第22話

 弾むような心持ちのまま帰宅をした。

 夕飯まではまだ少し時間がある。


 その間、音楽でも聴きながら今日のデートに思いを馳せつつ、ゆっくりしようじゃないか、と思っていた時だった。


 ベッド脇にきらりと舞う光が見えた。かと思うと、一瞬後にそれらは束となって人型に変化していく。


 光の中で顔をゆっくりとあげるミライ。

 先日とは違い、やけに優しい表情だった。

 ミライは僕がいることにすぐに気付いたようで、ぱちんと目が合った。

 すると、


「あ、しげちゃん! ねね! どうだった!?」


 跳ねるように突然詰め寄ってきた。

 疑問形で聞くわりに、その言葉の調子はやたらと明るい。


「ちょっ……。テンションたっか……!」


 先日僕の前に現れた時とはずいぶんと違う態度だ。

 怪訝に彼女を眺めながらも、ミライの言った通りユウヤ君と山瀬やませさんはホテルの前に現れたこと、デートの邪魔は成功したこと。


 そして今日は山瀬やませさんと買い物をしてきことを伝えた。


「ふふ。やっぱりねー! やればできるじゃん! おめでと!」


 やっぱり……?

 ミライは満面の笑みを浮かべて小さくガッツポーズしている。

 

「そうなんだよ。しげちゃんはねぇ。やればできる人なんだよぉ。うんうん」


 次いで、腕を組むと、一人うなずいていた。


 なんだこれ……。

 今日のミライは過保護な親のごとく、褒めちぎるじゃないか。過去一で気持ち悪い。

 僕の話を聞く前、そう、現れた時から機嫌がやたらとよいのも妙だった。


 これじゃまるで、結果を知っていたかのようじゃないか。


「すごい怖かったけどね……。でも自分でも不思議と勇気が出たっていうか、やらなきゃって思えたっていうか……そんな感じ……」


「そっかそっかぁ。で、山瀬やませさんとも買い物? デート? したと。ばっちりだねぇ」


「そっちはまったく恋愛って感じはないけどね……。でも一応、次の約束もしたよ」


「おぉー! これはもしや、本当にお付き合いできる日も遠くないんじゃない!?」


 冷やかすような目で僕を見るミライはやけに楽しそうだ。が、僕はやはり釈然としてはいない。


 それはミライの態度だけではない。

 ユウヤ君があの場で引いてくれたのは周囲の人たちの目があったからだし、山瀬やませさんと買い物デートできたのも、僕がたまたまオーディオに詳しかったというだけに過ぎないからだ。


 正直なところ、すべて偶然であり、運が良かったとしか思えていなかった。

 そしてこれからのことを考えるとどうにも気が重くなる。


「うーん。それはどうかな……。ミライほどは楽観的な気分にはなれないかな……」


「ん? 何で?」


「何でって……そりゃ山瀬やませさんとは少しは仲良くなれたと思うよ? でもユウヤ君の反感はめっちゃ買ってるじゃん……そりゃ心配になるって」


「そりゃまあ、大野の反感はかってるだろうけど」


「だろうけどって……そこに関しては全然よくなってないじゃん。むしろ悪化してない?」


「うーん……ま、最悪の事態は避けられたってこと、かな?」


「なんだよそれ……これ以上悪い事があるってこと? もう痛い思いも嫌な思いも沢山してるだけど……」


「ふふ、まぁまぁ。知らないほうが幸せってこともあるじゃん?」


 ミライは「ひひひ」とわざとらしくほくそ笑んでいる。

 これ以上があるって考えると……僕、全然笑えませんけどね……。


「あぁ……学校行くのすっごい気まずいなぁ。ユウヤ君絶対怒ってるだろなぁ……」


「少なくとも、何もしなかったよりはいいはずだから」


「学校でまた嫌がらせが再開するかもしれないのに?」


「だから、何もしなかったらもっと酷い未来が待ってたんだって」


「それ、ほんとなの……? ねえ、あのさ……」


 なんとも歯切れの悪い回答に、僕は今まで曖昧にしていた、もっとも根源的な話を切り出した。


「ミライって何者なの? いい加減教えてよ」


 アドバイスのような事を言ったり。未来の出来事を当てたり。そうかと思えばキレた態度で現れたり。今日のように明るく振舞ったり。


 しかし肝心なことは、はぐらかす。


 この子が一体何者で、何のために僕の前に現れたのか。

 それを知りたいって思うのは当然のことだろ。

 だがミライはやはり。


「だからぁ。しげちゃんの未来を変える女神って言ったじゃん」


 はぐらかし続ける。


「その設定もういいって……」


「ひどぉ。設定とか言う? ほんとのことだもんっ」


 さすがにあきれ顔で言う僕に、ミライは両手を後ろで組む。胸を張った。

 その顔、信じるものは救われるとでも言いたげだ。


 そしてその勢いで話を切り替えたいかのように、ミライは軽快なリズムで言った。


「と・り・あ。え・ず! これでしげちゃんの未来、大丈夫だと思うんだ」


「え? は、はいっ……!?」


 何を言われているのか、一瞬、なんなら数秒、理解でなかった。


「ちょっ、ちょっと待って! もしかしてこれでおしまいってこと!?」


「うん」


「うんって……! 待ってくれよ! あまりに半端すぎるだろ!」


「余計なことはあまりしないほうがいいだろうしね」


「お、おい……。嘘だろ……。僕これから学校でどうなっちゃうんだよ。これじゃ何も解決してないじゃん……」


「最悪の状況は避けられたって言ったじゃん? だから頑張って。しげちゃんなら絶対大丈夫だから。自信もって」


「なんだよそれ……無責任すぎるだろ……」


 僕はかなりの違和感を感じざるを得なかった。


 ミライは以前、僕が幸せになるために『山瀬やませさんと付き合え』と言った。


 それが今はどうだ?


