第6話
少しは筋肉あった方が女子にモテるかも――?
そんな安っぽくて下心満載な考えで始めた筋トレだったが、翌朝にはそんな安直な考えを心の底から後悔するほどの激痛に見舞われた。
腕立てや腹筋と言う本当に初歩的な軽いトレーニングをしただけなのに、上腕も胸筋も腹筋も熱を帯びたかのように火照り、少し動いただけで呻き声が漏れるほど痛みが襲ってきた。
寝てる間に棒で体をぶっ叩かれて筋肉が潰れたんじゃないかと思ったほどの痛み。
正直ここまでの苦痛は予想していなかった。
その中でも特に酷かったのは腹筋だ。学校で席にただ座っている時でさえおなかの筋肉がプルプルと震えて止まらない。
自分の意志とは無関係に震える筋肉は電気ショックで痙攣しているかのようで、少し気持ち悪くもあった。
それでも、
『やる時はやる、それが男ってものだ』
お父さん語録を思い出し、一度やると決めたことだからとトレーニングは毎日少しずつ続けた。
とは言え、もともとそれほどハードな事はしていない。
腕立と腹筋の目標回数は結構すぐにこなせるようになってしまった。そして僕は何を思ったのか、調子に乗ってスクワットを追加した。
これがまた新たな苦痛を連れてくるとは知らずに――――。
結果、お尻が筋肉痛になる、ということを生まれて初めて知ることになる。
この頃になると、
『女子からモテるかもしれないから』
なんていう下心で筋トレを続けられていたわけじゃなかった。
筋肉がついたところで、僕の顔がイケメンに変貌するわけでもないし、この陰キャの性格ががらりと変わることもないのだ。
実利として考えてしまうと今一つやる気はでてこない。
ではなぜこの苦痛を伴う反復作業を継続することができたのか?
新しい自分を発見できたこと、それが筋トレを継続できた理由だった。
筋トレは自己満足だ。
そう言われてしまえばそれまでなのだが、トレーニング後の充実感。
火照った体と張った筋肉。あふれ出るアドレナリンによる高揚感ッ――。
つまるところ!
辛さに耐えることで得られる快感!!
それが最高にイイッ!
……すこし熱が入ってしまったが、とにかくだ……。
筋トレを始めた理由はあまり褒められたものではないかもしれないが、体を鍛えるのは案外いいものだなと最近思えてきたのは幸いだった。
ちなみに、M気質があるかどうかは、考えないようにする。
失礼、筋トレの話ばかりしてしまった。
ユウヤ君はといえば、用具倉庫裏での暴行以来、僕に何かをしてくることはなく、いつも通りさわやかで優しい人だった。
不気味なくらいに本当に何事もなかったかのように、僕に接してくる。
そのような態度を繰り返されると、あの日の事はちょっと機嫌が悪かっただけで、彼にとってはそれほど大したことではなかったのではないか、とすら思えてきてしまう。
だが一応、僕は気を使っていた。
「ねね、
という
「ごめん! ちょっとトイレ行きたいんだ! また今度でいいかな!」
別に行きたくもないトイレの個室に僕は駆け込んだ。
しかも
話したかったことはきっとミニコンポのことだろう。
僕だって、
けれどもその時、ユウヤ君の視線をしっかりと感じていたのだ。
僕が
射るようなその視線は否が応でも彼の言葉を思い出させる。
『無視すりゃいいだろ』
授業開始を知らせるチャイムが鳴るまでトイレの個室に籠っていたが、ずっとその言葉が頭から離れなかった。
2年生になった時のクラス替えでひとりぼっちになった時の事を思い出してもいた。
1年の時に仲良くなった数少ない友達は全員別のクラスになった。
誰とでもすぐに仲良くなれる性格ではない僕は、高校2年の学校生活をしばらく一人で過ごすことになる。
そんなことをしているうちに、あっという間にクラス内はグループを形成していった。
