第27話 未来(みく)3
「
とても晴れた日。教室の窓から空を眺め、考えていた。
憎たらしいくらいに空は青く、まるで加工された写真のような美しさだ。
大きな雲が視界の右からゆっくりと流れてくる。
もしこの空に雲がなかったとしたら、現実なのか写真なのか判別がつかないくらいに動きのない空に、私は吸い込まれるように魅入っていた。
それもあって、名前を呼ばれたことに気付くのが遅れた。
「……へっ?」
とっさに振り向くとクラスメイトの男子が立っていた。
「あ、あの。
「……え、えっと……ケーキ……?」
青い空にあった意識に突然ケーキが放り込まれた。
その落差に理解が追い付かず問い返していた。
「最近流行ってるシナモンケーキが有名なお店なんだけど……知らないかな?」
声をかけてきた男子は顔を赤らめ、視線をそらす。
……あ、ああ、そういうことか……。
やっとのことで頭が状況に追い付いてきた。
これって、つまりいわゆる……デートのお誘いってことね……?
男子から誘われるってのは、女としてはやっぱり嬉しい。
それにちょっと誇らしげにも思えた。
でもこの男子の希望に沿う回答をするには、二つ問題があった。
一つは、当面、放課後の時間は余計なことには使えないってこと。
そしてもう一つは、この男子……何君だっけな……?
同じクラスということ。顔も覚えているのだが……。
山下君……だっけな、いや横山君……?
「そのお店は知ってるけど……ごめん。今日用事あるんだ」
「じゃあ、明日ならどう……?」
「んー、ごめん。明日もだめかなぁ」
「そ、そっか。空いてる日は? 僕はいつでもいいんだけど」
「当分、放課後は空いてないかも……」
「へ……? ……あ、ああ。そういう事……わかった……」
「当分、放課後は空かない」というのは決して断りの為の文句ではない。それが本当のことだ。
だが、この回答の仕方は、あなたとデートする気はありませんよ、と受け取られても仕方ない。
実際、
「ごめんね。誘ってくれてありがと」
と手を合わせ、できるだけの笑顔と感謝を込めて謝罪をしたのだが、彼は引きつった笑みと乾いた笑いを残して背を向けてしまった。
その顔、私に対する負の感情が思い切り出ちゃってますよ。
まあ、こんなデートの断り方をしておいて『ありがとう』と言うのは失敗だったかもしれない。彼からしたら何言ってんだという感じだろう。
でも、放課後の時間が自由に使えるようになるのがいつになるかわからないのは本当のことだし、それに私の男子を見る目はかなりハイレベルだったりもする。
名前もわからない男子君。
私とデートするならもう少し大人の余裕も欲しいところだ。と、同年代の男子に対して無理な注文を付けてしまうのは、やはりおじさんの影響だろう。
その男子の背を見送っていると、入れ違いのように女友達がやってきた。
「ちょっとぉ。見てたぞぉ、
「えー、そんなつもりはなかったんだけど……。ほんとに放課後は用事があって」
「またまたぁ~。
なるほどそうだ。彼の名前は山田君だ。覚えておこう。
だがつい先ほどまで彼の名が山田君ということすら覚えていなかった私だ。
彼の何が嫌かなんていままで考えたことすらない。
「別に嫌じゃないよ、山田君。断ったのはほんとにそう言うんじゃないし」
さっそく山田君の名を使ってみる。
その山田君は教室の端っこのほうで男子3名と談笑していた。
わざとらしく泣き真似をしており、周りの男子がよしよしと慰めている。
ちょっとした笑いも起こっていた。きっとデートの誘いが断られたことを皆でネタにしているのだろう。
そういうところは、私的には減点だったりするけどなぁ。
ただ、実際、山田君だろうが誰であろうが、私の心はデートどころの騒ぎではなかった。
今の私は考えなければならないし、確認しなければならないことがあった。
ぶっちゃけて言ってしまえば、予想外の面倒ごとに巻き込まれていた。
しげちゃんが
これがどういうことを意味しているのかはわかっていても、その理由がまったくもってわからなかった。
