第9話
僕達が部屋に入ってドアを閉めた傍から、コンコンと子気味よくドアがノックされた。
僕の返事を待つことなくドアは勝手に開いていく。
その隙間からは下手な家政婦のごとく、
「お兄ちゃぁ~ん、ジュース入れてきたよぉ~」
にたにたと不気味な視線が向けられている。
面白がってやがるなこいつ。ついさっきリビングに行ったのはそういうことか。
まあ、今までの僕の女っ気のなさを知っているからこそ、こんなイベントに出くわした奇跡をなんとか見物してやろうという気持ちは、わからなくもない。野次馬根性というやつだ。
だからこそ厄介だった。
妹はジュースを僕に渡してからも
「お菓子いる?」「ご飯はどうするの?」「必要なものあったら言ってね!」
などと普段なら絶対に言わないようなことを並べ立て、まったく引き下がる気配がない。
お前はいつまでいる気だ……?
そんな妹に、
「もういいから! とっとと出てけって!」
強めに言ってシッシと追っ払ってやった。
「……チッ! わかったよ……!」
わざと聞こえるように妹は舌打ちをした。
名残惜しそうに退散しようとする妹に
「
その言葉に
「は、はいっ! こちらこそです!」
ぺこりと丁寧に頭を下げる。
お前、そんな礼儀正しい挨拶がでるヤツだったのか……。
一転、嬉しそうに去っていく
僕に振り向き、キリリとした表情、そしてぐっと握った拳で小さくガッツポーズ。
『お兄ちゃん! がんばれっ!』
とでも言いたいのだろう……。
「じゃ、ごゆっくり~」
ぱたんと閉まるドアを呆然と見ることしか出来なかった。
妹からこんなにも気を使われているとは、なんとも情けない……。
「ふふっ、
「とんでもない。普段はこんなんじゃないから! 生意気で困ってるよ……」
「あはは。時枝君に甘えてるのかもしれないねぇ」
すると
「部屋、結構綺麗にしてるんだねぇ」
「そうかな? あまりモノがないからかな」
「ふぅ~ん、確かに……。小物あまりないね。男の子の部屋って感じする」
確かに特にこれといった飾りつけはしていない。そもそも小物でおしゃれを演出するなんていう発想がいままでなかった。
特筆すべきところといえば、やはりこれくらいだろう。
「で、これが僕のオーディオね」
強化ガラスとアルミパイプで出来たラックには、鈍い銀色のアンプとCDプレイヤー。その他周辺機器が整然と収まっている。
それを挟むようにして左右に独立したスタンドがあり、ブックシェルフ型のスピーカーが乗っている。
「へぇ、けっこう大きいんだねぇ」
「最初は驚くよね。でも
オーディオ機器は高級品になると、とんでもなく大きい筐体のものもあり、男でも持ち上げるのに一苦労するほど重い。
僕が持っているものはいわゆる一般向け。エントリーレベルの機材だからそこまで大きなものではないが、初めて見る人には驚くほど大きくみえるのだろう。
ぐるりと動く視線がオーディオの背面で止まった。
「うわっ! なにこれ! 線がたくさん……。やば……私こんなの絶対無理だ……」
「ああ、それはバイワイヤっていう…………えっと、ミニコンポなら線つなぐのも簡単だから心配しなくて大丈夫だよ」
「ほんと? 私かなりの機械オンチだからなぁ……」
「わからなかったら聞いてくれれば」
「う、うん! そうする! そう言うの、めちゃ助かる!」
ほっと胸を撫でおろす
一気に気が抜けたようで、顔の表情が先ほどよりも和らいだように見えた。
本当に機械は苦手らしい。
そんな
この部屋の一体どこに座るんだ……?
案の定だ。
オーディオはベッドの横に設置してあり、僕がオーディオを聞く時はいつもベッドに座って聞いている。
つまり
……そ、それはどうなんだろう……。
いきなり僕が「ベッドに座って」とか言ったら、
こいつなにかやましい考えでも……!? とか思われちゃったりしないだろうか。
それに
ど、どうしよ……。机の前に椅子はある。その椅子をベッドの前に持ってくるのではスピーカーとの距離が近すぎて、とてもではないがオーディオの性能を発揮できない。
かといって他に座るところもない……。
だが
「
……き、気にしません!!
