第29話

「ちょっ! おい、華子かこ! 待て!」


 ばたん。ドアが閉まると部屋は静まり返った。

 窓から差し込む赤い光が妙に哀愁を感じさせる。

 自分の部屋だというのに、取り残されたような気持になった。


「……ったく」


 妹は本当に人の話を聞かない奴だ。

 こんな女と付き合ったり、まさか結婚でもしようものなら、きっと振り回されて大変な人生を送ることになるだろう。

 我が妹だが言ってしまおう。これはあまりおススメできない物件だと。

 ヒサシ君がターゲットから外れてよかった。

 ほっとしている自分がそこにいた。


 華子かことのやり取りでなんだかどっと疲れがでた。

 「はぁ……」深いため息も出るってものだ。

 オーディオでも聞いて気分転換でもしよう。そうだそれがいい。

 僕はくるりと振り向いた。その時だった。


「あ……っ」


 目の前に光の粒子が高速で舞っていた。

 ちりちり、きらきらと。輝く光が幾重にも螺旋を描き、それらが徐々に収束していく――ミライだ。


 つい先日会った時は、また来るかも、そうでないかも、みたいな曖昧さを残していた。その割にこんなにも早く僕の前に現れたことに驚いた。


 光がミライを形作る。知っているその姿に変わった瞬間だった。

 僕を見つけると突然叫ぶように言った。


「しげちゃんっ!!」


 何かに焦っているのか? せわしない様子のミライ。

 スーッっと僕の前に寄ってくる。


「……な、なに?」

「これから言うこと、黙って聞いて!」


 ミライは真剣なまなざしで僕を見る。


「……へ? な、なに? どうしたの?」

「いいから! これが最後のチャンスかもしれないの!」

「最後? ……チャンス?」

 

 何を言われているのかわからず、僕は首を傾げる。

 そんな僕に構わず、ミライは話し始めた。


「私の本当の名前は未来みく脇屋わきや未来みくって言うの。お母さんは時枝ときえだ華子かこ。わかるよね。私、おじさんの姪なの……って、あれ……さっきも同じようなこと言ったな……!」

「はぁ!? か、華子かこがお母さん? だってお前。女神って……あ、あー……ははぁーん。あの設定はもうやめるってこと? 苦しかったもんなぁ。なに? 今度は僕と家族ごっこでもしたいの?」

「違うから! もうっ! んーっ! いいやそんなの! ねぇ! しげちゃん! 山瀬やませさん、助けたいよね!?」

「助ける? ミライ……あ、えっと、ミクって呼ぶ方がいいの?」

「そんなのどっちでもいいっ!!」


 な、なんのなの? すごい剣幕なんだけど……?


「それはこないだ言われた通りやったじゃん。山瀬やませさんとユウヤ君のデートを邪魔したこと、自分だって喜んでたのもう忘れた? 最悪の事態は避けられたとか僕の未来は大丈夫だとか言ってだじゃない」

「ダメッ! それだけじゃダメなんだっ!」


 ミライは責めるような強い口調で叫ぶ。ずいっと詰め寄ってきた。


「しげちゃん。いい? 落ち着いて聞いて。あのね……山瀬やませさん、このままじゃ死んじゃうの」

「……は、はぁ?」

山瀬やませさんね。私のいる世界では大野おおのに酷い事されて、それが原因で死んじゃうの。……私がしげちゃんに会いに来た本当の目的はそれを止めるため。でもね……ダメ。それだけじゃダメだった。それを止めても山瀬やませさん、やっぱり同じ結果になっちゃう」

「どういうこと……? ほんとに何言ってんだか全然わかんないんだけど……」

「意味なんかどうでもいい! お願い! 私の言うことをそのまま信じて!」

「……な、なんだよ。今日はいつにもまして随分と強引だな……」

山瀬やませさんね。これから一週間以内くらいに事故で死んじゃうんだ。多分だけど……大野おおのが関わってるはず……ううん。絶対そう。……だから、どんな手を使ってもいいから山瀬やませさん助けてあげて!」

「お、おいおい……。さっきから死んじゃう死んじゃうって。で、今回もユウヤ君が関係しているから何とかしろ? あのさぁ……。こないだも言ったけど、ユウヤ君のことこれ以上怒らせたくないんだって……」

「情けないこと言わないでよ! 山瀬さん助けたいでしょ!? 生きてて欲しいでしょ!? だったら……えっ……? あ、ああっ! ちょっと! ええぇ! やだっ! もうなの!?」


