第7話
トレーニングを開始してから1か月も経つ頃には、床近くまで深々と沈み込ませる腕立て伏せが連続で30回出来るようになった。
腹筋も固くなってきたし、スクワットのおかげだと思うが、お尻がキュッと引き締まったと思う。
そして何をとち狂ったのか、ついに有酸素運動の定番、ジョギングも取り入れてしまったのだ。
どんどんエスカレートしていく筋トレ。僕は一体どこに向かっているのか。
しかし、努力の成果は体の変化としてしっかりと反映してくれている。
それは自信にもつながり、おかげで随分とポジティブ思考になれた気がしていた。
そう、あくまで気持ちだけ。
というのも、
きっと僕の悪い噂が裏で広まっているのだろう、一部の女子に関しては僕が近くを通るだけで、あからさまに避けるようになった。
まるで汚いものでも見るかのような視線を向けられることもある。
女子はこういう時、態度が露骨だ。
そしていままで一緒にいたユウヤ君グループの仲間とも、ほとんど会話をすることがなくなった。
しかし僕はグループの輪から排除されなかった。
グループの中にいても会話には混ぜてもらえないし、誰からも遊びに誘われることはない。
はっきり言ってしまえば居ても居なくてもいい、そんな存在に成り下がっているのに。
何故排除されないのか?
「
他の生徒が僕を避ける中、ユウヤ君だけは僕に声をかけてくるからだ。
なんならさわやかな笑顔すら向けてくる。
これがもっとも恐ろしい。
教室中に聞こえるくらいの大きな声で誘ってくる。
そしてグループの輪に無理やり入れられる。
だが実際ユウヤ君グループで過ごす段になると、誰もがまったく僕の事を相手にしない。
これは一人でいる時よりも、むしろ辛いものだった。
友達と言う体裁だけを強制的に整えられ、その上で相手にされないのだ。
いまや、学校に登校しても、会話と言う会話をすることがなくなっていた。
これはユウヤ君の戦略だ。
悪い噂がある僕に対してさえも優しい自分を演出し、自分の株を上げている。
彼はとても狡猾な人間だ。
◇
今日も学校ではほとんど口をきくことはなく 帰途についた。
唯一あった会話と言えば、思い出すのも難しい。挨拶のようなものをヒサシ君と一言二言交わしただけだと思う。
学校は勉強するところ。別に無駄話をしなくても問題はないと言えばそうなのだが、やはり寂しい。
友達と楽しく話したり遊んだり。それに本音としては恋だってしたい。
それが青春なんじゃないのか!
僕だって人並みに学校生活を過ごしたいんだ!
そんな至極当たり前と思える望みでさえ、現状を考えるととんでもない贅沢のように思えてくる。
「はあ……」
道すがら、誰もいないのを良いことに、大きなため息を漏らした。
ポジティブ思考にも限界がある。
自然と猫背になって肩が落ちていることはわかっているが、それを正す気力もない。
筋トレを頑張っていてもこの状況を解決することはできない。
そんなことは自分自身が一番わかっている。
でもどうすれば好転するのかがわからないのだ。
この現実世界に僕の味方になってくれる人が一人でもいれば、少しは相談もできるかもしれないけど。
「無理かぁ……」
その可能性は皆無に思える。
広まった噂はそう簡単にはなくならないし、悪い噂というものは広まるのも早い。
それに一度ついてしまった悪印象はそうそう拭い去れるものじゃない。
しかもミライが言うには、その噂を広めているのはユウヤ君だ。
表の顔では超優等生であるユウヤ君が言うことは皆も信じやすい。人間ってそんなものだ。
学校から帰宅途中だというのに、明日また学校に行かなければならないと思うと足取りは既に重かった。
腹の底からまた大きなため息が零れた。
その時だった。
「…………だくん」
僕の横を車が走り去る。その騒音に重なるように人の声が聞こえた。
聞いた事のある声音。立ち止まり辺りを見渡した。
