◎第18話・差別のない国
◎第18話・差別のない国
貴樹とフィーネの二人旅。
馬車の中で貴樹は、フィーネが少しだけそわそわしているのを感じた。
「何か、いいことでもあったのか?」
彼女に問う。
「総領と二人きりでいられるのは、私にとって望外の幸せです」
まだ貴樹を畏れ多い存在だと思っているのか。そうでなければこの台詞は出てこない。少なくとも彼はそう考えた。
「そうか」
少しさびしさを感じながら、彼は答えた。
するとなぜか、彼女は微妙に何か言いたげな顔をしたが、意図が分からないので彼はそのまま流した。
「ところで、次は『あらゆる差別をしない』国、窮奇国か」
「はい。おっしゃる通りです」
表向きは、歴史上サンペイタの干渉を逃れた、数少ない国である。一騎討ちのプロトコルには今のところ従っているようだが、それ以上の介入は受けていないそうだ。
兵法家だけでなく、無適性や適性数の多寡による差別にも厳しく臨むという触れ込み。ここだけ聞けば、理想郷のようにも思える。
しかし。
「本当だろうか?」
どうにも怪しいのだ。
決して貴樹は内情を直接見たわけではない。しかし経験上、崇高な理想を唱える者については、よくよく実際の行動を注視しなければならない、と彼は思っている。それは自分たちにも当てはまる、ブーメランになりうる主義でもあるが、ともかくそうでなければならない。
まして、すでに理想を達成していると公言する存在については……。
「観察と内偵が必要だな」
「私はすでに間者を放っておりますが、総領はご自身の眼でご覧になった方がよいでしょうね。重要なことですから」
フィーネはすまして言った。
王宮に入る前に、貴樹たちは中流町民の服に着替え、何食わぬ顔で城下町で最大の大衆商家に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
普通のあいさつ。
店内では、従業員と思しき者たちがせわしなく動いている。
特に、とある少年の働きが目立った。
「あの少年、よく奉公しているようだな」
言うと、番頭格と思われる者が奇妙な反応を返した。
「ええ、まあ……いわくがありますゆえ、人一倍働いてもらわないと」
どういうことか。彼は若干いぶかしんだ。
「いわく? 霊的な何かか?」
「いやあ、そんなものではありませんよ旦那様」
「店に損害を及ぼしたとかか?」
「いやいや」
分からない。
分からないので、手近にあった小さな望遠鏡を指した。
「これをいただこう。定価でよい」
「おお、ありがとうございます。お値段は――」
気前よく払い、話を続ける。これも密偵の費用と思えば悪くない。
「で、取引も気持ちよく終えたことだし、いわくとは?」
すると、彼にとって憤然たる回答が返ってきた。
「実はあの少年、適性職が《兵法家》なんですよ」
「なんだと?」
一瞬だけ怒気を見せてしまったが、番頭はそれをどう勘違いしたのか、余計にべらべらと話し始めた。
「《兵法家》はご存知の通り、呪われた適性職ですな。うちは無適性だの《兵法家》だのに余計に出す賃金はないのです。従業員の不満のはけ口にもなることですし」
「不満のはけ口……いじめて発散させているのか。というか適性で判断をしているのか」
「私どもとて、やむをえずにしていること。どこの商家でもやっていることですぞ。それに適性職は、多ければ多いほど役に立つのは事実。いくら差別をしない建前をしても、生産性は適性職に大きく左右されますゆえ、いたしかたのないこと。それに」
番頭はなおも言い立てる。
「適性職以外の判断もしていますぞ」
「それは?」
「名家の子は、適性職にかかわらず下駄を履かせていますし、紐帯の強いところから奉公人を雇う際は、大きな配慮をしています。決して適性職だけではないのです」
胸糞悪い話だ、と、彼は感じた。
「おっと、こういう話は内密に頼みますぞ。もっとも、もはや公然の秘密である気配はありますがな」
「他のところも、そうなのだな」
「もちろんですとも。お疑いであれば、口入れ屋で職業あっせんの説明を受けに行ってみるがよろしいかと。だいたいそのようなことを言いますゆえ」
貴樹はわずかに眉間にしわを寄せた。
「そうか。とりあえず分かった。ああ、これもいただこう」
ことのほか深い話をしたので、ビードロの杯を、特に使用目的はないが、彼は追加で買った。怪しまれないためには出費が必要だった。
「毎度!」
番頭は全く疑っていない様子で、代金を受け取った。
彼は実情を把握した。
「こういう国だったのだな」