仮にスカートが汚れていたって、そんなことは全く気になりません!
別の事ばかり気になってましたけどねっ!
「あ、うん。ベッドに座るのが一番いいセッティング出てるから、そこでお願いできるかな」
僕はあたかもそうするつもりだったかのように、至って平静な口調を心掛けて答えた。
うまく演技できていたようだ。
……ああ。今、僕のベッドに……。僕のベッドに……
ばくばくと鼓動が早まる僕は、自分でも不自然だとわかるくらいに天井の角っこを眺め、平静を装う。
……だめだ。余計な事ばかり気になってしまう……。
これでは
彼女は僕のオーディオを聞きに来た。ただそれだけのこと。
それなのに僕ってやつは……。しっかりと対応しなければ。
「セッティング? 聞く位置ってこと?」
ベッドに座る
上目遣いの攻撃力!
つい先ほどの決意はあっという間に吹き飛び、体中がぐわんぐわんと彼女の魅惑に揺れる。
またしても無駄に天井の角を眺めて気持ちを落ち着けるしか手はなかった。
もういっそのことあの角に何か目印でも貼っておこうかしら。
「そ、そう。スピーカーと三角形になるように座るといいんだ。その位置でばっちりだよ……」
ちらりと横目で見ながら答える僕。
「えへへ、楽しみだなぁ」
それがより一層僕の
「じゃあ……、早速、聞いてみようか! ねっ!」
僕は自分のやましさから逃げるように、オーディオ機器の電源を入れた。
ガチャン、ガチャン。
機械的な重い音が部屋に響く。機器たちが緑や赤の光をゆったりと放つ。
「うわ、すごっ」
「聞きたい曲ってある? もしスマホに入っているならそれも聞けるよ」
「えっ! ほんと!? じゃあ、ちょっと待って」
少し落ち着きを取り戻した僕は、その間にスマホにつなげるケーブルを引っ張ってくる。
「これ。これがいいかな。最近のお気に入りでずっと聞いてるんだ。えへへ」
彼女が差し出したスマホの画面を覗くと、そこには僕がよく知っているボーカルの顔と曲名が映っていた。
「あ、僕も好きな曲だよ、これ」
「え!? ほんと!?」
「うん! このボーカルいいよね。ゲームとかアニメ。あとドラマの主題歌も歌ってるし。めっちゃ綺麗な声が僕も好き」
「そうそう! 元気が出る曲もあるし、聞いてて泣きそうになる曲もあって。私も好き!」
「この曲ならCDあるよ。そっちにしようか。音質、そっちのほうが良いんだ」
「えー! じゃあ、それがいい!!」
僕は彼女にCD置き場を指し示した。
置き場所といっても棚の最下段にずらりと並んでいるだけだが。
それを見た
「ね、見ていい?」
「え? うん、大したものはないけど」
僕はスマホ接続用のケーブルを元に戻しながら、そこから目的のCDを取り出した。
「あ、このCD私も持ってる! こっちもだ。えー、
「へぇ~。意外だなあ。
「うんうん! 聴く! なんか同じのあると嬉しいよね」
四つん這いになりながら、体を右に左に揺らし僕のCDを楽しそうに物色している。
何か気になるCDでもあったのだろうか。
だが僕はまたしても別の事が気になって気になって仕方ない。
四つん這いになった
その……なんというか彼女の短いスカートが、ただでさえまくり上がって僕の理性にとって危険な状態になっているのに、体を動かす度にふわりふわりと裾が揺れて、立ち位置を間違えたら見えてはいけないものがちらりどころの騒ぎじゃなく見えてしまいそうなのだ。
自分の部屋なのに全然落ち着かない……。
「他人のCDとか本とか見るのって、楽しいなぁ」
「……う、うん、それはわかるなぁ……」
天井の角は見飽きたので、今度は窓の外に視線を向けながら、しらじらしく答えた。当然窓の外に見たいものはない。
僕には別のものが見えて楽しくなっちゃいそうなので、ほんとに勘弁してください……。
