第2話
そのまま帰るのがなんとなく嫌だった。
別に行きたいわけではなかったがファーストフード店によって時間を潰し帰路についた。
家に着いて玄関を開けると、妹の
「おかえりー。私より帰るの遅いとか珍しいね……って、制服汚れてるよ?」
「え? どこ?」
「ずぼんの横」
妹が指先す先を見ると、たしかに左足の太ももからふくらはぎの辺りまで、乾いた泥のようなものがついていた。
学校のトイレに転がった時に着いたものだ。今まで気づかなかった。
「さっき転んだからかな」
「マジでっ!? 高校生で転ぶとかある? どんだけ鈍いの」
「うるさい。よそ見してたんだよ」
「あはは、ウケる」
乾いた笑い声を残し
自分の制服を見渡すと肘や肩も汚れていた。
汚れをパンパンと払い、手拭き用として玄関に置いてあるウェットティッシュで拭いた。
自分の部屋に入ると既に日は暮れており部屋の中は薄暗かった。
ドアを閉めてそのままドアに寄りかかりるようにして座り込む。目を瞑った。
誰もいない部屋。
かすかにしか聞こえない外の音。静かな時間が過ぎていく。
誰に気兼ねすることなく過ごせる安全な場所だ。
静寂と暗闇が全てを打ち消してくれるようで心地が良い。
僕だけの世界に心を委ねながら、今日の事を思い出していた。
ユウヤ君が
多分……恋愛感情がある。
ヒサシ君も
しかしユウヤ君が好意を寄せていそうなことを察知したからか、
「
と言っていた。
ユウヤ君に歯向かう事で、これからの高校生活に影響がでることを恐れているのだろう。
ユウヤ君は高身長でイケメン。勉強もできてスポーツは万能。それに加えて家がお金持ちと来ている。
僕のような学校内の立場的弱者を拾って仲間にしてくれるリーダ的気質と包容力も備えている。
実際、女子からの人気はかなりのものだ。
男子からだって憧れの目で見られている。
しかし、そんなユウヤ君の今日の僕に対する態度は、リーダー的という感じではない。
あれは、いじめだ。
いままでも、たまにそういう様子を見せることはあったけれども、今日ほどの扱いを受けたのは初めてだった。
でも普段は優しいし、いい人。それも知っている。
だから僕が彼を怒らせないようにすれば、これからもいい関係を築けるはずだ。
僕が気をつければユウヤ君は幸せだし、僕も彼のグループに置いてもらえる。
だから今日のことくらい……。
これくらいのことは……なんてことない……。
…………なわけがない。
……そんなことあるわけないだろ……!
トイレで威圧的な態度をとられた時、体が竦んだ。
あの大きな両手で首を絞められた苦しさは忘れることができない。
見開かれた双眸からは刺すような鋭い眼光が見えた。
トイレに転がされた屈辱は、きっとこれからも消えることはない。
思いだすだけで、いまも心が恐怖に締め付けられる。
思い出していたら自然と両足を抱えこんで小さく丸まっていた。
両ひざに顔を埋めて目をぎゅと瞑った。
くそっ。くそっ。くそっ!
自分の愚かな言動を恨んだ。
でもそれ以上になんでこんな目に合わなきゃいけないんだという悔しさがこみ上げてくる。
自然と滲じむ涙を袖で拭った。その時だった。
「…………ひどっ……」
誰もいないはずの部屋の中。声が聞こえた。
……空耳?
いや、間違いなく女の声。
妹の声? 一瞬そう思ったが、声色は似ているがすこし違う。
うっすらと目を開け、聞こえた声の方に視線を向けた。
すると薄暗い中に浮かび上がる人影が見えた――――。
「うわぁああああっ!!」
驚きと恐怖のあまり叫んだ。
反射的に床を足で蹴って飛び下がる。だが、背中にはドア。
思い切りぶつかってガンッと大きな音が鳴った。
「お兄ちゃん、うるさい!」
リビングのほうから
やはり目の前にいる人影は妹ではない。
よくよく目を凝らすとその人影はこちらに顔を向けていた。口を押さえるような仕草をして影は一歩後ずさった。
「……な……え、誰だよ……!」
僕は壁伝いに手を這わせながら呻くように聞いた。
壁の突起を見つけてかちりと押す。
電気がついて部屋が明るくなった。
そこには女の子がいた。
「……あ、驚かせちゃったか」
戸惑う僕とは真逆に、あっけらかんとした声で女は言った。
明るめの長い髪。白シャツに赤いリボン。チェック柄のスカート。
どこかの学校の生徒なのだろうか。制服のようなものを着ている。
なんだこいつは……。
女と言えども部屋に勝手に入ってきているなんて……。
泥棒? まさかストーカー!?
……いや、僕に限ってストーカーってことはありえないか。
ともかく危険な状況であることだけは間違いない。
武器になりそうなものを探す……。机の上にカッターがあるはずだ。このまま壁伝いに進めばたどり着ける。
目の前の不審者から視線を逸らさず、じりじりと机ににじり寄る。
女はきょろきょろと自分の姿を見渡していた。
そこで僕はもっと恐ろしいものを見た。
彼女の足だ。
その足が床からほんの少し浮いている。
全身にぶわりと鳥肌が立った。背筋に冷たいものが走った。
「……ゆ、幽霊っ!?」
体から一気に力が抜け、恐怖が脳内を駆け巡る。
足がガクガクと震えて、脇には変な汗がじっとりと湿る。
人間、本当に恐ろしいと変なことを考えるものらしい。
幽霊ってカッターで切れるのだろうか?
