第21話
待ち合わせ場所には早く着くよう心がけている。
それは10分前行動が染み付いているからだとか礼儀だとか。
そんな理由からではない。単に待たれるよりも待つ方が焦らなくて気が楽だからだ。
だが、何にしても過ぎた事は得てして逆効果を生む――まさに今の僕のように。
有り余るほどの時間を持て余したことでよく言えば高揚感、悪く言えば焦燥感という、いわゆる緊張状態を存分に味わうことになった。
結果、風に吹かれる綿毛のごとくふわふわと落ち着きなく立っている。
家を出る前。思いつく限りの身だしなみチェックはした。幾度となく。
リビングのソファに寝転がっていた
「
「……うん?」
妹はめんどくさそうにごろりとこちらを向くと、いぶかしげな表情をする。
「あのさ。この服どうかな……」
「……え? な、何……突然……」
「だから……今着てる服どうかなって。別に深い意味なんてないけど……」
「こないだ買ってきたヤツだよね、それ?」
「そうだけど。なんかていうか……おかしくないかなって」
「……はぁ?」
首を傾げ明らかに不審がる妹。
普段、服の話をすることなどないから当たり前だ。
その視線から逃れるように目を逸らす。
妹は鋭く何かを察したらしい。
「ふーん……。そういうことね」
言うや、妙に面白がるような目で僕を見定め初めたはじめた。
上から下まで一通り舐め回すように僕を見る。
虫眼鏡を使って隅々まで骨董品を見る鑑定士のようだ。
「……ま。いいんじゃない。悪くはないよ」
どこか大物感すら漂う落ち着きっぷりを持ってコメントをくれた。
「そ、そうか? そう思うか?」
「お兄ちゃんらしいと、私は思うよ」
先日は65点という微妙な採点をされた服だ。『お兄ちゃんらしい』という評価がプラスなのかどうかすら疑わしい。が、悪くはないのだと思い込むことにした。
「わかった、ありがと」
妹にファッションのことを聞くというのはなんとも気恥ずかしいものだ。
そそくさとリビングを出ようとした。
その時だ――。
「ぷふっ」
笑い声が背後から聞こえた。
振り向くと、
「なんだよ……」
「別に……なんでもないけど……」
という割に顔がにやけている。
「い……言いたいことあるなら言えよ!」
「おにいちゃん……もしかして、もしかしてぇー? デート!? ね? デートでしょ!? いやぁ。妹としては嬉しい! 嬉しいけど……ぷふっ!! おにいちゃんでもやっぱ外見とか気にするんだねー! そういうの全然興味なくて心配してからさー!」
「別にそんなんじゃないっ!」
「隠さない。隠さない! ねね! 誰と!? もしかしてこないだの
「うるさい! お前には関係ないだろ!」
待ち合わせの時間にはぜんぜん早いのは知っていたが、このようなメンドクサイやり取りがあったことも手伝って、逃げるように家をでた。
まあ、家にいると落ち着かないのは確かだったし何かをしていないと頭がおかしくなりそうでもあったけれど――しかしその考えは甘過ぎたことを知る。
待ち合わせ場所についてからというもの、家にいる時以上に落ち着かないのだ。
むしろ不安と緊張は増すばかり。
おかげで興味などまったくないけれど街行く人を眺めては「人間観察も悪くない」などと独りごちてみたり。
特に調べものも連絡も来ているわけではないけれど、スマホをやたらと見たり。
さらに運悪く目の前にはガラス窓があった。
そこに映る自分をチェックするのは30秒ごとのルーティンワークとなっている。
しかもガラスに映る自分がなんともイケてないから困る。
髪が少し跳ねているような気がしたり、服のサイズあってないような気がしたり。
普段気にしなようことですら、どこか変に思えてしまう。
挙句の果てには脚が短くなったように思えてきた。これがゲシュタルト崩壊ってやつか。
とにかく落ち着くことなどできるわけがない――。
なにせ今日は
『ね、明日空いてる? こないだ言ってたコンポ選び。つきあってくれない?』
昨日、電車から降りる間際。
本当に実現してしまった山瀬さんとのデート――本人はデートとは思っていないかもしれないけれど、僕の中ではそういうことになっている!
