猫妖精ケット・シーと理沙の物語 ~現代の日本とケット・シーの国を行ったり来たり~
陽咲乃
第1話 初めての出会い
高校に入学してから、伯父さんの経営するドラッグストアでアルバイトを始めた。もちろん専門的な知識はないので、商品を補充したりレジを打ったり、簡単な接客をするだけだ。
ある日、商品を並べていると店の隅で声をかけられた。
「あ、あの」
振り返ると、男の人が立っていた。夏なのに長袖のパーカーを着てフードまで被り、ポケットに両手を突っ込んでいる。
「どうしました?」
「薬が欲しいんですけど」
「でしたら、薬剤師の方がいいですね」
わたしが伯父さんを呼ぼうとすると、
「いえ、あなたが選んでください」と、妙に強い口調で言われた。
なんか、めんどくさそうな人に捕まっちゃったな。
「……じゃあ、とりあえずどんな症状か教えてください」
「すごく熱があります」
「頭痛は? 吐いたり、下痢はしてますか?」
「頭が痛いとおっしゃっていますが、吐いたりしてませんし、お腹も大丈夫です。ただ、眠れないくらい咳がひどくてお辛そうです」
ガラは悪そうなのに、言葉遣いはバカ丁寧だな、この人。
「じゃあ、解熱鎮痛剤と咳止めですかね。でも、ひどいようなら病院に行ったほうが──」
「駄目なんです! 病院には連れて行けないんです!」
お客さんが首をブンブンと横に振ると、その勢いで被っていたフードが脱げた。
するとフードの下から茶色いモフモフした耳が――んん?
思わず二度見した。
「あっ、これは、違うんです!」
耳を隠そうとしたのか、ポケットに突っ込んでいた両手を出すと、右手が茶色い毛で覆われていた。
まさか、ファンタジー小説に出てくる猫の獣人!?
「あー、どうしようぅうう」
パニックを起こしかけてるお客さんに素早くフードを被せた。
「早く手を隠して!」
「は、はい」
「もうすぐバイトが終わるから、ちょっと待ってて」
「え?」
「薬が必要なんですよね!?」
「はい! 待ってます!」
夕方の5時。夏の空はまだ明るい。
わたしは、お客さんを家に連れて帰ることにした。
うちは2DKのマンションで母と二人暮らしだ。父と母はわたしが小さい頃に離婚した。ろくでもない父親だったので、養育費ももらえず母は苦労している。
「お母さんは仕事だから……あ、そこに座って」
わたしたちはリビングのソファに並んで座った。
「色々と事情がありそうだけど、隠さないでちゃんと姿を見せて。薬を買うにしても、身体に合った物を選ばないと」
「……わかりました」
お客さんがポケットから手を出してフードを脱ぐと、緊張しているのか少し伏せたモフモフの耳が見えた。
「猫ちゃんだあ!」
「うわあ、何するんですか!!」
思わず飛びつこうとするわたしを、猫ちゃんが必死に止める。
「あ、ごめんなさい。つい興奮して」
「なんですか、つい興奮って!」
「実はわたし、大の猫好きで。ちょ、ちょっと手に触ってみてもいい?」
わたしの荒い息遣いに若干引きながらも、猫ちゃんは手に触らせてくれた。
「ふわ――、肉球ぅううう」
「ひいっ、グニグニしにゃいでください!!」
「しにゃいでって!」
喜んでいると猫ちゃんにキッと睨まれた。
「ああ、失礼。つい……それで、猫ちゃんの家族が病気なの?」
「いえ、ご病気なのは王様と王妃様なのです。わたしたちはケット・シーという猫の妖精で、ティル・ナ・ノーグという王国で暮らしているのですが、最近、外から持ち込まれたウイルスによって、病気が蔓延して困っています。いつもは治癒魔法や薬草で治るのですが、このウイルスには全く効かないのです」
「でも、なんで日本に?」
「実は、王宮には望んだところへ行ける魔法の鏡があるのです。そこで、王家の騎士であるわたしが国の代表として選ばれ、『この病気を治してくれる人のところへ行きたい』と鏡に願いました。そして鏡に吸い込まれたわたしが目を開けると、目の前にあなたがいたのです」
「そうなの!?」
「はい。どうか、ティル・ナ・ノーグ王国をお救いください」
猫ちゃんがわたしの前に跪いた。
「いやいや、ちょっと待って。わたし、ただの女子高生だよ?」
なんでもっと金とか権力とかありそうな人のところに出なかったのかな。故障してんじゃないの、その鏡。