「
今度は間違いなく僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
ばっと振り向くと、歩道の脇に一人の女の子が立っていた。
さらりとした明るい茶色の髪。くりっとした大きな目。いまどきらしい短いスカート。そして、目のやり場に困るふくよかな胸。
「
なぜ彼女がここに。
僕は最近できるだけ他の生徒と会わないよう、わざわざ通学路を外れた道を帰っていたのに。
「もぉ! 目の前素通りしていくんだもん、驚いたよ!」
「……えっ!?」
「えっ? じゃないよ! さっき私の目の前通ったの、気づかなかった!?」
「……ご、ごめん、考え事してて全然気づかなかった……」
確かに足元ばかり見て歩いていた。
だが
「あぶないなぁ。ちゃんと前見ないと!」
「そう、だよね……ごめん。ありがとう」
「どういたしまして。って私なにもしてないけど!」
彼女は一人でつっこんで笑った。
僕は彼女に聞く。
「あれ? でもここ帰り道じゃないよね?」
「うん、違う。
「そうだったんだ。なに? なんか用でもあった?」
なんとなく冷めた調子で僕は聞いた。
すると
「用って……。ねぇ、ちょっと。聞いていい?」
その言い方には少し棘があった。
「な、なに……?」
「私のこと、避けてる?」
彼女の目はまっすぐで真剣だった。
大きな瞳がしっかりと僕の双眸を捉えている。
その
「避けてないよ。そんなわけないじゃん……」
「嘘」
「嘘じゃない」
「ほんとはうざいとかって思ってるなら、もう声かけないけど」
「そんなんじゃないよ……」
「じゃあ、ちゃんと私の目を見て言ってよ。なんでさっきから違うところばっか見てるの?」
僕はゆっくりと彼女の瞳に視線を戻す。綺麗な光が飛び込んでくる。
「避けてないよ。僕は
しっかりと彼女の目を見て答えた。
「そっか。わかった。ならいい」
「ごめん、そう思わせてたなんて……」
「そりゃそうだよ! こないだ話しかけた時『トイレ行くから』って逃げちゃったじゃん! 何事!? って思ってたんだよ!」
逃げたこと、しっかり気付かれていた。女子の観察眼は鋭いな。
「ご、ごめん……」
「もう、謝ってばっかりだなぁ。別に避けてないならもう謝らなくてもいいじゃん」
「そう、だね……ごめん」
「もう! それ!」
ついまた謝ってしまった僕の事を、
でも、
僕と一緒にいることは嫌じゃないのだろうか?
気持ち悪かったりしないのだろうか?
そんなことが頭の中に浮かび、つい謝罪の言葉が口から出てしまう。
「……あのさ……僕も聞いていい?」
「ん?」
「僕の事、嫌じゃないの……? クラスで変な噂流れてるんじゃないかって思ってるんだけど……」
「噂……?」
「うん」
「あ、あーっ! もしかして、こないだ
クラス内、いや、なんなら学校内でも派手ギャルトップランカーに名を連ねる女子だ。
彼女をざっくり説明するならば、風を切って歩く姿は風のごとく、その堂々たる態度は林のごとく、教師に逆らうこと火のごとく、授業中の居眠りは山のごとし。
とにかく目立つことこの上ない生徒であり、当然ながら僕とは全く接点がないし、これからもないであろうクラスメイトだ。
もっと本音を言えば接点を持ちたくない。
そして意外なことではあるが……と思っている事が
とにかくその
「……あれ? あれって何?」
「LAINのトークグループで話してるやつ、かな?」
「何言われてるのかは僕は知らないんだけど、たぶんそれだと思う」
「ふーん、私も詳しくは知らないんだよねぇ」
「え?
「うん。知らない。
「え、ええっ!?
「うん。誘われたけど入ってない」
あっけらかんと答える
ユウヤ君が主催しているトークグループなら間違いなく
「
ルックスも性格もいいなんて……。
彼女に二物を与えた神様はほんっとにいい仕事してくれている。
どっかの自称女神と違って!