「おまたせぇ。あれぇ。早いねぇ」
先日ユウヤ君と一緒にいた時とは違い、女の子らしいゆったりめのシャツに短いキュロットパンツ。そしてヒールのある靴を履いていた。
特筆すべきはすらりと細く伸びるおみ足だ。
特にその上部。適度にふっくらとしたふくらはぎが真っ白な砂浜のように滑らかで艶やかな光沢がある。美しい。むしろ神々しい。
制服姿も魅力的ではあるが、普段着の彼女を見慣れない僕としては直視していられないほどに可愛らしかった。
その姿に一瞬、いや一瞬ではなかった。
ほけっと彼女に見惚れていた。
「ん? なに?」
がくんと脳が揺さぶられた。
そのルックスでその仕草。破壊力の強さよ……。
男として生まれてよかった。むしろ後悔しているかも。
率直に言う。
目の前に女神がいる。
「あ。いやなんでもない。えっと……家出る時間を間違えて……。早く着きすぎちゃったんだ」
平静を装う。いらない嘘をついてでも。
脇や足裏にいやな汗がどばどば出るのを感じながらも、頭を掻いて適当にごます。
「ふふ、そうなんだ」
そしてなぜか胸の前で手を合わせる。
「ね……。あのさ……。行くお店ってお任せしちゃっていい? 私よくわかんないから」
「も、もちろんだよ! 任せて!」
上ずった声で勢いよく答える。
お願いされることすら嬉しいのだから仕方ない。
ただし、行くお店はとっくに決めてあった。
やたらと想像を働かしてしまうのは、実経験値の少ない陰キャの宿命なのです。
大きめの家電量販店にあるオーディオコーナー。僕はそこを選んだ。
駅ビルの上階フロアを使ったその量販店は、僕自身何回かお世話になったことがあるから安心だ。
ただでさえオーディオはニッチな世界だ。
専門店は僕ですら入りにくい。だから量販店を選んだというのもある。
ここのお店はいわゆるAVオーディオからピュアオーディオまで揃っており、品ぞろえは悪くないことは、もちろん知っている。
一部のマニア以外のお客さんなら、大抵の人は満足できるだろう。
オーディオといえば、大人の男性向けという印象が強い。
はっきり言うとおじさん向けの趣味というイメージだろう。そしてそのイメージは大体当たっている。
実際、お店に来ているのも大半は年配の男性だ。
だが、そのような店の雰囲気にかかわらず、僕にとってここはテリトリーのようなものだ。
自分の得意分野にはここぞとばかりに張り切ってしまう。
これも陰キャの……以下略である。
「こっちこっち」
ちょこちょこと後ろからついてくる山瀬さんをできるだけ明るい声で促した。
彼女は歩きながらあたりを見回している。
高級そうなスピーカーやアンプが棚にずらりと並んでいる。視聴が可能なガラス張りの部屋には、山瀬さんの身長位のスピーカーも設置してあった。
そして、声をかけにくそうな店員が仁王立ちしている。
「なんか……すごいとこだね……」
「慣れないと居心地悪いよね。でも大丈夫」
僕がいますからね!
オーディオは素晴らしい趣味であると自負しているが、いかんせんマニア性が強すぎて敷居が高いイメージがある。
そして実際のところ敷居はそこそこ高い。
機器一つ見るにしても、素人ではどれがアンプでどれがプレイヤーなのかすらわからないだろう。どころか、どこに目的のものが陳列されているのかすらわからない店もある。
でも僕にとっては安住の地。
山瀬さんの求めているような一般人向けのコンポが展示されている場所など、近所のコンビニよりも気楽な場所だった。
自信満々にオーディオコーナーを横断する。
少し不安げに着いてくる山瀬さん。
エスコートしているようで、なんだかとても気分がよい。
だが……。
機器の中を横断中、ふと視界に入ってしまった。
人気がありすぎて入手できなくなっているという、イギリス製のスピーカーを見つけてしまったのだ。
まさか入荷されていた――?
独特な形状をしたそのスピーカー。なんとお値段16万円。
だがしかし。一般的にはとんでもなく高額のスピーカーとして目に映るであろうが、ピュアオーディオとしては、それなりというレベルの価格帯だ。
オーディオがそんな世界だ。
だが、その性能は値段をはるかに超えるものであると雑誌で読んだ。
ライブ感のある迫力の音を奏でながらも、重低音から高音域までを綺麗に鳴らし切り、どこまでも生音のように再現するという。
今年の最優良スピーカーに選ばれたほどだった。
僕はそのスピーカーを見つけたとたん、自然と方向転換しそちらに足を向けていた。
「え? こ、こっち?」
少しだけ、本当に少しだけだから。
別にこちらを通っても
だから一瞬だけでいい。スピーカーを間近で見たい。
16万円のスピーカー前まで来た。
一瞬僕は立ち止まる。すると近くにいた店員がすぐさまやってきた。笑顔を向けてきた。
「これ……。入荷されたんですか」
本当に何気なく、ぽっと口から言葉が出た。
「ええ、昨日ですよ。こちらで最後になりますけどね」
にこやかに答える店員。
そこからはもう止まらなかった。
店員も僕がオーディオを少しは知っていることを察したのだろう。入荷経緯からスペック。最近の売れ筋傾向まで様々なことを話し始めた。
オーディオ関係の店員は当然オーディオが好きだ。
同類とみると話が長くなる傾向がある。
