第12話
すれ違う人とできるだけ距離をとり、歩道の端を小さくなりながらあてもなく歩いた。
しかし、部屋にいるよりはいくぶん気がまぎれるかと思っていたのは、僕の勝手な希望に過ぎなかった。
むしろ、頭上を覆い尽くす夜闇は、ねっとりと心を染めていく。
真っ黒な感情や冷たい記憶をじわじわと浮き彫りにするだけだった。
気分が晴れることはまったくないし、目的なく歩くことに苦痛すら感じ始めていた。
だからといって家に帰る気にはなれないのだから、何か気がまぎれるような事はないかと考え、末にとりあえず駅までいってみることに決めた。
一つ幸いだったのは、学校帰りのままベッドに転がり、そして家を飛び出した為に、ポケットにはスマホと財布が入っていたことだ。
駅前はちょうど帰宅時間ということもあって、かなりの人でごった返している。普段よりも騒々しく思えた。
速すぎる人の流れに飲まれそうになりながら、抵抗するようにぽつりと立ち止まる。
邪魔そうに僕のことを睨みつけたサラリーマンが「チッ」っと小さな舌打ちをして横を通り過ぎていった。
僕はぽかんとその人の背を見て立ち尽くす。
こんなにも大勢の人間がいるのに、誰一人として僕のことを知らない――。
その事実が急に襲ってきた。
けれどもむしろそれが心地よく感じられた。
孤独という世界に閉じこもることで、僕は現実から目を背けることができたからだ。
どこにいても誰かと繋がらなければならない――それが自分にとって居心地が悪く、辛いのならば、だったらいっそのこと誰とも接することのない世界に閉じこもればいいのだ――。
駅ビルにあるショッピングモールに足を向けた。馴染みのCDショップがある。
そのショップはいくら居ても店員が話しかけてくることはないし、おまけに視聴も存分にできる。
誰に邪魔されることなく時間を潰せる場所だった。
ショッピングモール内には、紳士服や婦人服売り場、各種の食事処、家電量販店もある。そのせいもあって、モール内は綺麗な格好をした会社員や制服を着た学生が非常に多かった。
駅前と変わらないくらいに騒がしいモール内の通路を、行きかう人の流れを縫うようにして、やっとのことで目的の店に足を踏み入れた。
まずはニューアルバムや店員オススメのコーナーを周る。
次いで知らないアーティストでもジャケットが気になったものは片っ端から手に取って眺めた。
ジャズやボサノバ、クラシックにフォークソング。
その中にはお父さんが聞いていたアーティストもいた。
小さい頃の僕にはそういう音楽の良さが全然わからず、お父さんが何でこんな音楽を聴くのだろうと不思議に思っていたくらいだ。
『好きなものは人それぞれ違うからさ。それに、好きなものは変わっていく。お前もいつの日か、今とは違うものを好きになっていくんだよ』
お父さんの言っていたことは正しかった。
昔からの陰キャ気質だけはあまり変わっていないとは思うけれど、僕を彩るいわゆる表面的な部分は、これからも変わっていくのだろうな。
変わることと、変わらないこと。
変わりたいことと、変われないこと。
変化は、恐怖、痛み、苦痛を伴い、時に人を挫けさせることもあるけれど。
でも、できることなら僕は――。
頭の中でそんなことをぐるぐると考えながら店内をまわり、時間を潰した。
が、それほど大きな店舗ではないということもあり、さすがに一時間もいると、店員が僕のことを気にしだした節が見られた。
話しかけられるようなことはないし、注意を受けることもない。
それは知っているのだが、そろそろ潮時かなと、手にしていたCDを棚に戻そうとした時だった。
「あれ?