 たしかに以前より山瀬やませさんと仲良くなれた。買い物デートもした。けれども恋人という感じには程遠い。というより、そんな可能性あるの?


 それに問題はユウヤ君だ。

 現時点の結果だけを見れば、ユウヤ君から反感を買ってしまっただけだ。


 つまり山瀬やませさんとは恋人になったわけではないし、ユウヤ君には嫌われている。


 状況は良くなっていないじゃないか。

 それなのに突然おしまいだって?

 これが僕の幸せとでも言うのか?


 このタイミングでの終了宣言――何かがおかしい。


 これじゃあまるで、山瀬やませさんとユウヤ君の契約デートを邪魔すること、それ自体が目的だったのではないかと思える。


 山瀬やませさんと僕が付き合うことでそのデートイベントを発生しないようにするのか、それとも直接的に邪魔をして阻止をするのか。


 望んだわけではないが、結果として僕は後者を実行した。


『最悪の状況は避けられた』


 そう言うのだから、ミライとしてはきっとその最悪の状況とやらは避けられたのだろう。


 だがその最悪とやらが起こらなかった僕にとっては何がなんだかわからないままだ。


 一体僕の行動によって、何が解決されたんだ?


 だがミライは僕が感じている違和感など気にも留めずに言う。


「ねえ。しげちゃん……私に会えなくなったら寂しかったりする?」


 体を少し傾け、茶目っ気たっぷりの上目遣い。僕の瞳を覗き込んでくる。

 アニメでよく見る『わかってる女子』がやるアレだ。

 こういう仕草も手馴れているらしい。下手に可愛いから困ってしまう。


 場の雰囲気も、僕の心の準備も待たずに、遠慮なくずかずかと踏み込んでくるその積極性につい引き込まれてしまった。

 

「ど、どうだろ……? 寂しくはない、かなぁ」


 それでも下手な抵抗を試みる。

 だが女子とのコミュニケーション経験値が少なすぎる僕の返事はぎこちない。


「もぉ! 嘘でもいいからこういう時は『寂しい』くらい言ってよ」


 ミライはぷっくりと頬を膨らます。

 紅色に染める頬。不満である事を惜しみなく表現してくる。


「け、けどさ……君が本当は何者だったのか、最後に教えて欲しいなとは思ってる」


「ふふ。女神だって。しつこい男は嫌われるぞ」


「じゃあ、なんで言えないか。理由くらい教えてよ」


「女神信じてくれてないし! もう……ほんとしげちゃん、理屈っぽいところあるよねぇ」


 冗談めかして言う彼女は、笑っていた。

 この言い方。……やはり誰かに似ていると思った。


 突然この部屋に現れた自称女神。

 体の表面には小さな光がちりちりと舞い、触れることさえできない存在。


 幽霊ではないという。まさかほんとに女神でもないだろうが、理解を超えた存在ではある。


 わざわざ僕の前に現れた意味――。

 

 今の僕にはそれはわからない。けれども僕の未来は大丈夫だと言った。

 これからのことを考えると、すがるわけではないが、その言葉を信じたい気持ちはあった。

 

「ごめんごめん。じゃあ、寂しいなぁ」


「うわぁ、言い方……」


「いや、ほんとほんと。ほんとだって」


「ま……いいよ。正直なところ、最初はどうなることかと思ってたけど、なんとかなったし。それにしげちゃんに会えて良かったって思ってる」


「僕もミライにあえて良かった。って思えるようになりたいよ」


「失礼だなぁ! めっちゃ感謝してくれてもいいくらいなんだから!」


 僕の冗談に、ミライは口をとがらせ拗ねる。

 そしてその顔はすぐに真顔になった。


「じゃ、そろそろ、


 と言ってミライは胸の前で小さく手を振った。


「結果も聞けて良かった。しばらくしたらまた様子見に来るかもよ? うれし?」


「これで最後じゃないんだ?」


「ふふ、どうかなぁ」


 曖昧な言葉と共にいたずらな笑顔を残し、ミライはいつものようにすうっと消えた。


 そこにはかすかな光の粒子がはらはらと舞っていた。


 感傷に浸るわけではないが、ミライのいた場所を少しの間眺めていた。


 最初に会ったのはユウヤ君にトイレで脅された日だった。

 突拍子もなく現れて、アドバイスだか世間話だかわからないようなことをしゃべっては、すっと消えていく。不思議な人。


 そもそもその頻度はさほど多くはなかったのだけれど、どこか憎むことのできない彼女に何故か親近感のようなものが沸いていた。


 だからだろう。こうやって突然終わりを告げられる日がくるなんて、考えたことすらなかった。


 そんなことを考えていたら、なんだか少し寂しい気持ちになっていた。

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