第24話 未来(みく)2
「僕が高校生の時、同級生に
おじさんはそう言って昔の話を始めた。
「目がくりっとしててとても可愛い子だった。僕はその子の事が好きでね。けど、当時の僕は自分でも認めるくらいにぱっとしないヤツだった。そんな可愛い子に見向きされるわけなんかないよ。だから諦める、というよりも最初からその子とどうこうなろうなんて考えてもいなかった。でもある日ね、突然だった。
画面に映るおじさんは、体調こそ悪そうではあったが、落ち着いてリラックスした雰囲気で続ける。
「『コンポ買いたいんだけど何がいいのか教えて欲しい』って。父さんの影響で高校生の頃にはオーディオ一式を持っていたから、クラス替えの自己紹介で音楽鑑賞が趣味と言ったことを彼女は覚えててくれたんだ」
そういえば昔。おじさんの部屋で音楽を聞いた事があったのを思い出した。凄い迫力だった記憶がある。
迫力があるというのは、決して大きな音というわけではなく、奥行きがあるというのか、深みがあるというのか。
まるで目の前に歌っている人がいるかのようなリアリティが感じられる音だった。
子供ながらに感動したのを覚えている。
「そこから僕と彼女は急接近していった。いま
おじさんは昔を思い出したのか、恥ずかしそうに眼をそらした。
今のおじさんは大人の魅力があるとても素敵な人だ。
詳しく聞いたことは無いけれど、女の人とのお付き合いなんて、いくつもしてきただろう。だって周りが放っておくわけがないもの。
そのおじさんが『女神』と評する山瀬さんという人に興味が湧いた。
「でもね。当然、僕以外にも
『番長』という言葉に、昔のアニメで見たことのある、やたらと筋肉質で体格の大きな不良を思い浮かべた。
大野という生徒のイメージが、これで合ってるのかはわからないけど。
「彼がね、僕と
今まで過ごした学校生活の中でも陰湿ないじめはあった。
私だって嫌がらせを受けたことくらい何度もある。
いつの時代でも変わらないのだということが悲しかった。
何故そんなことをするのだろうかと思ってしまう。
「でもいじめはエスカレートしていくものだ。次第にクラスメイトからも除け者扱いをされるようになった。そしてある時。
おじさんをイジメるのをやめるかわりに自分の彼女になれ……? なにそれ……。
時代劇の悪者がそんなセリフを言っているのは見たことがあるけれど、本当にそんなことを言うヤツがいることに驚いてしまった。
「もちろん
でなければそんなこと、できるはずがない。
何度かデートすればそれで
「けれどね、
凌辱。その言葉を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ち気味の悪い冷たいものが背筋に走った。
……同級生の女の子をそんな風に扱うなんて許せないという思いもあったが、それ以上にそんなことができるという
「
追い詰められて
……そんなことって……。
「でもね、全て揉み消せるわけなんてない。この件について
画面のおじさんは悔しそうに涙を浮かべていた。
零れ落ちそうな涙を必死にこらえている。
「僕は……僕は……ね。
おじさんは堪えきれず、ぼろぼろと涙を零れ落とした。
顔は悔しさに歪んでいる。
私も涙で画面をまともに見ることができなかった。
悪いのは
なんで苦しむのが
おかしい! こんなのおかしいっ!!
おじさんは少しの間、画面の中で泣いていた。が、すぅと大きく息を吸い込むと、心を落ち着けたようだった。
そして真っ赤にはらした目を向ける。
「……
たしかに、今のおじさんはけっしてナヨナヨしたような男ではない。むしろその正反対のような精悍さを持っている。
けど、さっきも同じことを言っていたが……。
昔のおじさんに会うってどういうこと……?
「
おじさんはゆっくりとした口調で話し始めた。
それはとても信じられない、夢物語ような内容だった――。
「この世界がね。パラレルワールド、つまり多世界であることを世界で初めて論証したのが僕の研究だったんだ」
◇
専門用語が飛び交う。
エントロピーの増大。熱力学第二法則。観察問題。量子デコヒーレンス。
単語一つ一つの意味すら理解が追い付かない私に一生懸命説明をしてくれる画面の中のおじさん。
正直なところ呪文を唱えられているかのようで、ちんぷんかんぷんだ。
でもたぶん……こういう事だと理解した。
パラレルワールドの存在を証明したのがおじさん。ただパラレルワールドはあくまで平行した世界であり、他の世界からはそれらを認識することは出来ない。
でも、そのパラレルワールドを意図的に発生させることは可能だという。
それが『観察者』だ。
「観察者。つまり過去に行くことだ。過去に行ってその世界を変える。そうすることで僕たちが今生きている世界とは別の世界が分岐する。僕が生きている世界では
今私達が住んでいる世界を変えることができないなら、
おじさんの望みは、そういう事だと理解した。
でも理屈はそうだったとしても、過去に行くなんてどうやって……?