いや、切ったら切ったで呪われたりするのだろうか?
そんな事を考え始めていた。
だが女幽霊は僕が恐怖を感じていることなど気にも留めない様子で、
「そっか……。そのまま見えちゃうんだぁ。マジかぁ」
一人ごちていた。
そしてがくりとうなだれた。
その様子がとても人間味あふれていた。
だからこそより一層混乱してしまう。
恐怖を味わえばいいのか、それとも安らげばいいのかわからない。
「……これ大丈夫なのかなぁ」
女幽霊はひとりでぶつぶつとしゃべっていた。だが、突如として僕の目をしっかりと見つめてきた。
明かりの下でみるその眼は……やはり幽霊らしく感情のない、真っ白で、気色の悪い目……ではなかった。
ぱっちりとした可愛らしい女の子の目だった。
「ま、しゃあないかぁ。お…………っと、これはさすがにマズイか」
「マ、マズイ……?」
「あー、いいの、いいの。こっちのこと。えっと、きみは
な、なんだなんだ、どうした? どうした!?
一人で喋って一人で笑っているぞ!
いや待て……。
そもそも幽霊の単位はひとりなのか? ひと幽霊って呼ぶべきか?
などと訳のわからないことで頭を悩ましている場合じゃない。
とりあえず僕の名前まで知ってるとか怪しすぎるだろ。
いったい何者だ、こいつ。
「なんで僕の名前知ってるんだよ!」
「あはっ! ほんとにあってた! すごぉ!」
あれ……? 会話が噛み合っていない。
女幽霊は一人で何かに納得し喜んでいる。
「ねね! 呼び方どうしよう? 堅苦しいのは嫌だから……しげちゃん? それとも、みっちーとかどう? ぷふっ! みっちーはさすがにないかー! 無い無い! 無いね! しげちゃんにしよう!」
呼び方……? いまそれ大事なことか?
しかも勝手に呼び方を決められた?
そのノリに全くついていけず呆気にとられていた。
さきほどまであった恐怖はどこかに飛んでいってしまい、むしろこの女幽霊にイラつきすら感じ始めていた。
だがそれでも僕は彼女の足元からは目が離せなかった。
確かに宙に浮いている。
何度見ても足が床に着いていない――――。
そう、足が床についていない。
つまりこの幽霊。足がある。
日本の幽霊って足は無いのかと思っていた。
「き、君はいったい……。幽霊?」
「はは。そんなわけないじゃん。勝手に殺さないでよ」
「じゃあ、なんで浮いてるの……?」
女は自分の足元を見る。
すると今気づいたのだろう、はっとした顔を見せた。
「あ! ほんとだ! ちょっと浮いてる! でもなんでって言われてもなぁ」
女は宙に浮いていながらも幽霊であることを否定する。
というよりも自分の状況を彼女自身あまり理解していないようですらある。
だからといって、僕からすれば不審者であることに違いはない。
僕はカッターを手に取った。
この女とやり取りしながらもしっかりと武器に近づいていたのだ。
カチカチと刃を出して女に向けた。
「これわかるよね。君が誰であってもそんなのは関係ない。直ぐに出て行かないと、僕も何するかわかんないよ」
もちろん刺すことなどない。ただの脅しだ。
しかし女はきょとんとした表情を浮かべてカッターをじっと眺めている。
怯えた様子はまったくなかった。
どころか「へー」と関心している。
「結構いけてるじゃん。思ってたのと違うなぁ」
「いけてる?」
「うん。カッター持って立ち向かうなんてすごいじゃんってこと。案外やるねぇ」
何故か褒められた。
「……い、いいから出てけよ! 警察呼ぶぞ!」
「大きな声出さないで。落ち着いてよ」
「知らないヤツが勝手に部屋にいるんだぞ! 落ち着けるか!」
そういって僕はカッターを突き出した。
繰り返すが、ケガをさせるつもりは毛頭ない。
だが胸の前に刃物。普通なら絶対にビビるはずだ。
だがさすが不審者。常識は通用しない模様。
僕が突き出すカッターにおもむろに近づいてくる。そして遂にはカッターにずぶずぶと自らの体を埋めていった。
なんならちょっと自慢げな顔つきで埋めていく。
「ひ、ひぃ……!」
変な声が出た。
「勇気は認めるけど、ほら、そんなの無駄だって」
「や、やっぱり幽霊……!」
こんなにもはっきりと目の前に女の体があるのに、カッターに突き刺さる感触がまったくない。
それがむしろ気持ち悪い。
だが、距離が近づいたことで、ひとつわかった事がある。
女の体の表面には光の粒子がちりちりと小刻みに舞っていた。
「私、幽霊じゃないし、おばけでもない。もちろん不審者でもないし。……って、なんかずいぶん失礼な言われようだね」
そう言って女は顎に指を当てる。
「でも、たしかにどう説明すればいいのかな……」
可愛らしい仕草で考え始める。
うーんうーんと10秒ほど悩んでいた。
するとぱっと顔を上げた。
何かを思い出したかのように、満面の笑みを向けてきた。
「――――女神っ!」
「へ……?」
「女神ってことでどう!? よくない!?」
えっと、自称女神ってこと……かな?
ほんとに何言ってんだろう。
頭がおかしいのだろうか。
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