おじさんが残してくれてた情報によれば、私のいる世界としげちゃんの世界に大きな『変化』が多いほど、介入ポイントは出来上がりやすいはずだった。
向こうの世界は
それなのに例のパソコンモニタには、しげちゃんが二人のホテル行きを止めた直後らしき画像が一つあるだけで、以降一切出来上がっていない。
そうなのだ。私の記憶では、他にも画像は残っていたと思はずだ。
でも、その一つの画像以外は全て消えてしまっている。
これは絶対におかしい。向こうで何かが起こっている――。
あまり余計なことをしないほうが良いと思っていたし、しげちゃんに会うのも次で最後にしようと思っていたのもあって、つい先日まであの部屋に出入りしていなかった為に、それに気づくのが遅れてしまった。
何かが起こっていることは間違いない。だがその何かがわからない。
一つだけ残っている介入ポイントを使ってしげちゃんに確認しに行く手はある。でもその時点(二人のホテル行きを止めた直後)で私の予期せぬことが起こっている可能性は低いと思えたし、一度使った介入ポイントは消えてしまう。
まだこれを使うべきではない。
だからここ数日、学校が終わると直接おじさんの部屋に向かう日々を送っていた。
今日も自転車を走らせおじさんの部屋の前についた。
無意識のうちに気持ちが急いていたのだろう、着いた頃には息が少し上がっていた。
呼吸を整えつつ、ぐちゃぐちゃに乱れたカバンの中から鍵を探す。
「あ、あれぇえ……どこだ……」
こんなにも限られたスペースしかないカバンの中を2度、3度ひっくりかえしたが見つからない。
見つからないことで焦燥感が募り、キーホルダーすらつけていなかった自分に苛立つ。
というのも、最近学校からこちらに直行している為、家に帰るのが少し遅くなっていた。それに対してお母さんが小言を言い始めている。
『学校終わったらすぐに帰ってきなさいって言ってるでしょ! 毎日何してんのよ! まさか変な男と遊んでたりするんじゃないでしょうね!?』
私はもう高校生。いくらなんでも過干渉過ぎやしないか。
別に変な男と遊んでいるわけではないし、それに以前お母さんは言っていた。
お父さんとは高校生の頃に出会い、交際を始めたと。
しかもお父さんとの恋愛は付き合ったり別れたりを繰り返す、波乱万丈な恋愛だったと、過去の思い出に浸るように、自慢げに言っていたではないか。
『今じゃお父さんもアレだけど、当時はかっこよくてね。大恋愛だったわ。あんたもいい恋しなさい』
いい恋しなさいと言うわりに、少し帰りが遅くなるだけで小言を言う。
自分が言ったことを忘れてしまったのか、都合よく記憶が改変されているのか、はたまた自分のことは棚に上げているのか知らないが、お母さんのこういう身勝手なところ、好きじゃない。
私がお母さんもに対してそういう感情を募らせていることを察しているのか、最近はお母さんからも話しかけてくることは少ない。
その割に私の行動だけはいちいち監視するようなところがあるから困っている。
それにお父さんから聞く話は、お母さんからのそれとは少し違っていた。
『母さんは昔は随分とあか抜けていてなぁ。しかも押しが強かった。押しに押されて……押し負けて。そんな感じで気づいたらいつのまにか結婚しちまってたよ。はは!』
から笑いしていたのが印象深い。
一体全体、真実はどこにあるのか。
二人のことを知っているおじさんに聞けば、もしかしたらどちらが正しいことを言っているのか判明したかもしれないが、なんだか親の恋愛って……正直、あまり詳しくは聞きたくないという気持ちもあった。
ちなみに、この件に関して私は心のなかではお父さんに一票を入れている。
「はあ、今日も何か言われんだろな……」
やっとのことで鍵を見つけた私は、お母さんからの小言の一つ二つは覚悟して、ドアを開けた。
もうここに来るのも手慣れたもので、すぐにおじさんの部屋に向かい、パソコンの前に座った。
右のモニタを確認すると、そこにはフィルムみたいな画像が2つ並んでいた。
「あっ!」
やっと、やっとだ。新しい介入ポイントが出来上がっていた。
以前からある画像は部屋全体が赤っぽいのだが、新しくできた画像はずいぶんと暗かった。
