第23話 未来(みく)1

 右のモニタには静止画が表示されている。

 部屋の中を映した特にこれといった特徴のないものだ。

 それは昔のカメラで使用されていたフイルムというものに似ており、上下に小さな枠が並んでいた。


 正面にあるモニタにはテキストエディタが起動している。

 ずらりと大量に書かれた文章は、おじさんが書いてくれたものだ。

 過去に起きた出来事が事細かに記載されたそれは、流し読みも含めればもう3度は目を通した。

 

「思ってたのとちょっと違うけど……山瀬やませさん、助けることできたよ」


 が、私の知ってるおじさんとは違う行動をしてくれたおかげで、歴史を変えることができた。

 モニタに映る画像を眺め、そのことを改めて感じていた。


「はぁぁぁ……。よかったよぉ……」


 安堵のため息が大きく漏れた。


 学校帰りや休みの日。

 この部屋に来ては幾度もあちらの世界に介入したかいがあったというものだ。


 おじさんから部屋の鍵を受け取った時から始まった、おじさんの最後のお願い事。

 それは、それほど大したことはないだろうという安易な気持ち。それとちょっとした興味本位から引き受けてしまったことだった。


 だが、それは次第にプレッシャーへと変わっていった。

 自分が行ったところで何も変えられないのかもしれないという恐怖がずっとあった。

 




未来みくちゃん、これ、頼めないかな」


 ベッドに横たわる男性――私の伯父。

 時枝ときえだ重時しげときの手には鍵が握られていた。

 

「……鍵?」


 ぽとりと私の手に落とされたその鍵は、特徴といえるものは何ひとつない、どこにでもあるような普通の鍵だった。


 私の顔を覗き見るおじさんは口元をほころばせ優しく笑んでいた。

 その日のおじさんは元気があるほうだったが、病状は末期。

 頬はやせこけ、どす黒い。


「僕はもう長くない。仕方ないって最近は思えるようになったけど、やっぱり悔しいんだ。もっと生きたかったっていうことじゃない。どうしてもやり遂げたかったことが一つあったんだ。それができないことが悔しい」


「その後悔と、この鍵が関係あるの?」


 私は手に落とされたその鍵をまじまじと眺めた。

 病室の窓から差し込む陽光によって、金属部分がくすんでいるその鍵すら少しだけ鈍い輝きを反射した。


「それは僕の家の鍵だよ。僕が死んだらあの家の整理が始まっちゃう。だからそれより前に部屋に行って欲しいんだ。部屋にパソコンがあるから起動してほしい。あとは全てそこに書いておいたから。散らかってるのはごめんね」


 おじさんの目は真剣だった。

 優しい目をしたいつものおじさんの面影は消えてはいないが、何かの決意をしているように私は感じた。

 