おじさんは続けた。
「そもそも過去や未来などというものは存在していないんだ。あくまで人間の認識が曖昧だから時間という概念が発生しているだけであって、実際には全てが重なり合って…………っと、ごめん…………
……はい。ごめんなさい。
さっきからおじさんが何言ってんだかほとんどわかってないと思います。
「ん~……。そうだな……理論なんてどうでもいいか。えっと、部屋の中見渡してくれるかな。部屋の隅にカメラとかスピーカーみたいなのが付いているでしょ」
机の周りは管状のもの、カメラの形をしたもの、それにスピーカー? さまざまな機器が設置してある。が、言われてみれば部屋の隅々にもスピーカーのような機器が設置されていた。
「部屋の隅にある四角い箱。スピーカーみたいなものは、音がでるわけじゃない。この部屋の物理状態を整える装置だ。この世界はすべての物理状態が常に拡散し続けていて、拡散している様を僕たちは過去だとか未来だとかって感じているだけなんだ。……だとしたらだよ? ある時点の物理状態が再現できたとしたら? それは過去に行ったのと同じにならないかな? 昔『カコミル』っていうスマホアプリがあった。色々な情報を入力すると過去の映像を見れるっていうアプリだ。当時は画期的だったけど、それは単に世界中のデータベースから関連情報を引っ張ってきて疑似映像化するっていうチープなもの。でも発想はそれと同じ。僕の持っている情報や記憶も含め、事細かにデータ化して入力することで、その時点の物理状態を作り出し、介入できることに僕は成功したんだ。それがいま
いっきに話し終えたおじさんは、「どう?」とでもいうように手を広げた。
えっと……。たぶん話の大半は理解できていなかったが、つまりこのパソコンや、やたらとごてごてした機器。そしてこの部屋のいたるところにあるカメラやスピーカーみたいなもの。
これで過去にいける……ってこと、だよね?
「実際はその世界に疑似的に介入するっていうイメージだ。うーん……そうだな……ゲームのアバターみたいな感じっていったらわかりやすいのかなぁ? それと、どこにでも好きにいけるわけじゃない。いま行けるのは僕の鮮明に残っている記憶情報からデータ化した、ある一点の時空間座標だけ」
あくまで過去と同じ状況を作り出し、その世界に私はゲームアバターのように介入する。
そこで変化を作り出すことで、世界が分岐しパラレルワールドとして作り上げられていく、ということだと理解した。
「右のモニタに画像があるでしょ? フイルムみたいな枠が付いているやつ。それがいま介入できる唯一のポイント。それね、僕が高校時代に
右のモニタを見ると、穴の開いた白い帯に挟まれた静止画があった。
確かに、テレビか何かで見たことのあるフイルムと言われるものに似ている。
「
なるほど。過去のおじさんがこの世界のおじさんとは違う行動をすれば、介入ポイントは早くできあがるけど、なにもしなければ時間がかかる。
つまり介入ポイントができあがる頻度が違うということか。
山瀬さんが死んでしまうというリミットがある以上、悠長にはしてられなさそうだ。
「それともう一つ気をつけないといけない事がある。少しの変化程度では強力な補正力が働いて、元の世界と『同化』してしまうんだ。つまり同じような結果に戻ってしまう。パラレルワールドとして分岐させておく為には、大きな変化が必要ってことだね」
いわれてみればそりゃそうだろうと思えた。私が過去に介入した程度でころころと歴史がかわってしまうほど、世界は軽いものではないだろうし。
複雑な理論はわからずとも、それは感覚として私にも理解できた。
私は今一度部屋全体を見回した。おじさんの話を頭の中で整理する。
フィルムみたいな画像はこの部屋の画像だといった。
つまり昔のおじさんの部屋に行って、それで若い頃のおじさんに会って、山瀬さんが死なない世界を作るってことだな……たぶん……。
「色々話しちゃったけど、やる事は簡単。右のモニタにある静止画のフィルムをクリックした後、Submitボタンをクリックすればいい。あとは勝手にこの部屋自体が過去の状態に変化する。過去の僕……きっと会ったらびっくりすると思うよ。本当に情けない奴だから。でもそんな僕に
パソコンの操作は問題ないだろうが、なんだか思っていた以上に難しそうなお願いに、少したじろいでいた。
「自分のエゴだってことくらいわかっている。
そう言っておじさんは画面の中で頭を下げた。
そうだ。これはおじさんの最後の願い。
遠くない将来……おじさんは死んでしまうのだ。
自身の死期が近いことを悟ったおじさんは、自分で過去に介入し、
だから、私にお願いしているのだ。
あまりにも大きな責任を感じながらも、おじさんが好きだった
それに昔のおじさんにも会ってみたいという好奇心。本音としてそれもなくはない。
でも何より――。
「……うん。わかった。私なりのやり方で、やってみるよ」
既に静止しているパソコンの中のおじさん向かって、私は一人つぶやいた。
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