第25話


 ユウヤ君に対する気まずさを抱えたまま学校に行くのは憂鬱だったが、実際に登校してみると、まるで山瀬さんとのデートを邪魔したことなど無かったかのように、


「よお。おはよ、時枝ときえだ


 ユウヤ君は笑顔も爽やかに声を掛けてくれた。


 それは、ほっと胸をなでおろす気持ちにはさせてくれたが、先日のことを考えれば不気味でもあった。


 しかもクラスメイトの僕に対する扱いも以前と変わりがない。

 パシリ扱いも酷い事を言われることも一切なかった。


 山瀬さんのおかげで作られた平和な日々は、不思議と続いていた。


 ユウヤ君に歯向かうような態度を取った以上、以前のような扱いを受けることは覚悟していたのだが、すっかり肩透かしを食らった形となってしまった。


 意外だったのはこれだけではなかった。


 学校から帰宅して部屋でゆっくりとしていた時だった。こんこんとドアがノックされるとがちゃりと大きな音を立てて開けられた。


「ねねっ、おにいちゃん!」


 ついさっき家に帰ってきたばかりの華子かこ。ドアの隙間から顔を出した。


 いつもよりは早い帰宅だが、どこかで遊んでいたことがパッと見てわかるくらいに、かなり派手な化粧をしていた。


「……ねねっ、じゃないだろ。お前さぁこないだも言ったよなぁ」


「……ん? なんだっけ?」


「はぁ……」


 何が悪いのか理解できていない妹に大きなため息で返事をした。

 ダメだ。こいつの頭には、学ぶという文字はないらしい。


 実際、華子かこは「ちょっといい?」と言いながら、すでに部屋に足を踏み入れている。

 僕のこと、ナメきっているな。

 

「あのさ、こないだお願いした件なんだけどぉ……あれ、どうなってる?」


「……へっ? お願い?」


 何のことかわからず頭の中をサーチしてはみたいが、華子かこからのお願いといわれても、特に思い当たらなかった。


「もしかして忘れてた?」


「……えっと、ごめん。なんだっけ……?」


「ほら、ヒサシさんの」


 華子かこが言った瞬間、思い出した。


 『ヒサシ君に会ってお礼をしたい』というやつか!


 茂部もべさんからのミッションを達成していたことで満足しきっていたこともあって、いつのまにか頭の中からすっかり抜け落ちていた。


 これは華子かこに下手なことを言えないな、と反省。


「あぁ……会ってお礼したいってやつ……」


「そうそう、それ」


「……ごめん、まだ話せてないや」


 話せてない、というのは若干の嘘が混じっているが、つい自分可愛さにそう言ってしまった。

 そんな上っ面の弁明を許してくれる妹ではあるまい。

 これは責めの言葉の一つや二つは覚悟をした。だが、


「やっぱりねー。そんなことじゃないかと思ってた」


 予想外にも穏やかな返事が返ってきた。


「いやぁ、ほんと悪い」と手を合わせ謝る。


「まあ、お兄ちゃんのことだから、忘れてるかもなぁって予想はしてたけどねぇ」


「なんだよそれ……。まあ、でもほんとごめん。タイミングなかなか無くて。今度話しとくよ」


「あ、いや。それなんだけど無理しなくていいや」


 そんな機会があるかはわからないけれど、一応前向きな言い訳をしたつもりだった。

 それに対して、華子はあっさりとした口調で言ったのだった。


 これには拍子抜けしてしまった。


 以前のヒサシ君に対するあのテンションの高さはどこへ行ったのか。

 

「……へ? いいのか?」


「うん。あれからもうずいぶん経っちゃったし。タイミングって、あるじゃん?」 


「でもお前、ヒサシ君のことかなり気に入ってたじゃん?」


「うん、まあ、あの時はねー。でも、やっぱいいや」


 この件を忘れていた僕が言うことではないが、以前の華子かこの態度から察するに、かなりヒサシ君に熱を上げていたのは間違いない。


 それにも関わらず突然のこの展開。

 妹の変わり身の早さに不自然さを感じながらも、正直なところ面倒事がなくなったことに僕はホッとしていた。


華子かこがそう言うなら僕は別にいいけど……」


「うん。ヒサシさんも色々忙しいだろうしねぇ」


「お、おう……お前が相手のことを考えるなんて意外だな……」


「何言ってんの。私はいつでも相手の立場に立って考えるタイプだよ。知らなかった?」


「じゃあ、是非ともノックの返事があるまでドアは開けないでもらえるかな」


「……細かいこと言うなあ……。それは別にいいじゃん。大したことじゃないし」


「そういうとこだ。相手のこと考えてないって言ってるのは」


「はいはい。……ま、それはそれとしてさ」


 そう言って僕を見る華子かこ。目がきらきらと輝いている。


 おい。何だその目……。嫌な予感しかしないぞ。


 華子かこが何か別のお願い事をしてきそうなことを察し、いぶかしむ。


「な……なに……なんだよ?」


「ちょっと! そんなに身構えないでよ!」


「なんか別のお願いしてきそうだからだよ……」


「へへぇ~……さすが兄妹だねぇ。よくお分かりで。――ねぇ、こないだどうだったの!? 教えてよ!」


「こないだ? ってなんのことだ?」


「またまたぁ~、しらばっくれてっ! 山瀬さんとデートしたんでしょ? うまく行ったの?」


「なっ……! なんでお前それを知ってるんだよ!」


「ふふふ! ほら当たり! 妹をなめるなよ!」


 なんでもお見通しだといわんばかりの視線を向ける華子かこ

 なんか屈辱的……っ!