「このことは誰にも言わないで。もちろんお母さんにも」


 私の母はおじさんの妹。

 いまは別の部屋でおじさんの担当医と話しをしている。

 その隙を縫っておじさんはこの話をしてくれていた。


「とりあえず部屋にいけばいいのよね?」

「うん。パソコンを立ち上げれば全部わかるようになってる。これパスワード」

「ながっ! ……ちょっとぉ……難しい事じゃないならいいんだけどぉ」

「難しくないよ。ただ少しだけ……話をして欲しい人がいるんだ。それだけだよ」

「えっ? 部屋に誰かいるの?」

「誰もいないよ。パソコンとちょっとした機械があるだけ。……未来みくちゃん。お願いできるかな」


 おじさんが何を言っているのかよくわからず首をかしげた。

 おじさんはにこりと微笑み返す。


「行けば、わかるから」


 私が物心ついた頃からおじさんは私の近くにいた。

 お父さんとお母さんは共働きで家にいないことが多かった。

 サラリーマンじゃなかったおじさんは時間に余裕があったのだろう、よく私の面倒をみに家にきてくれていた。


 優しくて。頭が良くて。それでいて力持ちで男らしい人。

 私の中ではそんなイメージの人だった。


 わがままを言って困らせたこともあったけど、それも含めて私をいつも笑顔で包んでくれた人。

 私の男性の好みは、おじさんの影響でたぶんハイレベルだ。


『昔はナヨナヨして、情けないヤツだったんだよ』


 そう話してくれたことがあった。

 ベッドに横たわる今のおじさんからは元気な時の姿は見る影もないが、それでもナヨナヨしていただなんて到底想像がつかない。


 ひょいと私を持ち上げ、よく肩車してくれたことを覚えている。

 学校で酷いイジワルをされたって泣いて話をしたら、そいつの家まで怒鳴り込んでくれたこともあった。


 気になる男の子がいるって白状したら、お洋服や化粧品を買ってくれたりもした。

 いつも私の味方をしてくれる人だった。


 はっきりいってお父さんよりも、私はおじさんになついていた。

 小学校高学年くらいだったと思うが、思春期特有のお父さん嫌い病が発動した私だったが、私のことを理解しようとしてくれるおじさんのことはだけは、嫌いになれなかった。


 おじさんは結婚をしていない。独身中年男性だ。

 一般的に見たら少し寂しい人にみえるのだろうけど、おじさんの場合、結婚できないのではなく、結婚をしない、というほうが正しいように思う。

 実際のところ顔は悪くないし、優しくて紳士的だったおじさんのことが私は大好きだった。


 だからだろう――。


「うん。わかった」


 おじさんのお願いを叶えてあげたいって思った。


「ありがとう。未来みくちゃんならきっと出来る」

「あははー、どうかなぁ。私成績良くないしなぁ」

「学校の成績がよくないのは知ってる。でもそんなこと、生きる上ではどうでもいいことだ。未来みくちゃんは素敵なものをたくさん持っている。それがあるから大丈夫」

「あ、ひっどぉ! 成績よくないとかはっきりいうし!」

「あはは」


 物理だか宇宙だか知らないけれど、おじさんはものすごく難しい研究をして、なにかを発見したそうだ。

 それで賞をもらったことがあると、私がまだ小さい頃にお母さんから聞いた。

 一般人がそういう賞を貰うのは凄いことなのだそうだ。


 今の私でも覚えられないような漢字が羅列した長ったらしい名前の賞だったが、きっと賞を貰うくらいなんだから、凄い発見だったのだろう。


 なんの研究をしていたのかはいまだによくわかっていないけれど、なんで研究を始めたのかについては、一度だけさらりと話してくれたことがあった。


『僕がもっとしっかりしていればって、ずっと後悔していることがあるんだ。だからたくさん勉強したんだ』

 

 今日のこのお願いと、その後悔していること。

 それは同じものなのかもしれない。


 おじさんは目を瞑ってゆっくりとベッドに体を預けた。

 その姿をみて、目に涙が浮かぶ。

 おじさんの前では絶対に泣かないぞって決めてきたのに。


 しゃべるのすらも体力が持たないのだろう、お母さんが病室に帰ってきた時には、おじさんはすぅと寝息を立て始めていた。


 もう長くないことは、私のような小娘が見たってわかる。

 おじさんとのお別れは近い。


 私は、おじさんとの約束を果たすことを心に強く誓って、病室を後にした。

 帰り道、お母さんが言った。


「もって3か月ってところらしいわ」


 お母さんのお父さん。つまりおじいちゃんのことを私は知らない。

 早くに病気で亡くなったらしく、会ったことがないからだ。

 おじさんも同じ運命を辿ってしまったのだろうか――不安な気持ちが増した。


 次の日、約束通り私はおじさんの家に行った。

 自転車に乗れば私の家からはドアツードアで15分もかからない。


 こんなに近いのに、思い返してみれば私がおじさんの家に行ったのは小さい頃だけだ。もう随分とここに来ていないのだということに気がついた。

 もうかれこれ10年ぶりくらいじゃないだろうか。


 おじさんの家は、お母さんの実家でもある。

 昔はおばあちゃんとおじさん、それとお母さんの3人で暮らしていたが、お母さんが成人した頃、おばあちゃんは男の人と暮らすと言って、その家を出て行ったんだそうだ。


 そういう経緯から、私はおばあちゃんのこともよく知らない。生きているとだけは聞いているが。

 孫はかわいいというが、おばあちゃんにとっては、私はそういう対象ではないのかもしれない。実際何度か会った事はあるが、大した話をした記憶はない。


 お母さんは結婚を機にその家を出た。

 結果としておじさんだけがこの家に残ったそうだ。

 