「ちなみに、鏡が故障しているなんてことはありえません」
読まれてるし。
「あぁもう、わかったよ。じゃあ、まずは薬を買わなきゃね。猫ちゃん、お金は持ってるの?」
「その、猫ちゃんという呼び方はやめていただけますか? わたしの名前はコルムと申します」
「わかった。コルムね。わたしは理沙よ」
「リサ様」
「様はいらないから。それで、コルムはお金持ってるの?」
「どこの国に行くかわからなかったので、お金ではなく純金の粒をお持ちしたのですが」
「わお!」
コルムが持っていた袋を開けると、ピカピカの金の粒がいっぱい入っていた。
「これ、全部もらっていいの?」
自分の鼻息が荒くなるのがわかる。
「はい。これで薬を買えますか?」
「買える買える。十分だよ。とりあえず、咳止めと解熱剤をいっぱい買ってくるから、ここで待ってて」
「よろしくお願いします」
◇
理沙が出掛けたあと、コルムは部屋で落ち着かない様子で待っていた。
しばらくすると、玄関のドアが開いて、誰かが家の中に入って来た。
「理沙? 帰ってるの?」
足音が近づいてくる。
理沙の母、加代子がリビングのドアを開けた。
「いないの? おかしいわね、電気つけっぱなしで……あら?」
ソファの上に大きな茶色の猫を見つけた。
「まあっ、おっきな猫ちゃん! どうしてこんなところに……理沙が連れて来たのかしら」
猫はプルプルと震えている。
「まあ、こんなに震えて。可哀想に……大丈夫、怖くないでちゅよ。お腹すいてまちゅか?」
ずいぶん変な話し方をするご婦人だなとコルムは思った。
(リサの母親だろうか? たぶんそうだ。顔と声が似ている。リサが戻るまで大人しくしていよう)
「ほら、おやつでちゅよ」
コルムは差し出された“チーカマ”というものを、おそるおそる口にして驚いた。
(美味しい! なんだこれ!?)
夢中になってチーカマを食べるコルムを加代子は目を細めて見つめている。
「いっぱい食べてねー。うふふ」
(可愛いわあ。理沙ったら、まさか飼うつもりかしら。ハチがいなくなってから、もう猫は飼わないって言ってたのに)
そのとき玄関を開ける音が聞こえた。
「あ、帰ってきたみたいね」
「お母さん、帰ってるの!?」
理沙がバタバタと部屋に飛び込んできた。
「玄関に靴があったからびっくりしたよ。ずいぶん早かったね」
「今日は暇だから、たまには早く帰れって社長が言ってくれたの」
加代子は通販の会社で事務の仕事をしている。
きょろきょろしている理沙に、
「猫ちゃんなら、おやつ食べてるわよ」と、台所を指さす。
見ると、カウンターの上でむしゃむしゃとチーカマを食べている大きな猫がいた。
「わっ、猫になってる!」
「なに言ってるの? ところでこの猫ちゃん、どうしたの?」
「えーっと、友だちに頼まれて今日だけ預かってるの。すぐ返すから心配しないで」
「あら、残念。もう少し預かってもよかったのに」
「そ、そう? まあ、しょうがないよ」
理沙はコルムと脱げた洋服を抱きかかえ、自分の部屋に連れていった。
◇
「もう大丈夫。こっちが本当の姿なんだよね?」
コルムは猫の姿のまま二本足で立っている。ちょうどわたしの腰の高さくらいの大きさだ。
「そうです。さっきは人間に見えるように魔法で変身していました。ケット・シーは変身魔法が苦手なので、完璧に変身するのは難しいんです。今回は耳と右手が残ってしまいました……そういえば、薬は買ってきてくれましたか?」
「もちろん! ほら、何件かハシゴしてきたんだ。一つの店であんまり大量に買うと、変に思われそうだからさ」
わたしは薬の入ったレジ袋をコルムに渡した。
「ああっ、ありがとうございます。これで王様も王妃様も救われます」
「ところで、どうやって帰るの?」
「道筋はついてますから、鏡さえあれば大丈夫です」
コルムは部屋にある姿見の前に立った。
「では、帰還します!」
コルムが大きな声で言い放つと、鏡から光が溢れ出た。
「気をつけて帰ってねー」
「何言ってるんですか。リサも一緒に行くんですよ」
「ええ――――ーーー!!!」
わたしは叫びながら、鏡の中に吸い込まれていった。
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