◎第23話(完結編開始)・漂着
◎第23話(完結編開始)・漂着
男は目を覚ました。
「……ここは……」
フィーネとの戦いの後、断崖絶壁から飛び降りたはずだった。
それがどういうわけか、傷口は丁寧に処理され、傍らの剣はよく手入れがなされて、なにより自分は、上等とはいえないまでも寝台の上で眠っていた。
これはどうしたことか。ここは誰の家か。
シグルドが戸惑っていると、子どもが起きた彼を見つけたようで。
「あ、お兄ちゃんおはよう! せんせい、お兄ちゃんが起きたよー!」
先生とやらを呼びに行った。
わけがわからない。
しかしそれは、先生も同じだったようで。
「二日前、浜辺に流れ着いていたんだよ。このままでもなんだし、とりあえず手当てとかをして、保護したんだ」
先生と呼ばれた男は、浜辺を指さした。
「二日間も私は寝ていたのですか?」
「そうなるね。幸い、重傷は負っていなかったけど。でも、浜辺に流れ着くぐらいだから、きっと色々あったんだろう。そうだろ?」
彼はその浜辺で、シグルドとともに潮風を浴びながら、淡々と話す。
家からすぐのところだ。
「鎖かたびらを着て、帯剣していたから、どこかの武将であることは分かったけど、起きたら詳しいことを聞くつもりだった。いや、話したくなければそれでいいけどね」
彼は苦笑する。
「いえ、お聞きになりたければ可能な限りお話しします。恩人へ事情をお話しすることは報い以前に、当然の条理です」
「おお、教えてくれるのかい。でもまあ、まずは私の素性からだね。ここではいささか寒い。家に戻ってじっくり話そうじゃないか」
先生はぶるりと震えた。
家に戻ると、数人の子どもたちが出迎えた。
「おかえり、先生、お兄ちゃん!」
「武将殿、この子たちにも聞かせて問題ないかい?」
「問題ありません」
シグルドはうなずく。
「さて、まずは私から。……私の名はロータス。世間から隠れ住んでいる者だ」
「ロータス殿……どこかで聞き覚えが」
「おお、聞き覚えがあるなんて、貴殿はさては継承会議の人かな?」
ロータスはふふっと笑った。
「結論から申しますと、その通りです」
「ほう。でも私を知っていればそんな反応にはならないだろうね。私は……かつては祭司として継承会議の一員だった」
「祭司……奇遇ですね、私もです」
シグルドは自分を指して言った。
「ほう! 貴殿は後輩というわけか。これは面白い」
「祭司将として、戦いを担当しています。《武芸者》の職適性もあります」
「ほうほう。……まあ、まずは私の話を続けようか」
「そうですね。失礼しました」
シグルドはせき払いする。
「当時、祭司ロータスといえば、知らぬ者のいないほどだったなあ。だけど、まあ、政争が起きて、私はそれに負けた。力不足だった。根回しと求心力が足りなかった」
彼は窓から、海を、水平線を見ているようだった。
遠い思い出なのだろうか。それとも、いまも継承会議への返り咲きを夢想しているのか。
このときのシグルドにそれを知るすべはなかった。
「で、殺されそうになったところを逃げて、ここにたどり着いて、世間を忍んで、子どもにものを教えつつ隠れ住むようになったというわけだ」
「当時の政敵は、あなたを探し出そうとはしなかったのですか」
「しなかったみたいだ。刺客が来ることもなかった。あの頃は政争でそれどころではなかったんだろうね」
彼はどこか夢の中にいるように語る。
きっと未練はあるのだろうな、とシグルドは思った。
「ちょうど私も祭司を務めています。いまの継承会議に政敵がいないようでしたら、口利きして、復帰をお手伝いいたしましょうか?」
「いや、それには及ばないよ。私は継承会議には戻らない。その気がない」
「そうですか……」
未練はあろうが、きっとそれ以上に嫌な思いがあるのだろう。これはきっと、深く掘り下げてはいけない話だ。
「さて、私の身の上には、もう話すことは見当たらない。武将殿の話に移ろうか」
「承知しました。私は――」
自分が祭司将シグルドであることを改めて話し、総領国との決戦に敗れたこと、フィーネと一騎討ちしたこと、激戦の末に崖から海へ飛び込んだことを話した。
「なんと、あのシグルド殿だったのか」
「いかにも。私は有名人なのですか?」
ロータスの「噂は聞いている」といわんばかりの反応に、思わず尋ねる。
「総領国相手に、外交で奔走したと聞いているよ。先日の戦いの作戦も担当したというし、さっき話してくれたフィーネ殿との一騎討ちも、激闘ぶりは噂になっている」
「そこまで……私は大した人間ではないというのに」
「自分を卑下するものではないよ。子どもたちにもそう教えているし」
ロータスはにこにこと笑う。
「で、これからどうするつもりかな。継承会議、というか議長を探して復帰するか、自分を殿軍にして逃げ去った集団に?」
「そうしたいと思っています。ただ、貴殿にはずいぶんお世話になりましたので、しばらくは、この家のお手伝いをしながら準備を整えたいと思っております」
「ほう。まあ手伝いはありがたいね。子どもたちの勉強も見てあげられるほどの教養はありそうだし」