 ミライは慌てながら自分の体を見回した。体の表面に光の粒子がふわふわと舞っている。

 しかも動かす指先から薄っすらと透明になり、その姿が消え始めている。


 いつもは体全体がすうっと自然な感じで消えるようにいなくなるミライ。

 だが今日のミライは紙が燃えて無くなるように、体の端々から消滅していくようだった。


大野おおのから山瀬やませさん守ってあげて……! 私の言ったこと忘れな……」


 ミライはそう言い残し、跡形もなく消えたしまった。

 消える瞬間、彼女の姿を辛うじて形成していた光が一気に飛散した。

 それが部屋の中を一瞬明るく照らした。


 こんな消え方は初めてだった。

 最後に見せたミライの顔がしばらく目に焼き付いて離れなかった。

 焦っているというレベルを超えて、必死の形相だった。


 あっという間の出来事にもやもやとした気持ちを抱えたまま、真っ暗になった部屋の中でただ立ち尽くす。

 彼女のいた場所を茫然と眺めていた。


 



 やはりだ。やはりと言わざるを得ない。

 山瀬やませさん……。今日もとても可愛いいです。


 休み時間。茂部もべさんと談笑する山瀬やませさんを横目でちらりと見ていた。

 ……正常な思春期男子なら仕方ないことだろ。


 あれだけ派手なギャルファッションの茂部もべさんを前にしても、その可愛さが掠れないのは、山瀬やませさんに対する僕の想い補正があるからだけではない。

 誰にでも明るく接する嫌味のないコミュニケーション能力。

 今時のおしゃれを取り入れながらも清楚なルックス。意外と真面目な性格。

 トータルで完成された美人と言えた。


 しかしどんなに想いを寄せても、ユウヤ君という存在がある限り、ひっそりと陰から見ることしかできないのだが。

 でもそれが逆に良いこともある。

 学校では全く接点がなさそうに見えて、山瀬やませさんとはLAINでやり取りをしているのだ。隠れて交流を持っているという背徳感。これが妙に興奮してしまう。誰にも知られていないシチュエーションというのはなんとも言えない緊張感がある。

 だから、このまま学校内では特に交流はなくとも、僕的には案外悪いと思っていなかった。


 今日もそんなことを考えながら山瀬やませさんを覗き見ては、脳内で妄想を繰り返す。

 その中でふと現実に思考が戻ってきた時だった。

 ミライの言っていたことが思い出された。


『これから一週間以内くらいに事故で死んじゃうんだ』


 思い出すだけで気分の悪くなる言葉だった。


 ミライがこんな不謹慎なことを冗談で言うとは思えなかった。

 それにホテル行きのデートに関しては全て言い当てたという実績もある。


 ミライの言葉を今一度整理した。

 ミライが僕の前に現れたのは、山瀬やませさんの死を回避するためだった。

 その最悪の事態はこないだのデート阻止だけでは回避できなかった。

 だからやはり山瀬やませさんは死んでしまう。

 そこにはユウヤ君が関係している。


 つまり、山瀬やませさんの命の危険はまだ続いているから、助けてあげろ。という事だ。


 ううむ……。正直いきなりそんなことを言われても……という感じは否めなかった。


 一週間以内に山瀬やませさんに何か危険が及ぶというなら、そりゃ何とかしてあげたいけれども――

 そもそもそれって、一体いつどこで起こることなの?