楽しそうに談笑するクラスメイトを横目に、そのスピードの速さに僕は内心かなり焦っていた。
そんな時に声を掛けてくれたのがユウヤ君だった。
1年の時から有名だった彼のことは僕も知っていた。このクラスのグループ形成が早いのも彼の影響だ。
『
ひとりぼっちだったことに加え、有名人に声を掛けられたこともあって僕は飛び上がる程に嬉しかった。
二つ返事で答える僕を、ユウヤ君は優しく爽やかな笑顔で迎えてくれた。
その時の彼は、男の僕が見ても本当に素敵な笑顔だったのに――。
今は僕は彼の言葉によってトイレにいる。
◇
それ以降山瀬さんから声を掛けられることは一切なく、当然、僕からも話しかけることもなく日は過ぎていった。
それは週が明けた月曜日だった。
「おはよう」
誰にでもなく挨拶をしてクラスに入った。返事はなかった。
その代わりに、いくつもの無言の視線が注がれていることに気付いた。
その雰囲気に何か得体の知れない違和感を感じながらも、それが何かわからないまま僕は席に向かう。
ユウヤ君の席の横を通るとき、彼に「おはよう」と笑顔で挨拶をした。が、通り過ぎようとしたその時、僕の太ももに鋭い衝撃が走った。
「っい!」
硬い突起物で叩かれたかのような刺激だった。
ただでさえ筋肉痛で痛い場所を叩かれたことで、太ももの筋肉がじんじんと痛んだ。
何が起きているのか理解できないままユウヤ君を見やると、彼は右手にこぶしを作り、中指の第二関節だけを少し出して尖らせていた。
口元にはゆがんだ笑みが浮かんでいる。
「時枝。おはよ。ずぼん汚れてたからはたいてやった」
「え? 汚れ……?」
「こっちも汚れてんじゃん」
彼は右足のつま先で僕の向こう脛を思い切り蹴飛ばした。
「っ!!」
骨に直に響く激痛が走った。
机と机の列の間にうずくまり、蹴られた場所を無意識に押さえた。
「な、なにしてんの……ユウヤ君…………」
「おいおい、
ユウヤ君の斜め後ろに座っているヒサシ君がこちらにやってくる。彼と目があった。
だが彼はちらりと僕を見た後、視線をさっと逸らした。
「
「だろ? せっかく汚れを取ってやったのに。これじゃなんだか俺が悪いみたいじゃん」
「はは、そうだね」
ヒサシ君は乾いた笑いで答える。
「
最後のユウヤ君の言葉は、クラス中に聞こえるくらいに大きな声だった。
その声に、クラス中の視線が僕に注がれた。
教室の端っこに
その中には山瀬さんがいた。心なしか彼女の視線も冷たく見える。
突然のことに何が起こっているのかわからず、うずくまりながら戸惑う僕だったが、
「早く席着けって。授業始まるぞ」
ユウヤ君は先ほどとは打って変わり、いつもの優しい声音で言った。
だが僕に向ける眼は決して笑ってなどいない。
「ああ、うん……。そう……だね」
僕は痛みに耐えながら自席に向かった。
向かう途中、クラスの皆をできるだけ見ないよう自然と視線を逸して歩いていた。
けれども彼らから向けられる視線は、ずっと背に感じていた。
◇
「あちゃ……。そうだ。確かしげちゃんの悪い噂を大野が流しているんじゃなかったかな」
その日の夜、部屋に入って電気をつけるなり「ばあ!」といって僕を驚かそうとしたミライ。
そんなこともあるだろうと見込んで、部屋に入る際は常に気を張っていた僕は「ああ。久しぶり」と至って冷静に軽くあしらってやった。
正直明るい気持ちにもなれなかったし。
それが気に障ったらしい。
「ちょっと何その態度! 笑いってものを知らないね、笑いってものを!」
ぐちぐちと僕を責め立てるミライに、今日学校であったことを話した時の回答がこれだった。
「なにそれ……」
「だから、
「でも悪い噂って言われても、そんなの証拠ないじゃん……」
とは言ったものの、教室に入った時の違和感を思い出した。
「たしかに教室入ったとき、変な視線は感じたけど……」