「はい。私は事前に探りを入れていましたので、聞いてはおりました」
フィーネはやはり涼しい顔で答えた。
「しかし、あまりに理想と現実が離れすぎてはいないか。かえって感心するほどだぞ」
「反面教師ですよ。私たちは、ああはならないように、不断の努力をしましょう。とはいえ、外交は不可欠。それはそれ、これはこれとして、同盟交渉は割り切って行うべきです。そうではありませんか、総領」
「当然だ。言われずとも。俺は俺の意思で、勝つためには矛盾を踏み越えることも、ためらわずやってみせる」
それが大義の達成につながるのなら。現実に《兵法家》救済の彼方に近づけるなら。
「さすがです。それでこそ私がお仕えするにふさわしい主」
「心得てはいるつもりだ。全ては継承会議の殲滅のために」
彼は、真剣な表情でうなずいた。
国王に面会したところ、やはり納得の反応だった。
「我が国は確かに、一切の差別をしない。だから《兵法家》であるだけでは、決して嫌ったりはしない。だが……」
「だが?」
「血煙を再びこの世に招くという意味では、あまり賛同しかねるものだな……」
「ですから、そうならないような方策と理念を提示しているではありませんか」
つまり、《兵法家》について防衛方面の素養を伸ばす方向で教育する、という例の打開策である。対策はすでに考えているのだ。
しかし。
「だが《兵法家》は世間的には呪われた適性職だからな……我が国は差別を嫌うが、現状として、世界からの嫌われ者である点は留意しなければならない」
その留意は差別とどう違うのか。
結局、建前が本当に意味のない建前と化している。崇高な理念は、実行を全く伴わないただの大嘘になっている。彼らの腐った意思がそうしている。
仮に継承会議側からの工作が侵食していたとしても、それを選び取ろうとしているのは、まぎれもなく国王と首脳陣、彼ら自身である。
「一つお聞きしたいのですが、あなたがたはなぜ、差別をしないという看板を掲げているのですか?」
「ただの看板ではない。実際に我々は差別を憎み、サンペイタ主義の干渉を拒み、平等な社会を提供している。我々の判断に差別は混じっていない」
「ならば、長年にわたる、この世界最大の差別を打ち倒そうとは思わないのですか」
「国内と国外の違いに留意せねばならない」
大した二枚舌だ。
「差別を傍観している人間も、また差別者ではないのですか。ただ静かに見ていることが、かえって差別者たちの悪行を助長するのではないのですか」
「国外で行われるそれは、我々が問題とする国内のそれではない」
「ならばなぜ、国内ではその建前を掲げるのですか?」
貴樹の声に怒りがにじむ。
「国外で行われてもよいものなら、国内でも差別は実行されて一向に差し支えないものでしょう。国境を越えると急に善悪が変わるものではないでしょうに」
「そう簡単ではないのだよ。己の統治範囲とその外とでは、勝手が違う」
「統治範囲を越えると、果実が肉になったり、金銭がガラクタになったりするのですか、これは実に奇妙だ」
「貴殿はまだ若い。なんでも理屈でどうにかなると思っている」
この二枚舌野郎め!
「理屈だけでごまかせると思っているのは、あなたがたの方だ」
「うん?」
「
彼は己の思いを述べる。
「あなたがたがそれを傍観し、サンペイタの遺した汚点を、理屈はどうあれ『現実に』助長するというのなら、それは我々に対する現実の不遇に加担しているのとまったく同じ」
「待て、それはつまり」
「つまり我々の敵。打ち倒すべき差別者の一員でしかない。我々は全ての軍略をもって打ち砕くのみ」
脅し。
「……あからさまな脅迫だな」
「脅迫だと思うのなら、それは自覚があると吐いているのと同じ。我々は建前と実質を違える真似などしない」
しいて言えば膳東国で計略を用いたが、それはひとえに悲願を成就するためであり、主義との一貫性はある。あることにする。
「ふうむ。我々は差別などした覚えはないが、困ったな、因縁をつけられて攻め込まれては非常に困る」
「因縁だと……!」
彼はひどく憤りそうになったが、しかし、風向きが変わったことも感じていたので、ぐっとこらえた。
「分かった。我々も総領国に同調しよう。これでよいかな?」
「……ご英断に感謝する」
「うむ。やはり差別と闘うのも正義であるからな。我が国としても、内心は国境で金銭がガラクタに変わるのは不条理だとは思っていたのだよ」
国王は分かった風な口をきいて、しきりにうなずいた。
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