ。

 親族(近衞家や徳大寺家など)の訪問が多い月であったが、典厩・和泉守護兄弟や飛鳥井家など頻繁に訪問客が訪れている。

 私は、この近衞家の賑わいが続けば良いと思うのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る