閑話 多幸丸についての報告(近衞尚通視点)
○近衞尚通
「多幸丸様の傅役から献言がござい申した」
私と
多幸丸は、他の赤子に比べて話すのが早かった。話も赤子とは思えぬ喋りをする。弟妹や我が子たちが赤子の頃を幾度も見てきた。故に、多幸丸が赤子として賢し過ぎる。私は多幸丸の様が異様であると感じざるを得なんだ。それは、父である
私は多幸丸に、狐か妖でも憑いておるのではないかと疑っておったが、話してみると年に見合わぬ賢しさの他は、怪しさは然程感じず、悪しき様などなかったのは幸いであった。
多幸丸に付けた傅役からの多幸丸の様子は、思っていた通り異様であった。手習いを始めたものの、瞬く間に仮名文字を覚えたと言う。齢が三歳と言うこともあり、筆使いなどは拙いため、まだまだ修練は必要とのことであった。
然れど、多幸丸は傅役に様々な問いをし、その問いや遣り取りは幼子とは到底思えぬそうだ。傅役も驚き不審に思っているのであろう。
「父上、多幸丸は狐か妖にでも憑れておるのでしょうか……」
亞相が暗い表情で語りかける。亞相は多幸丸を避け、なるべく関わらない様にしていた。
亞相にとって、多幸丸の誕生は本意では無かったのもあるだろう。己の夜伽の指南を担っていた家女房が孕んでしまったのだ。
私の様に年の功があるならば、割り切れるであろうが、亞相はまだ若い。すんなりと受け入れることが出来ていないのであろう。
「亞相よ、滅多なことを申すな。口にしてしまえば、攝家である近衞に狐憑きが生まれたと噂になるやもしれぬであろう」
「申し訳ございませぬ……」
多幸丸が狐憑きなのではないかと憂う亞相を窘める。口に出してしまえば、噂になるやもしれぬからだ。
「今のところ、多幸丸から悪しき様は見受けられる。それどころか、賢しい故に近衞の役に立つやもしれぬぞ」
亞相の憂いを払うためにも、多幸丸の賢しさは近衞のためになるやもしれぬと励ます。
「当家の利にございますか?」
「左様。多幸丸が傅役を通して献言してきた、烏瓜についてじゃ」
傅役から、多幸丸が烏瓜の種を蒔く様に申したとの献言が上がってきていた。多幸丸は何故か白粉を嫌っておる。赤子の頃に使っていた天花粉を白粉の代わりに塗りたいと乳母が申し出た時は、困惑させられた。
然れど、多幸丸が白粉を塗ることは少ない。白粉は私や
多幸丸は、烏瓜の種を洛中にある近衞家の荘園に蒔いて欲しいと言う。然れば、栝楼根を得られる。烏瓜が大きくなり、採れた栝楼根を天花粉を作る者たちに持っていけば、天花粉を作らせるか換えることが叶うだろうと。
烏瓜は種を蒔いてしまえば、世話をする必要など無いであろう。故に、荘園の片隅に蒔いておけば、後は放っておけば良い。
烏瓜からは、栝楼根だけでなく、種も生薬になり、実は食せる。実は我らが食すには不相応であろうが、家僕や荘園に住まう者たちに食させれば良い。
烏瓜から種や栝楼根を採るのも荘園に住まう者たちにさせれば良いだろう。そう考えると、多幸丸の献言は、それなりに近衞家に利すると思われる。
私は多幸丸の献言を認めようと思っていた。然れど、亞相はどの様に考えておるか気になってしまう。
「洛中の荘園に烏瓜の種を蒔くことは、亞相は如何様に思うか?」
「多幸丸に付けた傅役からの献言を聞いたところでは、当家に利があり、良いかと思われまする。然れど……」
私が多幸丸から献言された、洛中の荘園に烏瓜の種を蒔くことについて、如何様に思うか尋ねると、亞相も近衞家の利になると考えている様だ。然れど、亞相は言い淀み、浮かない顔をする。
「然れど、どうしたのだ?」
「私は、多幸丸の様な幼子が、この様な献言をしてきたのが、不審でなりませぬ……」
私が亞相に言い淀んだ言葉の続きを促すと、亞相は憂いた表情を浮かべつつ、多幸丸の様な幼子が不相応な献言をしてきたことをへの不審を口にする。
やはり、亞相は多幸丸に狐か妖が憑いていると疑っているのだろう。亞相がその様に思うのも分かる。ここで、私が多幸丸の献言を受け入れる旨を押し通すことは出来るだろう。
然れど、それでは亞相のためにも良くないし、多幸丸のためにも良くないであろう。
「亞相よ、其方が多幸丸に不審を抱くのは分かったが、何故その様に思うのだ?」
「多幸丸の発する言葉は幼子の言葉とは思えませぬ。此度の烏瓜についても、あの様な齢の幼子が考えつくものではありまぬ……」
私は、亞相が何故に多幸丸に不審を抱くのか問うと、多幸丸の話す様や考えつく言葉は、幼子として不相応だと考えている様だ。
「加えて、多幸丸の目にございます。多幸丸が私を見る目は、親を見る目ではございませぬ。何処か遠くを見るような目をしており、私を見ておらぬのです。私は弟妹の幼子の頃を知っておりますが、あの様な目をした子はおりませなんだ」
亞相が最も引っ掛かているのは、多幸丸の目であった。亞相の申す通り、多幸丸は何処か遠くを見ている様な目をしている時がある。
私たちを見るときも、何となく他人の様な、肉親としての情愛を感じさせる様な目では無かった。最も親しい娘に対しても、親愛と言うよりは、年長者が年下の者を見守る様な慈しみの目で見ている。
多幸丸の目は総じて、俯瞰した様な目で私たちを、世を見ている様なことに気付かされた。
亞相が、そのことに気付いたのも親であるからかもしれぬ。私が気付かなかったことに、亞相が気付いていたことから、亞相の成長を感じることが出来て、嬉しく思ってしまった。
「亞相の申す通り、多幸丸の目は異様である。然れど、其方は多幸丸を不審に思うばかりで、親として接して接しておらぬ様に思うぞ。もう少し、多幸丸と触れ合い、我が子のこと知ることが肝要であろう」
「分かり申した。父上の仰るとおりやもしれませぬ」
私は、亞相に対して、親として接することを増やす様に助言した。亞相も多少なりとも納得してくれた様だ。
「亞相な何れ、近衞家の当主となるのだ。我が子に何か憑いていたとしても、近衞家の利となる様に扱えねばならぬぞ」
私は、何れは近衞家の当主となる亞相に、家の利のため、判じて決することが叶う様に諭すのであった。
後は、亞相とともに多幸丸が献言した烏瓜の件について話し合う。亞相と話し合った仔細は、家僕への指示となり、多幸丸の献言は行われることとなったのであった。
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