◎第07話・サファイア
◎第07話・サファイア
そして戦場に至る。
ちなみに、模擬戦と違い、貴樹やサファイアら計画将校は自分の部隊を率いない。「計画本部」の人員として、彼らはもっぱら本営に詰めていることとなる。貴樹はフィーネやタイロンを通じて、諜報力や物資調達力を有してはいるが、あくまで戦力ではない。
要するに参謀本部制のようなものだ。参謀など「スタッフ」と部隊長や兵など「ライン」の分離。
恐ろしいのは、これは国王が独自に考えたものであるということ。つまり、参謀本部制を知っている貴樹の進言によるものではない。
これは貴樹からみれば、いわゆる「車輪の再発明」とはなるだろう。しかし、長らく本格的な戦いのなかったこの世界で、現地の人間がゼロからこれを考案することが、どれほど奇跡的なことか。
国王はやはり、相当頭が切れるようだ。
しかし、そこでやはり疑念がよぎる。
「あの国王、本当に油断がならないように思える」
貴樹はフィーネ、タイロンを呼び、人払いをして再び相談した。
「また疑いですかな?」
「ああ、そうなるかな」
タイロンが呆れていると、フィーネが口を開く。
「いえ、ひょっとしたら主様のご懸念も、近いところを行っているかもしれません」
「……どういうことだ?」
「それが、間者によると」
どうも、国王が《兵法家》を重用する背景には、政争における一種の「演出」の意図があるかもしれない、という。
「演出、か」
「詳しいところは今も調べています。ただ、もしかしたら、政争が止んだら《兵法家》は用済みになるかもしれません」
「追放、冷遇、最悪の場合は」
「はい。死です」
一同は押し黙った。空気が圧力をもって、押さえつけるかのように。
「むむ、フィーネ、調査は続行し、迅速に、かつ正確に行うように」
「承知いたしました、主様」
「わしからも探りを入れてみますぞ」
「おお、タイロン、頼む」
まずは合戦と地位の確立だが、これは先を見据えて動く必要もある。
課題は山積みだな。貴樹はため息をついた。
合戦とは別の不安をよそに、戦端は開かれた。
水明軍の弩弓隊が一斉射撃し、無数の矢が烈風のごとく向かう!
天嵐軍も負けじと射撃を開始し――なかった。先に撃ち合いをするという発想のなかった軍は、歩兵隊を中心として、ただバラバラに突っ込もうとしたが、矢の前に次々と倒れる。
長槍隊が槍ぶすまをもっての突撃をしようとする頃には、天嵐軍は半分ほど崩壊していた。
「ひっ、槍の壁が来る!」
「逃げろ、勝ち目はないぞ!」
士気も底をついている。完全に敵の敗勢だった。
水明軍の騎兵に至っては、騎馬突撃をかける相手の「部隊」がいない。敵兵は早々に散り散りになり、隊伍を成していないため、逆に破壊力、機動力、突破力を活かしきれない。
「もう終わりか。なにか罠は……ないな。どう見ても」
「これが集団戦を知る軍と、サンペイタ・プロトコルに浸かりきった軍モドキの差ですね。ただ」
「ん?」
貴樹が見ると、フィーネは続ける。
「今後は徐々に、こちらと同様に適合してくるでしょう。私たちはその日に向けて、《兵法家》としての腕を磨かなければなりません。不断の努力というものです」
「それもそうだな。楽だったのは、『初陣』だったからだ。それは分かる。今後は油断せずに行こう」
「仰せのとおりに」
ともあれ、初戦は実にあっけない幕引きだった。
王都に戻った一行は、国王の激賞を受けた。
「貴樹殿、そして《兵法家》の諸君。貴殿らの活躍なしでは、こたびの戦は勝てるものではなかった。特に貴樹殿の軍政改革なくしては、我が軍もこれほどまでに効率的な戦闘を展開することはかなわなかっただろう」
「もったいなきお言葉です」
「決して世辞でも社交辞令でもない。本心から、余は貴殿を必要な人間だと思っている。これからもぜひ、その知恵を貸してほしいものだ」
「承知しました。今後ともよろしくお願いいたします」
彼は頭を下げた。
この報せを聞いたのは、継承会議のシグルド。
ついに、この世界で集団戦が始まってしまった。
サンペイタが人生で最も憂慮し、封じ込めるために非情な決断をしてまで避けてきた、血煙であり秩序の壊乱行為。
サンペイタ以前の暗黒の時代へ戻るかの暴挙。
「シグルド、どうしたの?」
声を掛けてきたのは、同僚アリシア。
「いや、アリシア、貴樹の……集団戦の話は聞いたか?」
彼は事情を話した。
「ああ、話には聞いているよ」
「その、どう思った?」
聞くと、彼女は当然といった様子で答える。
「貴樹というのは本当にひどい奴だね。やっぱり《兵法家》は叩き潰さないと!」
違う!
