◎第09話・シグルド

◎第09話・シグルド


 それから一週間後。

「本当に、やるんだな」

「どうされましたの。まさか臆病風に吹かれておいでかしら?」

「主様。後戻りはもうできませんよ」

 サファイアとフィーネの言葉に、貴樹が返す。

「いや、そうじゃない。まさか自分が下克上を行うとは、数ヶ月前は思いもしなかった、ただそれだけだ」

 もはや彼に迷いはない。生きるために謀反人の汚名を被る。その邪魔は誰にもさせない。自分自身にも。これは多数の波乱や不運、運命のいたずらが重なれど、己が、まさに自身が選び取った、まぎれもない自分の意思である。

 すでに世界は動き始めているのだ。

「この軍勢で水明の国王を討ち果たす。秩序をただ維持するだけが正義ではない、この反逆にこそ善の道があると信じて。……そもそも、この世界は歪んでいるからな」

 ――兵法家差別という歪み。遠大な理想のために、目の前の苦しみすら見えなくなったこの世界の不具合。

 草むらで、彼は自分の剣を握る。

 周囲には百ほどの仲間が身を伏せている。それだけではない、宮殿内で待機している味方も合わせると、かなりの数に上る。

「立派なお心意気です。今こそ、牙をむくべき時です」

「さすがは筆頭計画将校ですわ」

 この二人は二人で、多かれ少なかれ貴樹を祭り上げようとしているのだろう。

 しかし、それでもよい。今回の決断は、最終的に貴樹が望んで進んだ道である。

 それに、この二人とて、邪心があって彼から搾取しようとしているのではないだろう。それは見ていれば分かる。

 また、もしそうだったら、彼が彼女らを切り捨てればよいだけだ。

「わしも微力ながらお味方いたしておりますぞ」

「ありがとう、タイロン」

 タイロンに関しては……そもそも祭り上げる云々といった感触はない。きっと純粋に同志だと思っているのだろう、と貴樹は思う。

 と、馬車の音がした。

「来たか……!」

「たっぷり引き付けてからですよ」

「分かっておりますわ」

 何も知らず、国王と重臣たちを載せた馬車隊が通過しようとする。

 運命の時は、今ここに。

「今だ、やれ!」

 一斉に「謀反人」、復讐の軍勢が襲いかかる!


 奇襲を受けた水明国首脳陣は、混乱と恐慌の中、それでも剣を抜く。

「なんだなんだ、賊どもが!」

「待て、そこにいるのは兵法家のサファイアではないか」

 誰かがすぐに正体に気づく。

「その通り、私こそが計画将校サファイアですわ!」

「ぬう、まさか謀反か! 大将は誰だ!」

「誰が教えるものですか!」

 切り結ぶも、その重臣は。

「これが集団戦だ!」

 他の謀反人に首を斬られた。

 ここにいる奇襲部隊は、貴樹など一部を除いて、戦闘向きの準適持ちである。文官中心の国王側が勝てるわけがない。まして集団戦を直接体感していない重臣たちとあれば、勝敗は明らか。