僕がそんなことを考えているなんて知りもしない
ぽすっとベッドに座る
「見せてくれてありがとう。じゃ、お願いします!」
子供のような素直で曇りのない目……。
変な事を考えていた自分を恥じるしかない。
「ふぅ……ごめん、しっかりしなきゃ」
「へっ? 何のこと?」
「ううん。こっちのこと。……じゃ、曲かけるね」
「うん、よろしくです」
「1曲目っと……これ、ダンサブルな曲だよね」
「うんうん! あとで別の曲も聞いていい……?」
「もちろん!」
CDをトレイにセットすると機械内部が小さくうなりをあげた。
曲が始めるまでの数秒の間に僕は小声で言った。
「
変な事ばかり考えている僕だけど、オーディオの良さを少しでも知って貰いたい。これだけは本心から思っている。
お父さんから教えてもらったその素晴らしさを、少しでも体感して欲しい。
視覚からの余計な情報を排除し、耳から受け取る感覚だけを研ぎ澄まして目の前に作り上げられる世界を感じて欲しい。
「……うん。わかった」
小さな声と共に彼女はうなずいた。
邪魔にならないよう僕は部屋の隅に移動する。
曲が始まった。
開始早々ギターとエレキピアノ、次いでドラムロールが勢いよくリズムを刻む。そこに突き抜けるボーカルのハイトーンボイスが重なった。一気に曲調は加速していく。
瞬間、彼女の背筋がしゃんと立った。
オーディオで音楽を聞くと、まるでその場にボーカルや楽器の演奏者がいるかのような錯覚をして、その世界に引きずり込まれていく。
ステージが目の前に広がっているような感覚に包まれるのだ。
曲がAメロ、Bメロと進行していった。サビに入った。
彼女の口が小さくはっと開いた。
それを見たとき、オーディオが作り出す世界に踏み込んだのを確信した。
彼女は今、コンサート会場の中にいる。
曲に合わせて彼女の体は横にゆったりと揺れ、顎と肩でリズムを刻んでいた。
「すご……い……」
1曲目を聞き終わった時だ。
彼女はゆっくり目を開け、そうつぶやいた。
放心しているかのように、僕のオーディオ機器をぼうっと見ていた。
「どうだった?」
僕は彼女に率直に聞いた。
「すごい……。うん、すごい……。こんなの初めて……。まるでそこにボーカルがいるみたい……」
「もう一曲聞いてみて。8曲目でいいかな。これゲームのイメージソングだったはずだけど、知ってる?」
「あ、ああ……うん。それお願い、します…………」
まだすこし放心気味の彼女に、僕は重厚なピアノから始まる曲を選んだ。
先ほどのダンサブルな曲とは違い、ミッドバラードのしっとりと歌い上げる曲。
このボーカルの良さを別の角度から感じることができるだろう。
きっと気に入ってくれると思う。
だが
それは良い意味で裏切ってくれた。
サビに入った時、彼女は唇を薄く噛むと、涙が頬を伝った。
戦いに赴く悲しさと命の儚さを綴る切ない歌詞が、厚みのあるピアノ演奏と相まって感情を揺さぶったのだろう。
曲が終わった時、自分の頬を伝う涙を指で拭う
でも、口元には小さな笑みを浮かべていた。
「はぁ……ご、ごめん……。何回も聞いたことある曲なのに、泣いちゃった……」
「オーディオで泣くこと、僕もあるよ」
「なんか……めっちゃ、恥ずかしいんだけど……」
「あはは」
「笑わないでよ……もう……!」
「ごめん。でも楽しんでもらえたなら、よかった」
「うん、すっごく楽しかった……。……あの、正直言うね……」
「うん?」
「正直ね、こんなに凄いって思ってなかった。スマホで聞いているよりちょっと良い音くらいだろうって考えてた。でもなんだろ……。目の前にステージが出来上がって自分の為に歌ってくれているみたいな感じ? とにかく、全然思ってたのと違ったっ!」
