第8話
僕は年頃の男子である。経験はまだ無い。
いつその日がやってくるのかはとんと見当がつかない。
聞いたところでは薄暗くてふかふかとしたクッション性の高い所で……という妄想は何度も何度も気持ち悪いくらいシミュレーションを繰り返してはきた。
その妄想が多少なりとも現実になろうとは。
ちらりと横目でみやると、そこには
あとは玄関の扉を開けるだけ。そして僕の部屋に行く。
するとなんということでしょう、個室に若い男女が二人きり――。
それはつまるところ世界的に有名なドラゴンをクエストするゲームの使いどころのわからないとある呪文と同じく、どんなことが起こってもおかしくない状況なわけで……。
「ん? なんで入らないの? 家、ここじゃないの?」
自分の家の玄関の前で変な汗をだらだらとかいてカチコチと固まる僕の気持ちなど知りもしない
「う、うん……家は間違いなく、ここなんだけどね……」
「あっ、そっか! もしかしてご両親の許可とか必要な感じだったりする?」
「あ、いや! そういうのは大丈夫。ウチお父さん死んじゃってるし、お母さんはまだ仕事で帰ってきてないから……」
「えっ。ごめん。変な事聞いちゃったね……」
「ううん。それは別にいいんだけど……」
僕は首を振って苦笑うしかない。
そう、それは別にいいんです。そうじゃないんです……。
問題はそこじゃなくて、僕と二人きりになるっていうことについて、山瀬さんは気にならないんですかね!? ってことですよ?
僕は気持ちを落ち着かせるべく大きく息を吐いた。改めて確認を行う。
「じゃ、じゃあ、入るけど……い、いいんだね……?」
「へっ……? なんで私に聞くの? ここ
「ははは……。そ、そうだよね……変だよね……」
人の気も知らない山瀬さんはあっけらかんとした口調ながらも、不思議そうに眉をひそめた。
なぜだ……。なぜ男の部屋に入るというのにそんなに平然としていられるのだろうか。
まさか、これってもしかして……あの、その、なんていうか、むしろそういう何かを期待し、覚悟を決めているって事だったりするのか……? って、アホか……。冷静になれ。至ってクレバーに考えろ。
常識的に考えれば、そんな都合の良いことあるわけない。
むしろ僕の事なんて『異性』として認識していないと考えるほうが、明らかに健全だ。
だから山瀬さんはこんなにも余裕のある態度ができるのだと自己の愚かな思考を修正しかけていた時だった。
ふと別の選択肢が脳内で提示された。
それは、あまり想像したくないことではあったが、可能性で言えばこちらの方が断然高いこと疑いようがなかった。
つまりだ。
こんなにも可愛いらしい子なのだ……。
今まで彼氏の一人や二人、なんなら五人……まさか十人以上だというのか!?
そんなに数多くの盛った野獣どもとあんな所でこんな態勢をしながら破廉恥な『アレ』(好きなように言い換えて!)をされてきたから…………あああぁぁっ!! 駄目だ!! これ以上僕のたくましい想像力を発揮したくない!!
ふう……ふう…………。
こんなことばかりは目まぐるしく回転してしまう思考をいったん落ち着かせるべく、ここは深呼吸だ……。
よし、落ち着け、僕……。
「じゃ……おじゃましますね……」
「へっ!? どういうこと?」
「はは……ははは……うん、そうなんだけどね……」
「……なんか……時々面白いよね
挙動不審な僕にどう反応したらいいのかわからないというところだろう、複雑な表情だ。
それを横目に僕は鍵を差し込みがちゃり。ドアを開けた。
するとドアの向こうにはストローをくわえた妹がガラスコップ片手にぬぼっと棒立ちしていた。
妹は普段帰りが遅い。
学校から直接どこかに遊びに行ってしまうらしい。だから今日もまだ妹は帰ってきていないものと、僕は勝手に思い込んでいた。
「あ、お兄ちゃん、おかえ…………あ、あれ……?」
「えっ……う、うっそ……。お、お兄ちゃん……?」
華子の手がふるふると震えだす。
すでに飲み終りに近い中身が零れてしまいそうなほどコップが傾いている。
「だ、誰……? え? も、もしかして……彼女さん……?」
「へっ? 彼女? ……あ、ああっ!」
一瞬ナイスな勘違い! と思ってしまった自分がいたが、本人の前だ。やはりはっきりさせておかなければなるまい。
「あああ! ち、違う! 違うよ!」
「じゃ、じゃあ誰……!? お兄ちゃんが女の人を連れてくるなんて……。はっ! ま、まさか……ついになんかヤバい事に手だしたの!?」
「ヤバいことってなんだ! アホかっ!」
「だ、だって! だってお兄ちゃんだよ!? あのお兄ちゃんなんだよっ!? 趣味がゲームと音楽鑑賞とかいってる陰キャでインドア系のかなり残念なお兄ちゃんだよ!? 女の人を連れてくるなんてありえないでしょ!」
「友達っていう選択肢はないのかよ!」
「ないよ! お兄ちゃん、女友達なんていたことなんてないでしょ!」
……痛いところを突かれてぐうの音も出ない。
僕が
だが妹よ。どさくさに紛れて悪口も交じっていないか? というか僕が女の子を連れてくるのがそんなに驚きか?