「ここだ。なついなぁ」


 鍵と同じく、何の変哲もないドア。

 築年数がそれなりに経っているから少し汚れている。

 おじさんから受け取った鍵を刺して、ドアを開けた。


「おじゃましまーす」


 誰もいないとは分かっているが一応挨拶をした。

 もちろん室内からは静寂が返えってきただけだ。


 他人の家に勝手に入るのはさすがに緊張する。廊下をまっすぐ進むとフローリングがぎしぎしと音を立て、少し不気味だった。


 がらんとしたこぎれいなリビングが出迎えてくれた。

 洋室と和室が隣り合ったリビングダイニング。そこにはダイニングテーブルと椅子。それにテレビがあるだけで他には特にこれと言ったモノは置かれていなかった。


 おじさんが病気になってからは誰も入っていないのだろう、棚には埃が積もっている。だがそれ以外は思っていたよりも整理整頓がされており綺麗だった。


 生活感のない家。埃掃除でもしてあげようかと見回しているうちに、本来の目的を思い出した。


 見る限りリビングにパソコンはなかった。

 ここに来るまでにドアがいくつかあったので、一つずつ開けて探すことにした。


 一部屋は古いオーディオが置いてある部屋だった。

 高級そうな大きな機材が鉄製のラックに入って壁際に並んでいる。


 もう一部屋は棚があるだけで、がらんとしている日当たりの悪い部屋だった。

 たぶん、ここは昔お母さんが使っていた部屋だったのだろうと想像した。


 最後に入った部屋には、机の上に大型のモニタがあった。しかも2つ並んでいる。

 おじさんの言っていたパソコンに違いない。

 そのモニタの周りにも先ほどの部屋で見たようなオーディオ機器が設置されていた。

 それだけではない。

 他にも機材がごちゃごちゃとその机の周りを取り囲んでいる。

 まるで戦闘機のコクピットのような様相だった。


「……え? これのこと……?」


 パソコンと言えば軽量薄型が主流の現在において、あまりに思っていたものとは違う機器。

 それはパソコンというよりも機械の集合体といえるようなゴテゴテとしたものだった。


 その異様な姿にたじろいだ。

 机の前できょろきょろとそれらを見回してみると、カメラレンズのようなものがついている機材を見つけた。そのレンズがこちらに向いている。


 パソコンをしている自分でも撮影する趣味があったのか? それともパソコンで会議でもしていたのだろうか? と考えたが、それにしては随分と大仰すぎる機器だと言える。


 足元にパソコンの筐体と思える大きな箱があった。

 大きなボタンがついている。電源に違いない。


「えいっ」


 おじさんがパソコンを立ち上げていいと言っていたんだから、と遠慮なくボタンを押す。小気味いい機械音がかすかに唸りを上げた。


 机の上にある大型モニタが発光しだした。

 画面には記号やら数字やらの文字列が勢いよく流れだす。


 滝のように流れる文字列をしばらく眺めていると、真っ黒な背景の中央に白色の長方形の欄が現れた。ここにパスワードを入力するのだと察した。


 その画面を見ただけでも、私が使っているパソコンとは随分と違うものだということが分かる。

 その長方形の入力欄におじさんから教えてもらったパスワードを一文字ずつ確認しながら人差し指で打っていった。


 そのキーボードにも、うっすらと埃がついていた。

 かたん。

 20桁に近い文字列を入力し終えてリターンキーを押した。


「フゥォン!」


 足元にある大きな筐体が甲高い音をたてた。

 バイクのエンジンがかかった時のような勢いある音だった。


 モニタには私の知らないオペレーティングシステムが起動していた。

 いくつものウィンドウが開いては閉じ、文字列がずらずらと流れている。

 画面の中は目まぐるしく、とてもせわしない。

 操作を間違えてしまったのかと心配になったほどだ。

 

「わわっ」


 そのスピードについていけず、半ば放心しながら勝手に動くパソコンの前で立ち尽くした。

 パソコン周辺のカメラレンズや、ごてごてとした管のような機材がチリチリ、ジリジリ、ウィンウィンと音を立て小刻みに動いている。

 

 なんならレンズが私を撮影するべく微調整している気すらした。

 その動きがまるでパソコンに意思があるかのようで気持ち悪い。


 私はどうすることもできずに勝手に動き続ける機器の前でただその光景を見守るしかなかった。

 一通りの処理が終わるまで数十秒間かかった。

 パソコンの筐体も周辺機器も、微弱な音に変わりやっとのことで落ち着きを見せた。


 するとモニタに一つのウィンドウが立ち上がってきた。

 そこには一人の人物が映し出されていた。

 おじさんだった。


未来みくちゃん。来てくれてありがとう」

「へっ!?」


 画面の中から私の名を呼んだことに、驚きのあまり変な声がでた。

 画面から飛び跳ねるようにして離れる。


 画面に映ったおじさんは優しい目をしていた。その目を私はよく知っている。

 しかし血色はあまりよくない。少しやつれているようにも見える。

  

「たぶん驚いてるよね。ごめんね。僕はきっと未来みくちゃんにお願いするだろうから、こうやってメッセージを残しておきました」


 画面のおじさんは口元に笑みを浮かべた。

 私をここに呼ぶことを以前から計画していたってこと……?

 パソコンを立ち上げればわかるといっていたのはこういう事だったのか。


「僕の我儘に付き合わせてしまって申し訳ないと思ってます。でも僕にとって、とても大事なお願いなんだ。聞いて欲しい」

 

 おじさんは、画面の向こうで深々と頭を下げた。

 そして、顔を上げ、言った。


「お願い事。それはね……僕に会って欲しいんだ」

 

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