「そうだね、それがオーディオ。僕もお父さんに教えてもらったんだ、この楽しさを」
「お父さんも好きだったの?」
「うん、お父さんの影響」
「そうだったんだ……」
お父さんが死んだことをさっき伝えたからだろう。
「あ、ごめん。なんかしんみりしちゃったね」
「……もう。なんでまた謝るし」
「だね……あはは。じゃ、僕も正直に話すね」
「うん? なに?」
「えっと、言いずらいんだけど……。
「ありがと。だよね、こんなにすごいのは無理だと思うよ。それに大きすぎるし」
僕の機材を指さし彼女は笑った。
「でも、断然コンポが欲しくなってきた!」
「うん、きっと音楽聞くのがもっと楽しくなるよ!」
「選ぶの手伝ってね! 絶対だよ!」
「約束する! 僕も調べておくよ!」
「ふふ。なんか心強い」
といった彼女は嬉しそうな顔で僕をみたあと、少し申し訳なさそうにした。
落ちつた声音で僕に言う。
「なんか
「そ、そうかな?」
「うん、学校にいる時って、もっとなんていうんだろ……静かな感じじゃない?」
「ああ……。そうかも……ね」
「別にそれが悪いってわけじゃないけど、私は、こういう
そう言って彼女は優しく微笑んだ。
きっと深い意味なんてない言葉と笑顔。
でも、殺風景だったこの部屋が、ぱあっとが明るくなったような気がした。
というのも、オーディオでは5曲ほど聞いただけだったのだが、そのあとゲームの話で盛り上がってしまったのが原因だった。
その中に自分もやっていたゲームがあると言った。
「これ、めっちゃハマってた」
そう言って彼女が引き抜いたパッケージは、やりこみ要素のあるオンラインのゲームだった。
目の前にいる
『趣味はファッションとメイク!』とでも言いそうな彼女がゲームの話をするという奇妙さ。
それが妙な親近感を覚えさせ、僕のテンションは爆上がりした。
「えっ! ほんと!? 僕も結構これやりこんだなぁ。ジョブは『騎士』使ってたんだ」
「へ~、『盾』かぁ。かっこいい。私は回復職全般やってたよ」
「いやぁ。まさか
「えへへ。なんか恥ずかしいなぁ……。上手くはなかったけどね。そうだ! こんど一緒にやろうよ。その時は守ってよね!」
「もちろん! 任せて! 絶対に守りますよ!」
「あはは! 頼もしい! 私、昔から結構ゲーム好きなんだぁ。弟と一緒によくやってたし。子供の頃は対戦ゲームで泣かしたこともあった」
「ええ! 泣かしたの!?」
「うん、あったあった」
「だって弟めっちゃ生意気なこと言いながら煽ってくるんだもん。ちょっと本気でやったら、弟ぼろ負けして泣いちゃった。さすがに今は一緒にゲームやることないけどねぇ」
ゲームの話をしている時の
最寄り駅から電車に乗って帰るということだったので、駅まで送ることにした。
「いいよ、いいよ」と断る
だから送らなければならない。これは正当な理由なのだ。
駅の改札前、
「送ってくれてありがと。今日はほんと楽しかった。じゃ、また学校でね」
そういって手を振る
今日は
悪い事ばかりじゃない。
学校に行けばまた色々とあるかもしれないけれど、僕を嫌っていない人が一人でもいるなら、頑張ろうって思えた。
しかもその一人が
駅から出てくる人混みの中、僕はスマホを天に掲げた。
ビルの谷間から覗く夜空には煌めく星など一つも見えなかったけれど、掲げたスマホの画面には「Ami」の文字が光っていた。
「コンポのこと沢山教えてね! ゲームも一緒にやろ!」
駅にまで送る途中、
そのたった一文に、口元がほころびまくった。
周りから見たら気持ち悪いヤツだったかもしれない。
けれども今の僕は、それすらも誇らしい気持ちだった。
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