その画像にはベッドの上で膝を抱えるようにして寝転がるしげちゃんが映っていた。
私は椅子から立ち上がるとその画像をクリックしSubmitボタンを押す。
デスク周りの機器が小刻みに明滅を繰り返し、小型カメラがチリチリ、ウィンウィン動き出す。
部屋の天井の隅々にあるスピーカーのような機器からは、この部屋全体の空気を揺るがすような波動が伝わってくる。
実際にはその波動によって空気が流れるわけでも、風が起こるわけでもない。
私の体全体に直接的に超微振動が伝わるってくるような不思議な感覚に包まれるだけだ。
目の前にある空間が右に左にふにゃふにゃと揺れ始める。次第にその揺れが大きくなり、最後には渦のようにぐるりと周りだす。
目が回ることはないし気分が悪くなったこともないのだが、何回体験してもこの感覚には慣れない。
ぱっと目の前の景色が鮮明になると、私はしげちゃんの寝転がるベッドの足元に立っていた。
画像の通り、部屋の中は真っ暗だ。
それもそのはずだ、カーテンが全て閉まっている。
カーテンの隙間から少しだけ光が入ってきてはいたが、生地が厚い遮光カーテンなのか、部屋にはそのかすかな光以外の光源はない。
ほとんどが暗闇に支配されている部屋の中、ベッドに寝転がるしげちゃんは私に背を向け丸まっていた。
私が来たことに気付いていない様子だ。
「しげちゃーん……」
もしかしたら疲れているのかもしれない、体調不良で寝ているのかもしれない。
気遣って小さな声で呼んではみたが、ぴくりとも反応しない。
「しげちゃーん……寝てんのー?」
再度繰り返すも、やはり返事はない。
「もうっ」
独り言ごちる私だったが、悠長にもしてられない。
毎回その長さは違うのだが、この世界に介入していられる時間はあまり長くはないのだ。
今度はしげちゃんの耳元に顔を近づけた。
「しげちゃーん! おーい! 女神様がきたよぉー!」
これならさすがに気付くだろというような声の大きさと、はっきりした口調で呼んだ。
それでもしげちゃんは丸まった姿勢のまま微動だにしなかった。
なんだよぉ! いい加減起きろ!
再度声をかけようとした時だった。
「……うっさい。わかってるって」
丸まったまま随分とつんけんとした愛想のない返事が返ってきた。
「な、なんだ……気づいてたの。なら無視しないでよ」
「……何? なんか用?」
「ちょっとぉ。言い方ぁ……」
「……用がないならとっとと帰ってくれ……」
これにはさすがにカチンときた。
私の知ってるおじさんは絶対こんなこと言わないし、どんな時でも優しく微笑みを向けてくれるようなジェントルメンだ。
ほんとに同じ人物なのかと疑ってしまう。
少々頭に来たこともあって、厳しい態度と言葉で接してやろうとした。だが、面倒そうにゆらりと体を起こしたしげちゃんの顔を見た時、私は驚きと共にその言葉を飲み込んだ。
酷くどす黒かったのだ。
これは暗闇のせいでそう見えているのではない。
やつれているというレベルを超え、生気が全く感じられない眼をしていた。
「な……えっ? ちょ、ちょっと……どうしたの、その顔……」
「……顔?」
「すごいやばそうな顔してるじゃん! 体調悪いの!?」
「……別に……普通だよ……」
しげちゃんは掌で顔を触った。
顎を撫でる。じょりじょりと音がした。
「え……? 髭、剃ってないの?」
「……そういえば……結構生えてるな……はは……」
笑うしげちゃんだったが、その目は全く笑っていなかった。
私はこの時、やはり自分の予感は間違っていなかったことを確信し始めていた。
でなければ、それなりの清潔感だけはあったしげちゃんが、こんなに酷く荒んだ状態になっているわけがない。
「しげちゃん。あの後なんかあった? うまく行ってないとか?」
できるだけ冷静を保つよう落ち着いた口調で聞いた。
しげちゃんは、私のことをゆっくりと見る。
視線を上げていくしげちゃんの目が私の瞳を捉えた時、その表情を全く変えずに、涙をぼろぼろと零し始めた。
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