◎第29話・少しの郷愁

◎第29話・少しの郷愁


 しばらく客将として、風雲国の自分用の客室でのんびりしていたシグルド。

 ロータスの隠れ家と違い、やることがない。

 ロータスの下では、子どもたちに勉強を教えたり、料理をしたり、生活の雑用で色々回ったりしたが、この国では客人待遇なので、そんなことはしない。

 何もしなくていいというのは、疲れを癒すには最適だが、あまりに何もしていないと、それはそれで若干の不安が生じる。

 もっとも、総領国との戦いの時は、少しずつ近づいているように感じる。その大一番のために、いまは英気を養っておくべきなのだろう。

 きたるべき決戦の時のために、ゆっくりと過ごす。いまならまだ、風雲国による暗殺のおそれも、まずないだろうから。

 しかし、静かな休養は、いつだって突然打ち切られる。

「シグルド様、国王陛下が会わせたい人がおりますので、少し出てきてはいただけませんか。議長も同席されます」

 会わせたい人……今更?

 彼は首をひねった。


 謁見の間に行くと、議長や国王とともに一人の見慣れない男がいた。

「遅れました、シグルド参上いたしました」

「構わん。楽にせよ」

 見慣れない男はこちらに一礼し、「こちらがあのシグルド殿か、お初にお目にかかります」などとあいさつ。

 この男、一見さわやかな好青年に見える。

 ……だが、シグルドはその持ち前の鋭い勘で、目の前の人物が尋常な人間ではないことを予感した。

「紹介しよう。この男はパトリック。その、なんだ、一言でいうと兵法家だ」

「《兵法家》?」

 シグルドはともかく、議長の前に引き立てては、議長が憤激するのではないか。

 などと彼は思ったが、そうでもないようだった。

 理由?

「おっと、彼は兵法や計略の類を修めているが、《兵法家》の職適性は持っていない。立派な、というのもおかしいが、無適性者だ」

「兵法を使える無適性者? 適性無しでどれほどの技術に……」

 言いかけて、彼は思い出した。

 適性職の判断要素には「職業倫理」と「適性職とするにふさわしい、能力の均衡」があるとされている。

 職業倫理はその名の通りとして、能力の均衡とは、以前説明したように、一点特化型ではなく、その適性職に求められる一定の技能につき、比較的まんべんなく才能や素養があることを意味する。

 つまり、目の前の怪しい男……パトリックは、《兵法家》としての職業倫理に欠けるか、何かに一点特化しすぎて均衡がないかのいずれかということになる。

「むう……」

 シグルドは腕を組んで思案した。

「まあ、懸念は分かっておるつもりだ。パトリック、その辺り説明せよ」

「分かりました。おれは……」


 パトリックは、かつて世界を放浪していたが、持ち前の知恵でこの国に関する問題を解決したときに、風雲国国王に才を見出され、召し抱えられることとなった。

 彼は放浪時代、世界のどこかにある兵法書の書庫――場所は言えない。言うと滅ぼされる――で、一年半ほど勉強していたという。

 この点、サンペイタの時代にほとんどの兵法書は焼かれ、失われているとシグルドは聞いていた。しかしパトリックによると、その書庫はかろうじて生き延びた兵法書を蔵書し、研究ができる状態であるという。

 兵法の心得がありながら、《兵法家》ではない。技能はありながらも、適性職の烙印は押されていない、身のきれいな人間。

 パトリックは自分で「おれこそが継承会議の悲願に必要な真の人材でしょう」と言ってのけた。


 しかし、シグルドは彼が職業倫理に欠けているのではないかと考えた。

「ひとつ質問よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「パトリック殿、貴殿はなぜ《兵法家》でもないのに、兵法や計略の道に目覚めたのですか」

 聞くと。

「自分の策略で人が死ぬのが楽しいからです」

 予想外の答えが飛び出てきた。

「おう……」

「だって楽しいじゃないですか。自分の計略で、一騎討ちの教条によって地位を得た将軍やら、散々こちらを苦しめてきた要人が、たちどころに死ぬんですよ」

 風雲国国王が「彼はいわゆる合戦の経験はまだないが、暗殺や謀殺、小規模な集団戦、その他計略の経験は大いにあるのだ」と補足した。

 しかしそこが問題なのではない。

「総領国とかいう《兵法家》の国ですか、あの国は本当に死なせ甲斐のある人間が多いみたいですね。天運に認められた《兵法家》たちを片っ端から全滅させる光景を思い浮かべると、本当にゾクゾクしてきますね」

