第6話 黄烏瓜の栽培提案と不穏な兆し

 髪置きの儀を終えた私にも、傅役が付けられたことで、手習いが始まった。

 近衞殿で共に過ごす一族たちとは、それなりに無難な関係に落ち着いていると個人的には思う。


 傅役とそれなりに関係構築が出来たところで、私は傅役にあることを問うてみた。


「爺よ、天花粉は何から出来ておるのだ?」


「天花粉は、栝楼根から作るはずですぞ。栝楼根は烏瓜の根にございます」


 傅役は、私の問いに対して、カラスウリの根が原料であると答える。常日頃から、何でも問い質すので、付き合いは短いものの、どの様に答えれば良いか分かってきた様だ。

 天花粉の原料はキカラスウリが有名であるが、近似種であることから、区別が付いていないのか、同じ様に使われていたのかもしれない。


「爺も、私が白粉を嫌っておるのは知っておろう?髪置きでは天花粉を使ったが、これからも使えるのか?」


「若様が白粉を塗るのは、儀式の時ぐらいでしょうから、太閤殿下近衞尚通の御許しをいただければ、使えるかと思われます」


 私は、自身が白粉を嫌っているため、髪置きの儀の時の様に、白粉の代用として天花粉を使えるかを傅役に問う。すると、傅役はその機会が少ないので祖父の許可があれば可能だと応えた。


「然れど、天花粉は生薬であると聞く。祖父上にお許しをいただけるであろうか?」


「そればかり、太閤殿下に御尋ねしてみなければ分かりませぬ」


 私は天花粉は生薬であるから、今後も祖父から許可がもらえるのか聞くと、傅役は祖父に聞かないと分からないと言う。


「私は考えたのだが、烏瓜の種を蒔き育てれば、栝楼根から天花粉が手に入るのでは無かろうか?」


「確かに、烏瓜を育てて栝楼根が手に入れば、天花粉は手に入るやもしれませぬが……。栝楼根から天花粉を作った者は家中におりませぬ故……」


 私がキカラスウリの種を蒔いて育てれば、天花粉の原料である栝楼根を安く手に入るのでは無いかと問うと、傅役は微妙な表情を見せる。子供が考える安易な方法だと思ったのだろう。傅役は家中で栝楼根から天花粉を作れる者はいないと答えた。


「何も当家で天花粉を作る必要はあるまい。

天花粉を作っている処へ栝楼根を持って行けば良い。然すれば、天花粉を作るか、栝楼根

と換えるであろう」


「確かに、栝楼根を持ち込めば、天花粉を作らせるか、交換することは叶うかと思われます」


 私は近衞家で栝楼根を作るのでは無く、天花粉を作っている所に栝楼根を持ち込めば、作るか交換してくれるだろうと言うと傅役も納得する。


「然らば、烏瓜の種は手に入るのであろうか?」


「烏瓜の種は探せば手に入るやもしれませぬが……。何処に蒔けば良いか分かりませぬ。」


「屋敷の空いておるところでは出来ぬのか?」


「烏瓜は蔓が伸び大きくなりまする。御屋敷で育てるわけにはいきますまい」


 私は傅役にキカラスウリの種が手に入るか問うと、手に入ることは出来るだろうが、蒔く場所が分からないと言う。私は屋敷の隅など空いてるところに蒔けば良いのでは無いかと思っていたが、蔓が大きくなってしまうので屋敷では育てられないそうだ。


「近衞家の荘園は洛中にもあると聞く。そこで育てられぬのか?」


「上役に尋ねてみなければ分かりませぬ。ましてや、太閤殿下から御許しいただけるかどうか……」


「烏瓜は栝楼根の他にも生薬になると聞いたことがある。栝楼根の他にも利を生むならば、祖父上も荘園で育てさせることをお許しくださるやもしれぬぞ」


「分かり申した。上役に話してみまする」 


 私は洛中にある近衞家の荘園でキカラスウリを栽培出来ないのか問うと、傅役は渋い顔をしながら、上役に伝えて祖父の許可が必要だと述べた。傅役としては上役に話を持って行きたく無いのだろう。

 なので、私はキカラスウリの塊根だけで無く、実や種など他の部位も生薬の材料になるのでは無いか。そこからも利益が出るのなら、祖父も許可をもらえるかもしれないと話すと、傅役は渋々、上役に伝えると言ってくれた。

 本当に伝えてくれるかは分からないが、近衞家の荘園は洛中にいくつかあるので、そこの空いた場所で育てさせれば、近衞家に利益を生んでくれるはず。

 私が水銀原料の白粉を塗らずに済む様、祖父がキカラスウリの栽培を許してくれることを祈るばかりだ。



 永正15年(1518)8月、不穏な噂話が私の耳に届く。家中の家僕たちが囁やいているのを耳にしたのだ。

 昨年、大樹足利義稙が有馬へ湯治に下向した隙を突いて、堺へ下向してしまった大内左京大夫義興は、大樹からの再三に渡る帰洛要請を拒否し続けていた。

 そして、8月になると政所執事である伊勢貞陸との交渉も虚しく、左京兆大内義興は遂に領国である周防国山口へと帰国してしまったのである。左京兆の在洛は約10年に及んだものであった。

 左京兆が帰国した理由は明らかになっていないものの、噂だと領国が不穏であるからしい。安芸武田家の謀叛や厳島神社の神主後継問題など、火種が燻っているからだ。

 大樹から遣明船の権限を獲得していたし、畿内で得るものは得たといったところだろう。

 西国の覇者である大内左京兆を一度は観てみたかったものだが、それが叶うことはなかったな。大内左京兆ほどの傑物を観る機会などなかなか無いであろう。それだけが大内左京兆の帰国に対して心残りではあった。



 こうして、大樹足利義稙は強力な支持者である左京兆を失い、残る支持者は細川左京兆細川高国と畠山稙長ぐらいだろう。

 大樹が公方に返り咲いたのは、大内左京兆の軍事力があった御蔭なので、主戦力を失った大樹はどうなることやら。

 細川左京兆は、文芸や公家衆との社交には優れている様だが、戦に強く無いと聞く。

 史実通りなら、京の都を含めて畿内は再び戦乱に巻き込まれることとなるだろう。

 斯くして、畿内の動乱の足音は着実に近付いているのであった。

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