「えっと……妹さん?」
「あ、うん……これ、妹の
「へぇ~。初めまして。
「あっ、え、えっと…………こ、こちらこそ……ふ、ふつつかな兄を……よよよろしく、おねがいします!」
「お前、大丈夫か……? めっちゃ動揺してんじゃん……」
「だ、だってお兄ちゃんが……お兄ちゃんがこんな可愛いくて綺麗な人を連れてくるなんてありえない……ありえないことだよ……。はっ! まさか! なにか弱みでも握ってるの!? 脅して無理やり連れてきたとかじゃないよね!? や、
「おいぃっ! さらっと失礼なこというな!」
「あははっ!
「……ったく。つーか……お前。いつも遊んでて帰り遅いじゃん……なんで今日はいるんだよ」
「遊んでくれる友達がいなくて。でもたぶん、この事件を見せるために神様が仕組んでくれたんだよ、そうに違いないよ……アーメンだよ……」
「何がアーメンだ……バカ丸出しだからもうお前はしゃべるな。下がってくれ……」
だが最後の最後まで僕達に視線を向ける
まあ気持ちもわからなくはない。なにせ僕が女子を家に連れてくるなんて初めてなのだから。
それに加えて
「じゃ、上がって、上がって」
出来るだけ明るい声音で促した。
「はーい、おじゃましまーす」
僕に続いて家に上がる
何せ
僕や
綺麗に片膝をついて座るその姿が、妙に様になっていた。
失礼な言い方かもしれないが、見かけによらずこういうところはしっかりしていることに少し驚いた。
そのルックスも相まって、学校内でも存在自体が目立つ彼女だ。
ギャルとまではいかなくても、髪はしっかりと染め、薄くだが化粧もしている。スカートの丈は言うまでもない。
そんな彼女が礼節をわきまえている姿を見ると、そのギャップがまた良かったりもして、僕はその姿をほけっと眺めてしまっていた。
靴を揃え終わった彼女が振り向いた。不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。
「ん? なに?」
「あ、いや……靴……」
「ん? 揃えたけど?」
「あ、ありがとう……。でもなんか……意外……」
「意外? ……むっ! 意外って……もしかして私が靴揃えるようなタイプに見えないって言いたいの!? ねぇ!!」
山瀬さんはずいと詰め寄ってきた。
「あ、いや、あっと、えーっと、そうじゃないよ……」
「ちょっとぉ! 目が泳いでますけどぉー」
「……ご、ごめんなさい……」
「もう! ひっど! 私結構しつけ厳しい家で育ってるんだから!」
「そうだったんだ。あはは、見えないね……」
「えっ…………ちょっ、ちょっとそれ!! どういう意味っ!?」
今度は冗談の混じりけがない、結構本気の詰め寄り方をされてしまった。
彼女との距離が一気に縮まって、別の意味でもどぎまぎしてしまう。
「ち、ちがう……! 山瀬さん、すごいほら、今どきな感じだから! ほんの少しだけ意外だなって思っただけで、悪い意味じゃないって!」
「ふぅ~ん…………ほんとにぃー……?」
「ほんと! ほんと! 絶対ほんとだから!」
ジト目を向けられ、たじろいぐ僕は必死に言い訳するしかない。
でも彼女の膨れた頬が紅潮していて可愛らしいことは見逃さない。
「……ま、いいよ。許してあげる」
僕の謝罪は功を奏したようだった。
……よかった。本気で怒っているわけではなさそうだ。
だが
そして彼女は自分の身なりを見て「そんな風にみえてるのかぁ」と小さな声でぼそりとつぶやいていた。
「じゃあこっちね」
僕は話を変えるついでに部屋へ案内した。といってもそんなに広い家ではない。部屋はすぐそこだ。
部屋の中は……変なものは置いて……ないな……。散らかってもいないはずだ。
掃除もしたばかりだ。
朝、学校に行く準備をしていた時の部屋の様子を思い浮かべた。
……よし、問題ない。オールグリーン。大丈夫だ。
僕はドアノブをがちゃりと降ろし、部屋に入ろうとした。その時だった。
先ほど頭の片隅をよぎった何かが再度脳裏に浮かんできた。
あ、あれ……? なんだっけな……?