僕も例外ではない。
店員の話に夢中になり、自分の持っているオーディオ機器にこのスピーカーはどうなのか、ケーブルはどのレベルを使うべきか、セッティングについてのアドバイスを聞いたりと、ついつい話に華が咲いた。
わかっている。買えない。こんなものは買えない。
だが話をしているだけで楽しくて仕方がない。
だが僕の後ろには、楽しくない人が一人いた。
それに気付いたのは背中をつんつんと突かれたからだ。
はっと振り向いた時。まさにこれが時すでに遅しというヤツだと思った。
ジト目で僕をにらんでいた。
「
言葉に明らかな棘が含まれていた。
「あ、ああっ! えっと……あのぉ……。ごめんなさい……」
「もう!」
謝る僕に構わずぷいと振り向き去っていく。
すたすたと歩く
「ごめんなさい!」
店員に謝りをいれてすぐさま追いかけた。
◇
彼女は今、若い女子なら誰もが好きであろう人気のコーヒー店で買ってあげた甘ったるそうなパフェのような飲み物を手にしていた。
透明なプラカップにはクリームがたっぷりと乗っている。
そのクリームを今まさに頬張った山瀬さんは幸せそうな笑顔を見せた。
「仕方ないなぁ。許してあげる」
以前にカフェで会った時の彼女を思い出したのは幸いだった。
せっかくの買い物デートを台無しにするところだったと反省する。
だが、クリームを一口食べた山瀬さんは、むしろ申し訳なさそうな顔をした。
「……って、なんか私の買い物に付き合ってもらってるのに、わがまますぎだよね。ごめん」
「いや、僕もつい夢中になって店員と長話しちゃったから……。ごめん」
改めて謝った。確かに彼女の言う通り僕がこのクリームたっぷりの飲み物を奢る義理はないような気はしたが、案内するといって放置したのは確かである。
ここは素直に非を認めるべきところだと思えた。
それに、おいしそうに食べる
すると
「ま、私みたいなぁ。可愛い女子とデートしてるんだからぁ。これくらいサービスしてくれてもいいよねっ」
少し体をかがめて上目遣い。いたずらっぽく笑って見せる。
ちくしょう。本当に可愛いから困る。
「か、可愛いとか……そういうこと自分で言うかなぁ」
「えー! いいじゃんっ! 自分で言うくらい!」
「
「そういうこと? 誰に?」
「だから、可愛いとか、美人とか。男子に言われ慣れてそうってこと……」
実際、かなりの美人なのだ。これはおべっかでも何でもない。
「じゃあさ。
頬を染めてはにかむ彼女はなお可愛らしい。
「え? ぼ、僕?」
「そう、僕」
「そ、そりゃ……。もちろんですよ……」
「……でも言ってくれたことないじゃん?」
「そんなのっ! 本人を前にして言えるわけないでしょ!」
「ほらぁ。結局そういうことって、言ってくれないんだって」
「……なるほど……。たしかに……」
たしかにそうだ。
思ってはいても可愛いだの美人だのと女の子に直接言ったことはないかもしれない。
恥ずかしいし、それってなんだかもう、告白みたいじゃないか。
「女子はそういうの、ちゃんと言ってほしいものなんだよ」
「あはは……。そうなんだ……」
適当に笑ってごまかす。
だが彼女の視線はさらに追いかけてくる。
その意味を察せないほど鈍感ではない。
何を言って欲しいのかくらい。僕だってわかっている。
けど、やっぱり恥ずかしい。めちゃ照れるながら言う。
「…………いと思います」
かなりの小声。というより極度の緊張から声が出ない。
「ん? なに? 聞こえないなぁ」
面白がるように跳ねた声で聞き返す
嘘だ。絶対わかってるくせに。
「……わいいと思ってます」
「聞こえなーい! もっと大きな声でお願いします!」
「だから! 可愛いと思います! もうっ! これでいい!?」
「あははは! ごめんごめん! ありがと!」
楽しそうにけらけらと笑う。
明らかに遊ばれていることはわかっていたけれど、二人きりで買い物というシチュエーションにどこかぎくしゃくしていた僕は、このやり取りの後やっとのことで普段の自分に戻ることができた。
もしかしたら
もしそうだとしたら――彼女にはとてもではないが、適わない。
◇
目的だったミニコンポは今日は買わなかった。
そこで
価格なのか。音質なのか。設置スペースなのか。
考えることは山ほどある。
商品を実際に見て説明を聞く。それだけでも印象は随分と変わったらしい。あれもいいし、これもいい。
当初いいなと思っていたものは案外自分の好みではないということにも気付けたと言っていた。
彼女自身、それを知れただけでも満足だと言った。
「ねね。また今度付き合ってくれない? 次こそ買うヤツ決めるから!」
「もちろん! 僕はいつでもいいよ!」
「えっと……じゃあ、予定決めたら連絡するね。それでいい?」
「うん。了解。LAINで教えて」
「うん!」
駅で別れる時。
短い時間だったけれど、一緒に居れただけで幸せだった。
しかも次のデートの約束もしてしまった。
その時の僕の顔は気持ち悪いくらいにやけていたと思う。
駅は人でごった返していたけれど、でもそんなことどうでもよくて、ニヤケっぱなしの顔を見せびらかすように、僕は家路についた。
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