店の入り口から唐突に声を掛けられた。
入り口を通り過ぎたばかりだった僕は振り返る。
そこには同じクラスの
制服姿だった。肩からは学校指定のカバンを掛けている。
日焼けなのかなんなのか知らないが、
かなり明るく染まった髪先は、すでに茶ではなく白色になっている。
爪などは日常生活に酷く支障がありそうなほどに、デコレーションが施されていた。
どこからどうみても派手派手しい身なり。
普段、クラス内ではあまり近づくことがないからさほど気にすることはなかったが、近くで見るとその見た目のインパクトは一層強かった。
はっきりいってしまえば、彼女は少し――いや、だいぶ苦手な部類の人間だ。
「なにしてんの?」
「あ……えっと、買い物、かな」
なんとなしに嘘をついた。だが、
「へぇ。そう。あたしも」
やはりぶっきらぼうな返事だった。
たしかに彼女は紙袋を手に持っていた。
その袋は、
たぶん、そっち系の人たちの間で人気のブランドなのだろう。
「ふぅーん。CDねぇ。そういや
「うん。そうだね。別に楽器が弾けるわけじゃないけど」
「あはは! たしかに! あんたが楽器持ってる姿は想像できないわ! ウケる!」
「……はは……そうかな……そうかも……」
何かすごく失礼なことを言われた気はするが、当の本人に悪気はなさそうだし、下手に反論したら何されるかわからないので適当に話を合わせる。
僕の手にあるCDをまじまじと見る。
「へぇ~。
と言ったわりに、
そして少し声をひそめて、茂部さんは言った。
「ねぇ……。ちょっと、聞いていい?」
先ほどまでのキンキンとした声音とは違い、少し落ち着いたものだった。
「な、なに……?」
「……こないだ
その口調は責めている感じではない。が、
「え……あ……うん、本当だよ。
「…………ふぅ~ん。そうなんだ」
「そ、それだけ……なんだけど……なにか……」
「……いや、いい。わかった」
茂部さんは案外あっさりとした口調で言った。
質問の真意がわからず困惑する。
しかし、この状況についてやはり気になっていることはあった。
ユウヤ君には頭を下げたことで許しを貰ってはいるものの、僕の悪い噂は耳にしているであろう彼女だ。
僕に対して嫌悪感を抱いていても不思議ではない。
実際、一部の女子にはあからさまに避けられているのだ。
だから先ほどの質問は、僕が
しかし
僕と一緒にいることが嫌という風には見えない。
そんな
すると、茂部さんはどこをみているのか、明後日の方向を見ながら、
「
僕の名を呼んだ。
「……う、うん?」
「時間ある? お茶でもしていこうよ」
「……えっ? ええ!? いや、な、なんで!?」
いきなりのお誘いに、無意識的に胸の前で手を振っていた。
その手は明らかに拒否を示していた。が、
「あそこでいっか」
僕のほうなど見向きもせずにすたすたと歩きだしてしまった。
あれ……? 時間ある? っていま僕に聞いたよね……?
でもその颯爽と歩く後ろ姿は、僕が断ることなどあるはずがないという自信に満ち溢れていた。
実際その通り。
◇
コーヒーチェーン店――カフェの店内はさほど広くはなく、かつ混みあっていて騒がしかった。
この混雑の中で席が2つ確保できたのは、タイミングが良かったとしか言いようがない。
席の確保のために紙袋を置いてきた
「あぁ、喉乾いたぁ。あたしアイスティーでいいよ」
さも当たり前のようにさらりと
しかもなんだか少しだけ愛らしい声音だったぞ。
しかし……何だこの流れ……。
もしかして
そう思ったのが顔に出ていたのか。
「おごってよ。男子。いいでしょ。ね」
「ええ……なんで……」
「ふふ。お駄賃。お駄賃。いいじゃん」
そう言った
それもあって、お駄賃ってなんだよ、とは思ったが言わないことにして、
「わ、わかった……」
しぶしぶ答える。
それにしても僕といるのが嫌そうなわけでもなく、カフェにも誘い、案外かわいい笑顔を見せる。
クラス内での僕の状況を考えると、
先に席に戻った
彼女は素早い動きでスマホを操作し始める。
その動きに無駄は一切ない。
注文を済ませた僕は、アイスティーと自分用のアイスコーヒーを受け取ると、トレイに乗せて
「……はい、どうぞ……」
「ありがとぉ」
スマホから一瞬目を離しアイスティーを受け取った
彼女とまともに話すのは、初めてだ。
彼女はクラス内で、なんなら学年内でも1位,2位を争う程、派手なファッションで有名な人だ。
僕からすれば近寄りがたい雰囲気を持つことこの上ない人物である。
あまりに僕とは違うタイプの彼女と、なぜいまカフェにいるのか。