彼はその言葉をのどまで出しかけて、呑み込んだ。
「サンペイタ導師の教えは絶対。特に平和を破る集団戦なんてもってのほかだよ。一騎討ちの儀礼を守っていれば、人死には最小限で済むんだから」
それはそうだが、そうではない!
「まさかシグルド、まだ『兵法家との融和』とか考えているの?」
「うん、まあ」
この女には、何を言っても彼の理想など理解されまい。しかしそれでも、長年の付き合いであるから、話したくなった。
だが結論から言うと、無駄だった。
「駄目だよシグルド、そんなことで血迷っちゃ!」
「……血迷う?」
「そうだよ、《兵法家》は世界を血煙に染める、平和に対する敵だよ。とことん叩かないと、平和なんてたちまち壊れる。平和は不断の努力で勝ち取るもの。サンペイタ様の教えの基本中の基本だよ」
「……そうだな」
シグルドは適当に相槌を打った。
「そうだよ。私は主命でちょっと急ぐけど、シグルドもあまり邪悪に染まってはいけないよ。じゃあまた!」
彼女は彼の苦悩など露知らず、駆けていった。
他方、貴樹の疑念は消えなかった。
「フィーネ」
「はい」
「これは命令だ。国王陛下の本心について調査をしろ」
「それはつまり、国王が兵法家の登用に関して」
「ああ。なにか別の悪しき意図を持っていないか、ということだ」
彼には、どうしても国王が信用できなかった。
だいたい、国王がなぜ兵法家登用の方向に舵を切ったのかすら、彼はよく分かっていない。
継承会議を確実に敵に回すだろうし、下手をすれば世界中と敵対しかねない危険な行為である。
また、政争の存在も……。
まだよく分からないが、フィーネが以前言ったとおり、例えば兵法家とその登用を、政争の具にしようとしている、という可能性はある。もっとも、現段階では憶測に過ぎないが。
「ただ、まず調べないことにはなんとも言えない。それは確かだが、しかし、これは調査の必要があると感じる。根拠は俺の直感だ。……目の前の状況がクサいかどうか、その初動については、直感に基づいて判断しても悪くはないだろう。なにせ証拠を集める前の話なのだから」
「まったくもって仰せのとおりです。怪しい人間が怪しいかどうか、最初の印象は直感で判別せざるをえません。ただ」
彼女は続ける。
「私も全力で調査しますが、もし何も怪しい点が見つからなければ、私のことも信用していただきとう存じます」
「それはもちろんだ。俺はフィーネを信頼している」
「えへへ、ウヒヒ」
「だが、とりあえず情報の収集を頼む。どうしても気になるんだ」
「御意。叔父タイロンと協力し、しかとお調べいたしましょう」
言うと、彼女は優雅なしぐさで「ごきげんよう」とあいさつをした。
今はまだ行動をするときではない。普段の業務を淡々とこなしつつ、裏で調べるのみ。
貴樹はそう思っており、実際そうしていたが、変化はあった。
「貴樹殿」
振り返ると、兵法家サファイアの姿。模擬戦の際、相手方に立った才媛である。
「サファイア殿。どうなさいました?」
「いや、まずはこたびの勝利、おめでとうございます。同じ《兵法家》として誇らしいですわ」
鈴の鳴るような声で、彼を賞賛する。
同じ《兵法家》として。その部分を強調されたような気がした。
「いえいえ、サファイア殿始め、兵法家の皆様のご協力があってこそです」
「いえいえ、他の計画将校たちも、貴樹様を信じてついていくと口々に言っているところですわ。職適性という絆で結ばれておりますから」
なんだこれ。
貴樹はやや戸惑う。
「私を信じる? 国王陛下が主君なのではないのですか?」
「国王陛下も、もちろん智の働く方ですわ。ですけれども、私たちの中で一番と言ったら、どう考えても貴樹殿、あなた様をおいて他にありません」
不穏ともとれる発言。
「いったいどうしたのです」
舌禍に気をつけろ、とまでは言い切れなかった。彼は彼女が何を考えているかについて、確信が持てなかった。
ただ、少なくともサファイアは敵の側ではない。彼女は兵法家ではあるものの、分別を忘れ、味方を敵として謀略を振り回すような人間ではない、と、計画将校としての活動を通じて彼は思っている。
もっとも、考えが腹の底まで読めるような単細胞でもない。兵法家がそうであっては困るのだが、しかし、手札が見えないのもなかなか考えものだ。
「貴樹殿、私はあなた様の味方でありたいですわ。なにかございましたら、真っ先にお声をかけていただきたいものです」
やはり不穏である。
「……分かりました。ありがとうございます」
「いえいえ。お安い御用ですわ」
フィーネといいサファイア殿といい、どうして俺の周りにはそういう女性ばかり寄ってくるのか。
彼は深く息を吐いた。
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