「スマホのLAINってアプリだっけなぁ。クラスの一部の生徒だけでグループ作って会話してるらしいよ。大方そこでしげちゃんのこと悪く言ってるんじゃない?」
「そんなことまで知ってるんだ。……それもやっぱり女神だから?」
「そう、物分かり良いね」
満足げな笑みを浮かべるミライ。
僕以外の事まで知っているなんて、本当にどういうことなんだろう。
「LAINか……そんなトークグループがあるなんてなぁ……」
「もちろんそのグループを作ったのは
なんてことだ……そこまでして僕をいじめたいのか。
口惜しさや恐怖よりも、理由もその思考も全く理解できないことに戸惑う。
でも何よりも気になっていることがある。
「はあ……
「なんで?」
「こないだ話しかけてきてくれたのに無視しちゃったんだよね」
「ええ!?」
「ユウヤ君がすっごい睨んでたから仕方なく……」
「それはダメだよぉ。女子を無視するのって、一番やっちゃいけないことナンバーワンだよ……」
「ミライって時々日本語あぶなそうだよね……。今日
「……ったく!
「嫉妬? そもそも
するとミライは、突如けらけら笑い出した。
「異常ね! うんうん。それはある意味合ってるかも! 私が聞いてても
「女神でもそんなこと思うんだ……」
「
「あ、ありがと……」
誉め言葉に一応の感謝を述べると、ミライは素直にえへへと照れた。
「さてと……今日は様子見に来ただけだったんだ。
「何とかって言われてもなぁ……」
「前にも言ったけど、なにせ
「前向きねぇ。気軽に言ってくれるな……」
「私も悪い方向に物事が進んでる時、無理やりにでも前向きに考えるようにしてるもの。ね、だから頑張って」
「へぇ……女神でも後ろ向きな時、あるんだ?」
「……へっ?」
だからぁ。目がふわっふわに泳いじゃってますって女神様……。
ほんとわっかりやすいなぁ、この子。いま明らかに女神設定忘れてただろ。
「い、いつも前向きよ! 女神だもの、当たり前でしょ! 超前向き! めっちゃポジティブだから!」
「はいはい」
「ちょっと! そういうあしらい方しないで!」
「君が何者だかいまだにわからないけど、あまり頭は良くなさそうっていうのだけはわかってきたよ」
「ひどっ! 言っとくけど、私の親族すっごいんだから! 天才よ、超天才! その血が流れてるんだから! 見くびらないでくれるかしら!?」
「親族? 女神にも親とかいるんだ? 神様なのに? 生まれるの? 親から?」
女神設定がガバガバすぎる……。
ダ、ダメだ、ぷふっと漏れ出た笑いを止めることができず、
「あははっ!」
声を上げて笑ってしまった。
「う、うるさい! うるさいっ! 笑うなっ! 人間にできることは女神は何でもできるの! 生まれることだって容易いのよ! バカ! バカ!」
言うに事欠き酷く低い語彙力でぷんすかと怒る女神様。
ほんとにもう女神設定なんてやめればいいのに。
でも、天然のようでもあり、それでいて結構しっかりしたことをいう時もある。
とにかく、なんだかんだこのミライと話していると飽きないことは確かだ。
それに、得体のしれない彼女が僕の前に現れたこと。
それに加えて『幸せになるために山瀬さんと付き合え』と言っているのは、きっと何かしらの大事な理由があってのことなのだろう。
僕にはそれがなんなのかわからないけれども、もう少しこのノリに付き合ってあげようかなと思えてしまう、そんな魅力が彼女にはあった。
だから幽霊みたいに宙に浮いていたって、カッターの刃が体を通り抜けたとしたって、もう大したことには思えなくなっていた。
僕の味方って言ってくれる、それだけで十分じゃないか。
こんなにうれしい事、他になかなかないでしょ。
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