何かを忘れている気がする……。
……なんだ……なんだ……?
……あっ! あぁっ!!
そうだ! そうだった!!
ミライ! 自称女神のミライ!
あいつのことをすっかり忘れていた!
あ、あいつが部屋にいたら……やばいんじゃないか!?
いや待て……! あいつって、そもそも僕以外にも姿が見えるのか?
わからない……ミライの存在自体がなんなのかわからない僕には判断しようがない!
そして、もし山瀬さんがミライの姿を見えたとしたらどうなってしまう?
ミライは見た目はただの同年代の女の子だ。そんな状況を山瀬さんになんて答えればいいんだ?
「実はもう一人妹がいましたー!」
……って、言えるかそんなこと!!
さっき二人兄妹って言ったばかりだし!
ぐう……なんてことだ……ここにくるまでミライの存在をすっかり忘れていた。
あいつは本当に神出鬼没だ。いつ現れるのかも、部屋のどこに現れるのかもわからない。
ドアを少し開けて覗いて見るか……。
……って、自分の部屋をチラ見ってどう考えてもおかしいだろ!
それにもしもミライが既に部屋にいたら「あ、おかえりー」とかさらっと言い出しかねない。
どどど、どうする……!
どうするよ僕……!!
今度はドアノブに手を掛けたまま、部屋の前で固まっていた。
部屋に案内しておいてドアを開けない僕。
それを不審がる山瀬さんの視線が痛い。
何かいい手はないか……。
…………そうだ……。
多少不自然かもしれないが、これだ……これしかない!
僕は胸に沢山の空気を吸い込んだ。
「あっ、あー! あー! あー! 今から部屋に入ろう! そうだ、今日はお客さんが来ている! 僕は今から部屋に入ろう!」
「とっ、
僕の大声に驚き戸惑う山瀬さん。
僕は構わずドアに向かって声を張る。
「部屋にぃー! いまから入るぞぉー! 僕は今からお客さんと一緒に部屋にはいるぞー!」
「な、なに!? なんなの!? なんでいきなり大声!?」
不自然は百も承知。だが、僕の声が聞こえていればその意味を察し、いくらなんでもミライは消えてくれるだろうと判断した。
僕は平然とした顔を作り山瀬さんに答える。
「これ、ウチの家のルールなんだ。じゃ、入るね! 部屋に入るよ!」
「え、ええっ!? 家のルールって……でもさっき
「ささっ! 行こうか山瀬さん! ね!」
僕は山瀬さんの言葉を強制的に遮った。
ごめん山瀬さん。君にはどうしても言えない事情ってものがあるんです。っていうか僕もよくわからないんです。
がちゃり。
ゆっくりとドアを押し、隙間から部屋の状況を素早く目視スキャンしながら開けていく。
じりじりと慎重に、かつわざとらしくないよう演じ切る。ドアを開け放った。
部屋をぐるりと見渡す――。
ミライの姿は…………ない!
だがそれでも僕は安心していなかった。
ベッドの下、机、オーディオスペースの裏。視線を縦横無尽に走らせくまなく探す。
よし! いない! 間違いなくミライはいない! よくやった僕!!
勝利を収めた気持ちでふぅと大きな息を吐いた。
そして片手を広げてできるだけ爽やかに
「さ、どうぞどうぞ。狭いとこだけど」
「あ、う、うん……なんか変なの…………」
まだ鼓動は跳ねていたが、至って平静を装う僕は彼女を部屋に招き入れる。
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