 ホテル行きのデートについてはミライがホテル名まで教えてくれたから、その場所に行くことができたし、結果として二人のホテル行きを止めることもできた。


 でも本当のことを言えば、あの時だって僕自身は大したことはしていない。

 ユウヤ君が大きな声で騒いだために周りの目を引いた。それが理由で、あの場は乗り切れただけだ。

 ぶちゃけて言えば、僕はあの場に行った以外何もしていない。


 しかも今回は時間も場所もわからないと来ている。

 『一週間以内くらい』とミライは言っていたけれど曖昧すぎだ。

 それこそ山瀬やませさんかユウヤ君をストーカーのように尾行でもしない限り、二人の行動を把握することはできない。

 山瀬やませさんに、


『ユウヤ君と会わないで欲しい』


 恋人でもない僕がどの立場で言うのか。

 ……かといって必死の形相で僕に頼んだミライの言葉だ。

 さすがにこのまま放っておくわけにもいかないよな、という気持ちもあった。


 正直困っていた。

 山瀬やませさんをちらりとまた目で追った。

 すると山瀬やませさんの隣にいた茂部もべさんと視線が合ってしまった。


「……!」


 気まずさを覚えて、さっと顔を背ける。何事もなかったかのように窓の外を眺めた。

 こういう時、窓際の席ってホント便利だ。


 だがその考えは甘かった。

 授業が終り、放課後。教室を出た時だった。


時枝ときえだ。ちょっといい」


 ドキリと心臓が跳ねた。ユウヤくんの顔が浮かんだ。

 振り向くと、そこには茂部もべさんがいた。

 なんだ茂部もべさんか……。という安心と共に何せ相手は茂部もべさんだ。少しかしこまる。


 ドアに背中をもたせかけた彼女。たぶんそんなつもりはないのだろうけれど、細めた眼で睨みつける様に見ている。威圧感がある。


「……う、うん? ……な、何……?」

「こっち来て」


 曖昧な返事をする僕の事など気に留める様子もなく、言い捨てる。

 くるりと体の向きを変えてつかつかと歩き出した。

 もし外套マントでも纏っていたらさぞかし綺麗に宙を舞わせた事だろう。それほどに颯爽とした動きだった。


 そんなものを見せられたら自然と茂部もべさんの背に着いて行ってしまうというものだ。

 ……なんていうんだろうなぁ。

 以前カフェに誘われた時もそうだったのだが、その堂々たる態度や歩き方には人を従わせる何かがある。


 どこまで行くのだろうと、茂部もべさんの斜め後ろについて歩く。下駄箱の横を抜け校舎の外まで来てしまった。

 この時間、部活動をやっている人以外は通ることのない場所だ。


 茂部もべさんは先ほどと同じように校舎の壁に背中を持たせかける。

 俯き加減で言った。


「ねえ、あんたさ。亜未あみのことどう思ってんの? 好きなの?」

「ひぇっ!?」


 突然の詰問に喉から奇怪な音が漏れた。

 これまでの人生でこんな変な声を発した事はないだろう。


「こっち見過ぎなんだよ。バレバレだっての」

「…………」


 こっそり隠れて見ていたつもりだったが……。

 ……そ、そうか……バレバレなのか。


「いや……。別に好きっていうわけじゃ……。でも気になるっていうかなんていうか……」


 濁してみる。

 だがしかし茂部もべさんはそんな僕を許さない。ぎょろりと目を剝き、鋭い視線で僕を刺す。


「おい。グダグダ言ってんじゃねえ。はっきりしろ」

「は、はひっ」

「どうなんだっ! あ? 好きなんだろ!? 亜未あみのこと!」

「あ、あぅ……」

「どうなんだよっ! 言えよっ!」

「……すっ……好きです! すごく好きです……」

「よしっ! だよな! そうだよなっ!」


 な、なんなのこれ……。強制告白の刑かなにか……?

 僕、何か悪いことでもしたっけな……?

 茂部もべさんの中では『山瀬やませさんを好きなヤツは許さない罪』とかあったりするの?


「あんたもわかってると思うけどさ、亜未あみってかなり可愛いじゃん? 可愛いよな?」

「あ、う、うん……。可愛いと思います……です……」


 は、はずかしい……! なんでこんなことを茂部もべさんに言わなきゃいけないんだ!


「当然、男子から結構人気あるわけよ。モテるわけ。告白だって結構されてるみたいだし」

「そ、そうなの……? いや、そうだよね……山瀬やませさん素敵だし。男子ほっとかないよね……」

「だろ? そうなんだよ。そうなんだよ……。それなのにさぁ……なんで?」

「……なんでって……?」

「なんでお前なんだって聞いてんだよ」

「……へ?」

「だからぁ、亜未あみもさ。お前のこと気になってるみたいなんだよ」

「や、山瀬やませさんが、僕を……!? ほんとに!?」


 以前ミライにも似たようなことを言われた。

 それに加え山瀬やませさんと仲の良い茂部もべさんにまでそう言われると、さすがに真実味が湧いてきてしまうというものだ。


「こないだカフェに行った時、亜未あみのこと呼んでやったろ」

「あ、うん……」

「あの時、お前も少しは気づいたよな?」

「あー、いやぁ…………」


 正直、山瀬さんの気持ちなんて全く気付かなかった。

 というより、あの日は山瀬さんと気まずい感じで別れたことの方が印象に残っている。

 