「国王はどこです!」

 フィーネが叫ぶと、一人の男が出てくる。

「わしはここにいるぞ、尋常に勝負だ!」

 一騎討ちが始ま――らなかった。

「ものども、悪魔はそこにいます、一斉に行きますよ!」

「な、なにっ!」

 言うと、兵法家側が五人ほど躍り出てきた。

 フィーネも加わり、ぐるりと取り囲む。

「これこそが集団戦、未来を切り拓く革新の風です、かかれ!」

「こっ、この」

 総勢六人が、どっと襲いかかり、攻撃の嵐を浴びせる。

「ぐあぁ!」

「とどめです、くたばれ!」

 彼女の鋼鉄の杖――飾りではない凶悪な鈍器が、国王をしたたかに打ち据えた。

 そして首を短剣で狩り取り、高く掲げて叫ぶ。

「国王アブザイン、討ち取りました!」


 ひどい戦い方だ。ロマンもなにもない。

 近くにいた貴樹は思ったが、しかし、兵法家の復権を奉じる軍勢としては、むしろこれでよかったのかもしれない。

 少なくともこの世界では、兵法家たちの救済と、サンペイタ・プロトコルの否定は、カードの裏表。

 そしてそれこそが、貴樹とこの軍勢の存在意義なのだから。

「国王を討ち取ったぞ!」

 彼は自軍の勝利を広く知らしめるべく、大声で復唱する。

「重臣たちにおいては無条件降伏を求める、従わねば死あるのみだ!」

 言うと、敗北を悟った敵が、一人、また一人と投降していく。

 もっとも、降伏したところで、国王の謀略に加担したであろう彼らを、貴樹は死刑に処するほかないのだが。

 宮殿から、これもまた勝利の合図となる狼煙が上がっているのが見える。軍事的政権奪取は完全に成功したようだ。

 もっとも、問題は山積している。これからは継承会議と対峙しなければならないだろうし、その前に国内の反国王派も、おそらくは抵抗勢力となるだろう。きっと、国王を倒した貴樹たちを歓迎するなどという都合のいい展開にはならず、ついに台頭を始めた兵法家勢力に反発、最悪の場合は一戦交えると思われる。

 そもそも、民意の支持を取り付けるのも大変である。この世界の構成員は、そう、才媛にして腕利きの武人たるフィーネをすら迫害していたことを、忘れてはいけない。

 これが君主の仕事というものか。

「捕虜を宮殿に連行する。糾問の準備をしろ!」

 彼は遠大な道のりを思いつつも、目前の課業を果たそうとしていた。


 ひとまず国王派の重臣を処刑する手続を進め、反国王派の主要な構成員もあらかた捕縛した。

 反国王派の者たちが、新しい君主の前で吠える。

「陛下を誅殺し王位を奪うとは、なんたる不道徳!」

「これだから《兵法家》は迫害されるべきなのだ!」

「恩を仇で返す真似を!」

 自分たちも抵抗勢力だったくせに、この言い分か、と貴樹は思う。

 とはいえ確かに、国王の謀略を知らない人間からみれば、兵法家がいきなり反旗を翻し、己の野心のために下克上をしたように見えるだろう。

 この点は、理由の充分な宣伝と、それを支える証拠の採取が必要である。

 本来は証拠を固めてから討つべきだったのだろうが、この際、順序の逆転は仕方がない。それに、まだこの世界の司法は充分に発達しておらず、後付けの証拠も現代日本ほどには責められないと見える。

「聞いているのか貴樹!」

「この極悪人め!」

 生殺与奪を握っている相手に、こびることも命乞いをすることもなく、あくまで罵声を浴びせ続けられるのは、ひとえに偉大な長所であり鋼の心を持っているといえる。

 だが、その鋼の心が兵法家の迫害に向けられ、その価値観が定着してしまっている以上、彼らを味方にするという選択肢はない。

「ひとまず牢に入れろ。国王周りの情報を『揺さぶって』聞き出せ」

「承知しました」

 俺はいま、悪の道に突き進んでいるんだな。

 彼は心のなかで自嘲した。


 シグルドはこの報せを聞き、ただ腕組みをした。

 事態は順調に、まずい方向へと向かっている。

 貴樹が創るのは《兵法家》の国。《兵法家》とその他の全面戦争の時が、遠からず来るであろうことが、容易に予測できる。

 いや、単純にその図式になるとは限らない。

 今は……「今は」まだシグルドの予測に過ぎないが、貴樹側に与するのは、おそらく《兵法家》だけではない。

 社会からつまはじきにされた人間、適性職に関係なく不遇を強いられている者、または一発当てて立身出世を目論む在野の野心家など、実際には複合的な組織、軍勢になるだろう。

 もっとも、それでも、貴樹に与しない側のほうが数では優勢になるに違いない。なにせ相手にするのは世界。そう簡単に数的優位を取ることはないはず。

 しかし、相手は貴樹。異世界より来た救世主、という点では、ある意味サンペイタと同等。この戦いに継承会議が負けるおそれも十分にある。

 和解をしなければ――《兵法家》と世界がともに歩み寄らなければ、血煙の時代が再びやってくるだろう。

 そればかりではない。《兵法家》とそれ以外の民衆の地位が逆転し、《兵法家》が特権階級として民衆を虐げることすらありうる。

 迫害の再生産。または、徹底的なサンペイタ主義根絶の結果、本来関係のない人間までもが根こそぎ捕まって処刑台に散り、恐怖政治が始まるのかもしれない。貴樹の気質によっては、だが。

 止めなければならない。この流れを、断ち切らなければならない。

 されど、現在、継承会議の中でさえ、この主張に賛同する人間は少数。とうてい流れを止めるには至っていない。

 己の至らなさか。その非才が事態を悪化させているのか。

 彼は唇を噛んだ。

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