この状況が理解できずに、とりあえず彼女の横の席に座り、コーヒーに口をつける。
すると
唐突に聞いてきた。
「ね、
「……ぃ!?」
驚きのあまりつい身を引いてしまった。
この間の教室内での騒動が広まっているのだ。
「あ……うん……。喧嘩っていうか……僕が一方的にやられただけっていうか……」
言葉に詰まりながら、歯切れ悪く答えた。
「そっか。マジなんだぁ。ちょっとびっくりだな」
「そう……だよね。僕自身そう思ってる……」
「ははは、なにそれ。でも
そう言って
「へ?」
「ほら」
何に対しての乾杯なんだかもわからないまま、僕もプラカップをぎこちなく少し上げ、
プラスチック同士。音はほとんどしなかったけれど。
「あれはただ単に、僕が調子に乗っちゃっただけのことだから」
「それでも驚きだって。でもさあ、あんた……」
「うん?」
「大丈夫? やばくない?」
言うや、スマホにまた目を落とす
言葉の意味がわからずきょとんとしていると、彼女は椅子を少し後ろに倒し、行儀悪くストローを口に咥えたまま、もごもごと言う。
「
ああ、そのことか――と、腑に落ちた。
クラスの中でも僕はいま底辺の中の底辺というポジションで生きている。
周りからもそのように見えているのは当然だろう。
「……大丈夫だよ。皆そんなに悪い人じゃないし、輪にも入れてもらってるし」
「マジでいってんの? あんたが大丈夫ならいいんだけど、私から見てもやりすぎって感じあるし……それに
「え?
「見た目はいいんだけどねぇ。なんつーんだろ。上からガッっとくる感じ? あたしああいうの好きじゃないんだよ。それに最近、
「そう、なんだ……」
ユウヤ君が山瀬さんに近づき始めていることを知って、内心動揺した。
「それにさ。クラスのLAINグループがあるんだけど、それに
LAINグループの存在を、
しかもユウヤ君はなんとしても自分のテリトリーに山瀬さんを取り込もうとしていることもわかってしまった。
「クラス内のLAINグループ……あるんだ……僕呼ばれてないけど……」
「そりゃ、そうだろね。一部の人だけだし。でもあたしもう抜けたいんだ。なんかあそこで話すのって悪口ばっかでさ。ああいうの、楽しくないんだよ」
「はは……。それはたしかに嫌かもね……」
「
茂部さんはどこかさみしげな顔で窓の外を眺めながらぼそりとつぶやいた。
……ん? なんだって?
「
ヒサシ君の名前を出した途端だった。
小麦色の肌なのに耳まで真っ赤に染まっているのがぱっとみてわかるほどだ。
デコレーションたっぷりの指先も、まるで清純でおしとやかな女の子が異性と話すことが恥ずかしくてもじもじしているかのように、小刻みに動いている。
な、なるほど……。
見かけによらず案外ピュアなところがあるんだな……。
「そ、そういえばさぁ……」
つい先ほどまでのギャルらしい堂々たる態度はどこにいったのか。
やけに小さな声音だった。
肩も小さく、カチコチになっている。
「……あ、あんたさ……。
「……え、そういうことはないと、思うけど……」
「そうなの? けっこう話ししてんじゃん……?」
「僕の相手してくれるのがヒサシ君くらいだから……かな……」
「
「……結構クールな感じもするけど……」
「そう。クールなとこも、あるよねぇ……」
と言った
その目……。
明らかに恋してますってヤツだ。
今の
「……あ、あのさぁ……。
聞く準備をしていなかったら、聞きとれないほど小さな声だった。
先ほどまでの会話や行動からは考えられない程もじもじしながら、彼女は口の中でごにょごにょと何かをつぶやいている。
そこまでヒサシ君に好意を寄せているとはまったく気づかなかった。
「……ごめん、知らない……」
「……なんだよ……役に立たないな」
「役に立たないって、ひどいなぁ……それなら自分で聞けばいいじゃん……」
「へあっ!? ……ばっ……ばかじゃないの!? ねぇ!
こちらを振り向いた
「そ、そんなの聞けるわけないじゃん! そんなの聞いたら、私が好きって言ってるのと同じじゃん! 別に好きとかじゃないし! 勘違いすんなっ! バカッ! 死ね!」
蒸気でも吹き出しそうなくらい真っ赤な顔。
恋人の有無を気にしていおいて「好きじゃない」とか言われてもなぁ……。
派手な見た目によらずなんというか……。
可愛らしいところがあるもんだ。
「っぷふ!」
本人を目の前にして、ついつい噴き出してしまった。
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