僕はそんな
「な、なに……? そんなに見ないでよ、なんか恥ずかしいじゃん……」
「えっ……。あっ! ご、ごめん! 別に意味はなくって……」
「もう。また謝ったな! 次言ったら罰ゲームだから!」
「あはは。罰ゲームは怖いなぁ……」
「じゃあ、とりあえず最初の罰ゲームしようか!」
「えっ、なんで!? まだ言ってないよ!」
「さっきから意味もなく何回も謝ったじゃん! もう既に罰ゲーム決定だよ!」
「えぇ!? それは横暴だなぁ……」
「いいのっ!」
「私にコンポのこと、ちゃんと教えて!」
軽く首をかしげて弾けるように笑む彼女にどきりとした。
そうだった。
僕と彼女をつなぐ唯一の話題。
といっても彼女の場合、たぶんその辺の電気店で売っているレベルのコンポが欲しいだけだろう。
その中から選べばいいだけなら、それほど難しい選択にはならない。
「うん。わかった。僕の知っている限り、しっかり説明する」
「うむ、よろしく頼むぞ!」
腕を組んで殿様のような口調でちゃかす彼女は、意地悪そうな顔を作って笑んだ。
その顔も素直に可愛い。
こんなに魅力的な女の子にお願いされて断る男子なんているだろうか。
ミライが言っていた言葉――。
だからなのだろう。
「じゃあ、どうしようかなぁ。このまま立ち話じゃあれだし、どっかお店でもいこうか?」
調子に乗った僕は、口からさらっとその言葉が零れた。
特に意識せずに出た言葉だったが、その言葉の意味を自分で認識した時、かぁっと恥ずかしさがこみ上げてきた。
これってデートに誘った形なんじゃないのか……?
自分の言ったこととは言え、出てしまった言葉に焦った。
案の定、
「えっ? お店? うーん……」
「あ、いや、ごめん! 無理だよね。な、何言ってんだろな! ごめん、ごめん! あは、あはは……」
「ちょっとぉ……もう……はぁ……。なに?
「そ、そうでした……。ごめ……あっ!」
「ほんとさぁ。これは罰ゲーム追加だな!」
「ええっ! 追加!?」
彼女に話の主導を取られまくっている。
だが確かに僕は謝りっぱなしだ。もっとしっかりしないと。情けない。
「そうだなぁ……」
何を言い出すつもりなんだろう。ごくり。
「よし! 決めた!」
彼女の大きな瞳がぱっと僕に向けられる。
すらりと細い人差し指で僕の胸をツンと押した。
「時枝君の持っているコンポ、それ私に聞かせてよ!」
「……は、はいっ!?」
「趣味って言ってるくらいなんだもの。
な、なんだって……?
それってどういうこと……?
つまり……?
その言葉の意味をすぐに理解することなどできるわけもなく、頭の中で反芻し尽くした。
そして僕は一つの答えにたどり着く。
緊張が高まり、必然、声は裏返った。
「どどどどうだろ……いい音かなぁ……どどどうだろなぁ……」
「あははっ! どれだけどもってるの!」
けらけらと
そりゃ、どもりもしますって……。
僕の持っているオーディオで音楽を聴きたいっていう事は要するに……。
「あの……それはいったい……どこで聞くの……?」
現実的に答えは一つしかないことはわかり切っているけれど、こればかりは聞かないわけにいかなかった。
もしかしたら僕の持っている機材を土管でもあるどこかの公園に持っていってそこで聞きたいって言いだすかもしれないじゃないか。そんなの絶対に無理だけど!
しかし!
壮大な勘違いをしている可能性だって考えられる!
だって、僕のオーディオで音楽聞くってつまりそれってその……。
「どこって、
当たり前でしょ、と言わんばかりに可愛らしく小首をかしげる
や、やっぱりそういうことですか!?
それって僕の部屋に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。