 これは確実に「職業倫理」のせいで《兵法家》適性職を免れた人間である。

「そうか……まずはパトリック殿、理想のためによろしく頼みます」

「おれは理想があろうとなかろうと楽しく仕事しますが、まあこちらこそよろしくお願いいたします」

 彼は朗らかでありつつ、どこか邪な笑みを浮かべた。


 その後、シグルドは議長の下を訪ねた。

「あのパトリックとかいう男、絶対にまずい者です」

 兵法の心得がありつつ、《兵法家》のレッテルが張られていない。

 一見、継承会議に本当に都合がよいようにみえるが。

「あの男、確実に災いをもたらします。そもそも、合戦をあれほど渇望し、流血を伴う計略をあそこまで愉快に使いたがる者こそ、継承会議がサンペイタ導師の教えに従って、敵とすべき邪悪なのではありませんか?」

 しかし、議長の意思も揺るがないようだ。

「とはいえ、パトリック殿は本当に《兵法家》適性を持っていない。先ほど調べた。適性もないのに合戦に強い者こそ、ちょうど継承会議が望んでいた力ではないか」

 それに、と議長は続ける。

「もはや合戦でないと総領国は抑えられない、他の国も集団戦の時代に戻りつつある、そしてシグルド、お主では貴樹やフィーネらに勝てないと、心の中では分かっているのではないか」

「むうう……!」

 シグルドはただ黙って言を聞く。

「その時代の流れを押し返すためには、たとえ一時的にでも、人となりに大きな問題があっても、兵法家を使うしかない。総領国を打ち破り、集団戦の限界を広く世に知らしめたあと、また導師の教えを広め直すしかない。そうではないかな」

 シグルドはそう思わない。なぜなら兵法家勢力の勢いを一時的に叩いて弱めることは必要だが、彼の目標点はあくまで《兵法家》とそれ以外との共存なのだから。

 しかし、それをここで口に出すわけにはいかない。

 それに、いずれにせよ、パトリックの力を借りないわけにはいかなそうだ、と、シグルドも思う。

 自分では、貴樹ら一流の《兵法家》に立ち向かうには力不足だ。

「……承知いたしました。パトリック殿を起用するしかないのは、全くもってその通りです。私がわがままを吐いてしまい、失礼いたしました」

「シグルドよ、お主の懸念は分かっているつもりだ。しかし蛇の道は蛇、そうするしかないことは分かってほしい」

 二人とも、顔を少し伏せた。


 総領国。

 一人の男が業務に復帰した。

「ご心配をおかけしましたな、総領閣下」

 筋骨のたくましさは、負傷以前とさして変わらず。

 適性職は《商人》と《兵法家》であり、その筋肉は適性職に全く活きていない男。

 そして、適性職に活きていない武勇で貴樹を死地から救った、彼にとって命の恩人。

 彼がまた、総領国の執務に立ち戻る。

「良かった、本当に良かった……!」

 貴樹は目に涙さえ浮かべる。

「閣下、らしくもないですな。閣下はいつも胸を張って我らを導いてくださればよろしいのですぞ」

 タイロンはニカッと笑う。

「タイロン……」

「それに、いまはそれどころではないでしょうぞ。継承会議が風雲国に身を寄せていると聞き申した」

 その通りだった。

「連中はまだ懲りていないようですな。やはり継承会議は全滅させるしかないとわしは思いますぞ」

「そうだな。あの国は兵法家を起用するそうだし、おそらく近いうちに戦になると思う」

「兵法家……それが、わしの聞く限り、どうも曲者のような気がしますぞ」

 貴樹は「ああ」と答えた。

「《兵法家》適性を持っていないのに、兵法の才能と素質があると聞いた。名前は確かパトリックといったか」

「味方にできればよいのですが、どうも無理そうですな」

「職業倫理に大きな問題があると聞いている。他人の死を喜ぶような品性だとか。《兵法家》適性もないようだし、我らの理想にはいらないようだな」

 彼はあごに手を当てる。

「いや、《兵法家》適性がなかったとしても、そういう人間も含めて、兵法家たちの楽園を築き上げることが俺の使命だと思っている。が、それでも彼を招き入れるのは、どうも危険な気がするなあ」