「ま、まあねぇ……」


 でも、下手に本当のこと言うと怒られそうなので、一応話を合わせておくが吉。


「あの時だってまだ誤魔化してたんだけどさ。やっとだよ。やっと白状した。さすがに耳疑ったよねぇ。だって時枝ときえだだよ?」

「あ、あはは……そう、だね……。時枝ときえだじゃ……」


 なんだかすごい失礼なこと言われている気がするけど。


「最初はさ、大野おおのに言い寄られて困ってるから適当言ってんのかって思てたんだけど、どうもマジっぽいんだよなぁ……。ありえねぇわ……」

「それ……ほんとなの……?」

「何であたしがあんたにこんな嘘つかなきゃなんねーんだよ」

「確かに……。でも山瀬やませさんが、まさか僕のことなんて……」

「だよなぁ。あたしもそう思うんだよ。時枝ときえだだもん。どこがいいんだろ」


 怪訝な表情で茂部もべさんは僕の顔をじろじろと見る。

 えーっと……。もう少しフォローしてくれても良い気はするが、にわかには信じがたいのは僕も同じ気持ちです。


「ま、それは亜未あみが決めることだから、私はそれはいいんだよ。それはいいんだ……。あたしが気に食わないのはそういうことじゃない」


 そう言うと茂部もべさんは、寄りかかっていた壁から勢いをつけて背中を離した。僕に詰め寄ってくる。


「……ねぇ……。私はどうなるのよ?」

「は、はい?」

「はい、じゃねーだろ。こんなすごい情報聞いておいて、はい、ってなんだよ。お前なめてんのか? あ?」

「い、いや、そういうわけじゃないけど……」


 怖い、怖いって。茂部もべさん。


「お前は亜未あみに気に入られていいよな? いいよなっ? なのに私は……全然……わ……、わ……」

「…………わ?」

「わ……わ……脇屋わきやくん! 脇屋わきやくんだよ! ねえ、どうなんだよっ!」


 真っ赤な顔で茂部もべさんは叫んだ。

 その勢いが強烈で、後ずさる。


「ど、どうって……言われても……」

「なんか、そういう話出てないの!? 私の事を良いなとか! 可愛いとか! そういうの聞いてない!? ねぇ! 最近結構頑張っておしゃれしてんだけど! わかるでしょ!?」


 必死な茂部もべさんには申し訳ないのだが、以前から盛りに盛っている茂部さん。「最近頑張っている」と言われてもどこがどう変わったのか、僕にはさっぱり分からなかった。


 それに未だかつてヒサシ君から茂部もべさんに関する恋愛話は一度も聞いたことはない。一度たりともだ。

 これからもそういう話が出ることはないだろう……。


 でも詰め寄る茂部もべさんを前にして、とてもではないがそんなことは言えない。言ったら言ったで何されるかわかったもんじゃないし。


 ヒサシ君との会話を必死に思い出す……。

 うーん……うーん……。なんかあったかなぁ……。

 必死に考える最中も茂部もべさんの視線が鋭く刺さる。怖い怖い。絶対に逃がさないという意思を強く感じる。

 視線にびびりながらも……そうだ……そうだった!

 一つだけあったことを思い出す。

 僕は無意識のうちにぽんと手を叩いていた。

 

「そういえば……!」

「え! なに!? なんか言ってた!?」

茂部もべさんのこと、見かけによらず結構マメ、みたいなことは言ってたかも! ちょくちょくLAINがくるからって感じのこと言ってた!」

「ほんと!? 脇屋わきやくんがそう言ってたの!? そうなんだぁ……へへへぇ。あたし結構マメなタイプだからなぁ。……で、他には?」


 他っ!?


「……え、あ、う、うーん……? 他……他……。えーっと……それ以外は特に聞いたことないかもなぁ……まだ……」


 ヒュッ! ゴスッ!

 

「ッ! なにすんの!」


 風切り音が聞こえた直後だった。

 茂部もべさんのローキックがふくらはぎに直撃していた。


 痛みがびりびりと骨まで響いている。

 いや、ちょっと待って……女の子ってローキックするものなの? っていうか、こんなすごい蹴りができるもんなの?


「役立たず! ふざけんな!」


 おまけに今にも噛み付いてきそうな勢いで怒鳴られた。


 華子かこといい、茂部もべさんといい……。

 ヒサシ君を好きになる女の子は強い人ばかりだ……。


 だがこの理不尽な怒りをどうにか鎮めないとほんとうに何をされるかわかったもんじゃない。

 ……何かいい案がないものかと必死に考えていた僕はここでふと閃いた。

 

「も、茂部もべさん!」

「あんだよ!」

「提案があります……!」

「提案……? 適当なこと言ったらただじゃおかねぇぞ!」

「も、もちろん……気に入ってもらえると思うです……!」

「ほう……? 言ってみな」


 腕を組んで軍隊の上官のような貫禄をもって言う茂部もべさん。

 それは普段なら少し怖くもあるが、これから話す僕の提案を考えると、今はむしろ頼もしくすら思えた。


「ヒサシ君を誘って出かけるってのはどうかな? 山瀬やませさんも誘って4人でご飯食べに行くとか。もちろんヒサシ君には僕が話しとくし茂部もべさんの事も応援するし!」


 これなら茂部もべさんはヒサシ君と一緒の時間を過ごせる。

 僕も山瀬やませさんと一緒に過ごせて一石二鳥……。


 それだけじゃない。

 山瀬やませさんの予定を茂部もべさんが聞いといてくれれば、ミライの言っていた事も解決できるかも……しれない。

 一石三鳥だ。我ながら天才的な閃きじゃないか!



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