第5話 手習いの始まりと一族との関係
髪置きの儀を終えたことで、私に傅役が付けられることとなった。今までは教育係としての乳母と授乳担当の生母たち家女房等が世話係を担っていたが、そこに傅役が加わることとなる。
私の傅役は、近衞家に仕える地下家の出身の家僕に決まった。嫡男であれば、半家から傅役が任ぜられるのであろうが、庶子の傅役となれば地下家の家僕が選ばれるのは妥当なところだろう。
半家の一族とて、人数に限りは有るし、家政に携わる仕事も多い。嫡男の傅役ならまだしも、庶子の傅役に割り当てるなら、別の重要な仕事をさせるであろう。
近衞家に家僕として仕える半家の生活は、他の公家衆に比べれば豊かである。近衞家の荘園収入のそれなりの割合を与えられているのだから。
それでも、主家の子の数に合わせて、半家の家僕たちが子息を増やすことは難しいだろう。近衞家は比較的豊かであるとは言え、子が多いのだ。他の攝家など、そんなに子の数は多くない。
それでも、攝家は
近衞家が子を多く成しているのは、攝家でさえ困窮している中で、攝家としての勤めを率先して果たすことで、公家社会を守ろうとしているとの見方も出来る。そのために、近衞家は足利宗家や細川京兆家などの公儀と武家衆に接近し、家領や荘園収入を維持しようと努力を続けていた。
多くの公家衆は、貧しさ故に子を成せないことが多くなっている。嫡男一人しか成せず、成長しても早世してしまったため、断絶した家もある有り様だ。
公家衆で比較的豊かであるのは、足利宗家の昵近公家衆の家などであろう。公家衆が家を維持するためには、公儀と武家衆と関係を築く必要があったのである。
私にも傅役が付いたため、手習いが始まった。幼い私の手習いは、手本を用いての仮名の習得が主となる。
前世では成人だったので、仮名など既に分かっていたが、幼い身体で字を書くのは、思っていた以上に大変であった。加えて、和歌などを用いた手本で覚えなければならなかったことや美しい書体で書かなければならないのだ。前世ではあまり字が上手いと言えなかったので、正しい書き順や美しい書体で仮名文字を書かなければならない手習いには、難儀することとなった。
しかし、数え年で3歳であることから、手習いの時間もそんなに長い訳では無かったことは救いと言えるだろう。それなりに自由に過ごせる時間を与えられていた。
屋敷内を許される範囲で走り回ったりなど、3歳の身で身体を動かすことは怠らない。もう少し成長すれば、庭などに出ることが出来るのだろうが。
そして、幼児特有のスイッチが切れた様に寝てしまうのには困ったものだが、身体が幼子なので致し方無いことであった。寝ることも仕事の内であるし、成長のために睡眠は必要不可欠である。
私は髪置きの儀を終えたことで、近衞家では一族の末席として生活を送る様になっていた。そうなると、一族の方たちと触れ合う機会も増えてくる。
私が最も親しくなった一族は、2歳年上の
季母を除く叔父叔母の多くが仏門に入っている。そのため、屋敷に残る者は季母を除くと、永正10年に生まれた
季母と過ごす時間ほど、季父と過ごしたことは無い。会えば言葉を交わすし、季父に時間があれば遊んでもらうこともあるくらいだ。
祖母の維子は、昨年に体調を崩していた。医師たちの薬の処方か寺社の祈祷に効果があったのか、多少は改善した様である。
症状が落ち着きをみせた祖母は、何と妊娠をしてしまった。祖母が孕んでいる子は後に久我家へ養子入りすることとなる久我晴通である。
祖母は妊娠をしたため、私を構う機会は大幅に減ってしまった。私も季母に連れられて見舞うことがある。私だけだと、自身の地位の低さから上手く取次いでもらえないだろう。実の娘である季母の地位は家中のおいて、私より遥かに高いのである。
来年に、3歳下の
祖父は当代随一の文化人と言っても過言では無い。三條西実隆に並び称されると言えるだろう。
そんな祖父は、若い頃に連歌師の宗祇から古今伝授を受けていた。その古今伝授は、近衞家に代々伝えられていくこととなる。
祖父が近衞家の当主になってから、公家、連歌師、武士などに近衞殿を開放していた。祖父は、他家との交流によって、学問や文芸の普及にも努めていたのだ。そのため、近衞家を訪れる客は非常に多い。
戦国時代と言う呼び名も、祖父の日記が由来となっていた。『後法成寺關白記』(近衞尚通公記)と言う日記において、細川政元の死後に跡目を争う細川澄元と細川高国の争いを中国の春秋戦国時代に例え「戦国の世の時の如し」と評したのである。戦国時代と名付けられたのが祖父の日記からだと思うと、個人的に大いに感心してしまう。
髪置きの儀を終えたことで、祖父の元を訪れた客の内、必要な人物に対面し、挨拶させられた。その多くが近衞家の親族である高僧たちであったが。
私が生まれたの経緯として、父の性教育の過程という不本意な出来事であることを知っているのか、親族たちはあまり好意的な態度では無かった様に思える。普段から目下の者に、そういった態度をしているのかは分からないが。
そう考えると、嫌悪感などあまり表に態度に出さない祖父母は、大したものだと思う。御家のために活用出来るものは、何でも活用しようというつもりかもしれないが、それこそ公家の当主として生き残るために必要とされる考えなのかもしれない。
父は、私が生まれたことが不本意なのか、興味を持つ様子は見受けられない。声を掛けられたのは、数えることが出来る程度である。
父は禁裏での勤めが忙しいこともあるのか、私との関わりが薄い。しかし、私は特に父に思うところは無かった。子供だったら寂しいと思うことがあるのかもしれない。だが、前世では父よりも歳上だった。そのため、大人の考えからすると、父の気持ちも何となく分かる。なので、寂しいなんて思いは湧くこと無かった。
この様な扱いを受けているのが、普通の子供であったら、何か思うところはあるのかもしれないが。
近衞家の一族で、屋敷でともに生活しているのは、祖父母、父、季母であるが、私の身近には生母もいる。
他の乳母とともに、家女房として私の世話をしている生母であるが、母親として接することは無かった。生母の立場上仕方が無いのだろう。他の乳母は生母より上役である。家女房として世話係に徹するしか無いのだ。
生母自身も自身の立場を弁えているのだろう。私と引き離されることなく、家女房ながらも乳母役の一員として、世話を担えることに幸せを感じている様子であった。
前世を21世紀で過ごした私には理解し難いことである。しかし、この時代を生き、この時代の常識の中で過ごす生母の中では、何かしらの決着は付いているのだろう。そんな生母のことが分からないことに、私は何となく寂しさを感じざるを得ないのであった。
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