「わしも一言一句、賛同いたしますぞ。あの男は、間者からの報せを聞く限り、きっと味方にしてはならない者でございましょうぞ」

「違いない」

 貴樹はそこでふと、聞いてみた。

「ところでタイロン、まだお前は病み上がりで、本調子ではないだろう。仕事は当分、終業を早め、量を少なめにしておこう。無理をしてはならない」

「おお、閣下、わしはこの通り元気ですぞ」

「まあ落ち着いてくれ。いきなり全力で働けば、支障も少なからずあろう。無理は禁物だ。ここで体調を崩しては、またタイロンは国の役に立てなくなる」

 貴樹が彼を制する。

「だから無理はしないでくれ。配慮するから」

「むう……わしとしてはガリガリ仕事したいのですが、仕方がありませぬな。ご厚意を受け取ります」

「頼んだ。……繰り返しになるが、最近、継承会議が風雲国に身を寄せたり、異色の兵法家を戦の役職に起用したり、戦いの気配が近づいている気がする。戦が起きるまでに、タイロンには仕事に慣れて、どうかいつもの体調を取り戻してほしい。すぐには無理をしない、とは、そういうことも絡んでいる」

「なるほど」

 彼は頭を下げた。体が大きいので大げさな挙動にもみえる。

「このタイロン、また徐々に体を慣らしてお役に立ちますゆえ、どうかよろしくお願い申し上げまする」

「ああ、無理はしないようにな。また寝込まれては困るからな」

 タイロンは「仕事も慣らしも頑張りますぞ」と意気を見せていた。


 その日の夜。

 貴樹はバルコニーから、夜景を見ていた。

 眠る前に、少し夜風を浴びたかった。そして一人で物思いにふける時間も欲しかった。

 今日から段階的に復帰するタイロンは忠臣である。主のためには命のやり取り、それも圧倒的劣勢の戦いもいとわない、全くもって見上げた人格者である。

 ……もし、彼が現代日本に生まれていたら。

 主君のために大怪我をすることはなかっただろう。いや、その前に《兵法家》適性で迫害されることもなかっただろう。

 その点は、フィーネもサファイアも、ほかの《兵法家》たちも同じだ。生まれる場所さえ貴樹と同じだったら、きっとフィーネはクラスでモテモテの人気者として、ひとまずは充実した学生生活を送っていただろう。腹の中の黒さは別にして。

 では、貴樹は現代日本に帰りたいのか?

 それは違う。

 このような世界に彼が招かれたのは、きっと《兵法家》たちを救うという大きな使命によるものではないか、と彼は勝手に思っている。

 ……いや、決して「勝手に」思っているのではない。召喚の仕組みがことさらに貴樹を、戦略戦術を知り、《兵法家》適性や、配下たちを率い導く《君主》適性を持つ人間を選んだのだとすれば、それはきっと歴史の転換点をここに創り定めるためではないか。

 一言でいうなら使命。二言で言うなら託された理想。

 サンペイタとは違う形で、真の幸福な世界を創るために、自分は呼ばれたのではないか。

 と、フィーネがやってきた。

「閣下、どうされたのです」

「いや、ただの散歩だ。少し、俺のいた元の世界のことも考えていた」

 言うと、フィーネはくすりと笑った。

 そして真剣な表情で続ける。

「閣下は、ご自分の世界に戻りたい、という思いはありますか」

「全くない、といえば嘘になる」

 彼は淡々と話す。

「元の世界に帰って、家族みんなで美味しい食事を、というか、食卓を囲って団らんを、またしたい。学校の仲間たちとくだらない話で盛り上がりたい。そういう思いはある。しかし――」

 貴樹は表情を引き締める。

「俺が大業を成すべきところは、この世界だ。この世界には、俺たちの仲間が、いまも迫害を避けつつ、命や生活の危機と隣り合わせに生きている。俺はきっと、それを解決するために呼ばれてきたんだ」

 フィーネは、「ふむ」とわずかにうなずいた。

「俺は元の世界に未練がないわけではない。しかしそれをどうこう考えるのは、俺に課されたこの使命を果たしてからの話だろうな。俺は、仲間のために戦い続け、努力をし続けなければならない」

「なるほど。閣下の信念はしかと分かりました」

 どこか安堵したように、フィーネは息をついた。

「そもそも元の世界に帰る手段も見つかっていないからな。それに、俺の意図はどうあれ、いまの俺は《兵法家》を先に立って導くべき地位にある。そういう意味でも戦うしかない」

「そうですね。私もあなたには……いや、なんでもありません」

「どうした」

「本当になんでもありませんってば」

 フィーネが多少慌てた様子で取り消す。

 しかし貴樹はさして関心を示さなかった。

「現代日本のあいつらも、この世界のような夜空を見ているのかな……」

 彼は星々の輝きに、現代日本での諸事を思い浮かべた。

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