「べ、別にどうっていうこともない! オーディオ見に行っただけだし」


「ふーん、それ以外は? 何も進展なし?」


「……今度、また行こうって話には、なってるけど……」


「おっ! やったじゃん! お兄ちゃん!」


 華子かこは自分のことのように声を弾ませた。


「ねね。お兄ちゃん。提案なんだけど。私が恋のキューピッド……してあげよっか?」


「……は、はあ!? 何だそれ?」


「取り持ってあげようか? っていってんの」


「……言葉の意味はわかってる。馬鹿にすんな」


「してないって。でもお兄ちゃんのことだからマニアックな話しかしてないんでしょ。だからよ」


「う、うっさい! 余計なお世話だ……」


「強がらない。強がらない。お兄ちゃんだけじゃどう考えてもあんな綺麗な人とデートしても盛り上げらんないだろうからさぁ。私が手助けしてあげてもいいよってこと!」


 その上から目線の言葉にイラっと来たが、確かに買い物デート中に自分の趣味に走ってしまい、山瀬さんをほったらかしてしまったのは事実だったりもする……さすが妹だ。


 だが僕にもプライドと言うものがある。


「……僕と山瀬やませさんはお前が考えているような関係じゃないし……」


「またまたぁ。お兄ちゃん山瀬やませさんのこと、好きでしょ?」


 ……妹よ。

 そういうことを兄にさらりと言うな。

 顔から火が出るほど恥ずかしい。


「……な、何言ってんだ……べ、べ、別にそういう感情で山瀬やませさんを見ているわけじゃない……」


「ふふっ。隠すなって! お兄ちゃん見てりゃすぐわかるっての。じゃなかったら服のことなんて私に聞いてくるわけないしねー! ぷふっ!」


「……っ!!」


 本当になんでもお見通しのご様子で。


「あ! 私が山瀬やませさんとデートしたいっていう体で、3人でデートしてあげよっか!? それなら自然じゃない!?」


「嫌だよ! なんでお前が来るんだ!」


「お兄ちゃんどうせオーディオの話しかできないんだからさ。サポートしてあげるって言ってるの!」


「……うぐっ!」


 それは……それは確かにそうかもしれない……のだが……。


 妹にこうもはっきりと言われてしまうのは、どうにも釈然としない。


「私もさぁ。山瀬やませさんとお話してみたいってずっと思ってたし! それにお兄ちゃんの彼女さんがあんな綺麗な人だったら鼻高いしね! 私も山瀬やませさんとこれからも一緒に遊びたいし! ね? どう? WinWinじゃない? これ!」


「何がWinWinだ! お前を連れてくわけないだろ。アホか!」


「なんでよー、いいじゃん! ぜったいうまくやるから!」


「いい加減にしろ!」


 断固として反対する僕をよそに、華子かこは用件はこれで済んだといわんばかりに、手をひらひらさせた。


「考えといてよー」


 捨て台詞のような言葉を残し、部屋からするりと出て行く。


「ちょっ! おい、華子かこ! 待て!」


 ばたんとドアが閉まった。華子かこからの返事は返ってこない。


 こいつ……本当に人の話を聞かないヤツだな……。


 それにしても……だ。以前はヒサシ君。今度は山瀬さん。

 ころころと変わるその興味の移り変わりは逆に感心してしまう。


 だからといって山瀬やませさんとのデートに華子かこを連れて行くことにはならない。なるわけがない。

 こんな羞恥プレイのような辱めを受ける筋合いはない。


 ……だが正直なところ、華子かこが一緒に来ることで山瀬やませさんとの関係性に進展があるなら……アリかもな。とすこし思っている自分がいた……情けない。


 華子かこがいなくなって静かになった部屋には赤い光が差し込んでいた。

 部屋全体が綺麗に染まっている。


 日は暮れ始めている。間もなく夜が降ってくる。





 朝起きて、準備をして、パンをかじり、家を出た。金曜日。


 何年も続けてきたルーティンに疑問を抱くこともなく、今日も条件反射的に同じことを繰り返した。


 こういう時、歩きながらやはり思うことがある。


 ――僕はなぜ学校に行っているのだろう。


 最近、その考えに少しだけ変化があった。

 それは生活に少しの色どりと、繰り返す日常に意味を与えてくれた人がいるから。


 それが例え不純な理由だったとしたって、何もないよりはいいじゃないか。

 