「ありがとうございます。なんでもご用命ください」
シグルドは頭を下げた。
「でも、ついでに自分の今後の身の振り方も考えておくといいよ。なんのために戦うのか、なんのために戻ろうとするのか。そこが思い定まらなければ、きっと成果も出ない」
「そうですね。じっくり考えさせていただきたく思います」
「よろしい。しばらくは少しだけにぎやかになるな」
ロータスは「ふふふ、これで授業の幅も広がるね」とご満悦のようだった。
授業といっても、サンペイタの目指した理想やら《兵法家》のことといったようなものではなく、読み書きと計算が主で、ときどき自然の理や歴史についての初歩的な事項を教えるといった程度のことだった。しかもやることはそれだけではなく、簡単な猟、釣り、山菜の採集、行商人からの諸々の買い入れ、そしてそれらの調理などもあった。
調理に関してはシグルドのほうが子どもから教えてもらうことが多い。しかし彼はそこで腐ったりせず、素直に教えを乞うた。学びとは万物から施されるものだ、と彼は考えていた。
ある日、彼はロータスに聞いた。
「教えることが、なんというか初歩的すぎませんか」
「初歩的、ね」
「我々なら、もっと高度なことを教えられるのではないでしょうか。サンペイタ導師の崇高な理想とか、一騎討ちの勝ち方とか」
「シグルド殿、貴殿はどこを目指しているんだ……」
呆れながらもロータスは答える。
「ともかくお答えしよう。サンペイタ導師の教えを説明するということは、《兵法家》差別について言及することが避けられない」
「そうですね。なるべく中立的に、なぜそこへ至ったのか、可能な限り感情や主観を排して説明することが必要になるかと思います」
「中立的に、そう、そこが問題なんだ」
ロータスは腕組みをする。
「サンペイタ導師が完全に正しいなら、『中立的に』教える必要はない。導師の主張をそのまま、絶対のものとして教えればいい。しかしわざわざ中立とつけたからには、シグルド殿、貴殿は少しでもそこへ疑義があると思っているのだろう」
「それは……私は……」
口ごもるシグルド。答えを待つロータス。
「私は、サンペイタ導師の教えを正しいと思っています。しかしその正しさは、教義の『完全さ』と同一ではありません。割を食う人……というより代償となる迫害の被害者もたくさんいて、その問題は解消されなければならない、と、最近は考えるようになりました。教えの正しさとは別として、どういった手段で教えを守っていくか、考えなえればならないと常々思っております」
「そうだね。――それを幼い子どもに説明しきれるかい?」
不意の質問。
シグルドは思わず言葉を失った。
「子どもは、考えを割り切れないし、正しいか正しくないかでしか『先生』の言葉を解釈できない。そして子どもにとって『先生』は正しいことを言う存在でなければならない」
「それは……」
「もっと成長……そう、十五も過ぎれば、まずは自分で『先生』の正しさを吟味できるようになるし、割り切った考えや『正しさのあいまいさ』を理解できるようにもなるだろうね。でもまだその段階じゃない。『先生』の言葉はまだ絶対だ」
「その絶対に正義であるべき教授側が、善悪のきわめて微妙なことを教えてはならないということですか」
「その通り。善と悪の境界は、お互いに混ざりかけて混沌としている。そこをすくって飲ませたら、きっと子どもたちは困惑するだろう」
ロータスは穏やかに続ける。
「さて、ここまで言ったということは、シグルド、貴殿は継承会議の幹部としてはかなり……危うい考えを有していることになるね」
シグルドは言葉に詰まった。
「むむ……」
「ああ、安心して、通報するつもりはないよ。私は悩み苦しむ貴殿を、さらに苦しませるほど外道ではない。でも……サンペイタ導師の善悪について、微妙な、中途半端な考えを持ちながら、総領国と戦うつもりかい、それならだいぶ危ういところだね、貴殿の命が」
図星だった。
「私は、私は」
「聞くところによると、総領国は《兵法家》について確固とした展望を持っている。そしてそれが正しいと、貴樹の求心力もあってか、信じて疑っていない。そんな迷いのない人々と、大きな迷いを抱えた貴殿が争うのは、正直言ってかなり危ういと思うよ」
「……全くもってその通りです」
彼は力なくうなだれた。
「対策は一つ。貴殿が貴殿なりの展望を持ち、それを信じ抜くことだよ。導師の教えを信じるのではなく、それの問題点を自分なりに噛み砕いて、克服し、より高い次元へ引き上げ、打ち克って自分の信念に従うんだ」
「なるほど」
「そのためにはよく考えるしかない。雑事に惑わされないここでなら、じっくり見つめ直すこともできるだろう。ゆっくり時間を進めるといいよ」
「ありがとうございます」
善悪を見つめ直す。ただひたすらに信じるのではなく、自分の信念とする。
彼は難題を前に、まずは頭を下げた。
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