「おはよぉ」


 教室に入り席へ着くと、ヒサシ君に挨拶をした。

 うっす。と軽く手を挙げて挨拶を返すヒサシ君。


「ユウヤ君、今日も休みだってよ」


 まるで連絡事項でも報告するような調子でヒサシ君は言った。


「二日連続ってめずらしいね」


 ユウヤ君の席を見た後、僕は教室を見回した。

 正確に言えば、見回したというよりも、目的があって見た、というほうが正しい。

 だが目的の人はいなかった。

 山瀬さんは席にいなかった。

 

「あれ? 山瀬さんも来てない?」

「みたいだな。学校来るの早いタイプなのにな」

「だよね。いつも僕より早いはずだけど」

「ま、山瀬のことはわかんねぇけど、ユウヤ君は月曜には来るだろ」


 ヒサシ君はたいして気にもしていないそぶりで言った。


 だけれどもどうにもこの状況が腑に落ちなかった。

 山瀬さんも昨日休んでいたからだ。


 二人が同じ日に、しかも二日連続で休むだなんて――あまりに不自然だった。


 週が明けた。

 チャイムぎりぎりで教室に入った僕は、すぐさま山瀬さんの席を確認した。

 騒がしい教室の中、そこにはぽつりと空席があった。


 やはり山瀬さんは今日も登校していない。


 嫌な予感に胸が締め付けられた。

 山瀬さんにはこの土日にLAINで連絡をしていたからだ。


『学校2日間休んでるみたいだけど、大丈夫? 体調悪いのかな』


 メッセージをただ1通送るだけなのに、かなりの時間を費やし文章を考えた。が、なんだかんだと打ち直しているうちに、最終的にはなんとも味気ない文章になってしまった。


 だがそんなメッセージにすら既読マークはつかず、僕のメッセージはスルー状態となったまま月曜を迎えていた。

 山瀬さんが僕からのメッセージを無視する理由がわからない。

 買い物デートをした日。別れ際には次のデートの約束だってしているのだ。

 しかもその後はこれといった接点はなかったのだから、嫌われる理由も見つからない。


 もし仮に。

 何か嫌なことをしてしまったのなら謝りたいし、嫌われてしまったならその理由くらいは聞きたい。そう思っていた。


 しかし山瀬やませさんは学校には来ず、連絡も取れない。

 僕は最終手段に踏み切った。

 

「は? 時枝ときえだもなの? あたしも亜未あみと連絡取れなくて困ってんだよねー。無視するとかありえないんだけど」


 茂部もべさんに聞いてみたのだ。その顔はやや不服そうでもあり、寂しそうでもあった。


 山瀬やませさんと仲が良い茂部もべさんですら、連絡が取れていないことに、足裏にジワリと嫌な汗がにじんだ。背筋に冷たいものが走り、鼓動が激しさを増した。

 高鳴る鼓動がうるさく耳に響く。

 ミライから言われた言葉が脳裏をかすめていく。


 ――ユウヤ君から凌辱される。


 ユウヤ君の席を恐る恐る見ると、ヒサシ君と楽しそうに話しをしていた。

 彼は今日登校している。

 それにホテル行きのデートは阻止している。

 嫌な予感は僕の勘違い。思い込みにすぎないはずだ。


 でもだったら何故――。

 山瀬やませさんは今日も学校に来ていないんだ――。


 その答えはあまりにもあっさりと、その日の帰りのホームルームで知ることになった。

 授業が終わった解放感から、いつものように教室内は騒然としていた。

 そこに担任が入ってきた。


「あー、お前ら静かにしろー!」


 バンと教卓を叩く。だがそう簡単には静かにはならない。


「静かにしろぉー!!」


 2度目の大声でやっと少し騒ぎが収まってくる。

 だが全員が担任の言葉に耳を貸すまでには、そこからまだ少し時間がかかった。

 徐々に徐々に静りを見せる教室。担任は皆の前でじっと待っていた。

 頃合いを見た担任は、やけに神妙な面持ちで話を始めた。


「今日はみんなに報告がある」


 目の前の生徒達を見回す。担任は「んんっ」と咳ばらいを挟んで間を置いた。

 何か異様な雰囲気。言いにくい事をいわなければならない、そんな素振りだ。


 まだ話をしていた生徒でさえそれを察し、口を閉じて担任に注目し始める。

 教室は静まった。

 担任は視線を山瀬やませさんの席に向ける。


「先週から休んでいた山瀬やませについてだ」


 担任は「すぅー」と息を深く吸い込む。こちらまではっきりと音が聞こえるくらいに大きく。

 そして言葉を発した。


「先週水曜の夜に事故にあって入院していたんだが、昨夜、病院で亡くなったと連絡がきた。……非常に残念だ……」


 担任は口を一文字に結んだ。本当に悔しそうに俯く。

 突然伝えられた事実に教室内は静けさに包まれていた。

 皆、突然の事実の突きつけに理解が追いついていなかった。


「……ぇ」


 その中を悲痛な声が突き抜けた。茂部さんだった。

 それを契機として教室内は一気に騒然としだした。


 担任は、落ち着けだとかなんだとか言って皆の興奮を鎮めようと必死になっていたが、僕はそれを隔離された部屋の中にいるような感覚を覚えながらまるで他人事のように聞いていた。

 ミライの言葉から想像しうる得体の知れない実感が、頭の中を不気味に染め上げながら。

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