第21話 アイドルの大変さ

 寝室を出た俺は「酒臭い」という理由で奈菜美に風呂に入らされた。

 奈菜美はなぜか俺に合う男物の洋服を何着か持っており、それを貸してもらった。

 まあ「全部あげる。いっつもスーツ着てるのは嫌だから」と少し嫌悪された感じで言われたので、多分相当嫌だったのだろう。

 

 俺はシワが付かないようにスーツを畳み、洗面台の隣のカゴに畳んだスーツを置いてリビングに向かった。

 リビングに行くと、まだあまり目が覚めていない様子の奈菜美がテレビを点け、ニュースを見ていた。


 「次のニュースです。昨日、虹ノ夢49のニューシングル『あなたの為に出来た事』を発売しました」


 そんなニュースが流れているが、奈菜美は興味が無いのかすぐに他のチャンネルに変えた。

 俺は少し気になって奈菜美に聞いてみる事にした。


 「おい、今、虹ノ夢のニュースやってただろ。興味ないのか?」


 俺の問いかけに奈菜美は「興味無いよ」と一言だけ呟いた。

 奈菜美の隣に俺は座る。

 すると奈菜美は俺の方に距離を詰め、肩にそっと顔を置いた。

 

 「別に、もうあのグループに思入れはないよ」

 

 悲しそうにそう話す奈菜美。

 俺はそんな奈菜美を気遣うように、奈菜美の肩にそっと手を回した。

 それが嬉しかったのか、奈菜美ももっと距離を詰めて来る。


 「はぁ、お風呂入ったから良い匂いする」

 「そっか、それは良かった。てか、なんで思入れが無いなんて悲しい事言うんだよ」


 どうして奈菜美が虹ノ夢に好印象を持っていないのか、俺には理解が出来なかった。

 テレビに出ている時の奈菜美は、それはもう活発な子で、よくメンバーともはしゃいでいた。

 それこそ百合営業と言われるものだろうが、メンバーの子と特番でキスをしたり、恋人同士の様に抱き着き合っている姿が何度もテレビで放送されていたのだ。


 それで、好印象を持てないという事はメンバー内でいざこざがあったのだろう。


 「今の私は虹ノ夢にいた『藍沢奈菜美』じゃなくて一般人の『坂本奈菜美』だよ? もう私は、あそこが嫌だ。だから虹ノ夢だって卒業って形で逃げたんだから」

 

 奈菜美は俺の着ている服の袖をぎゅっと掴む。


 「真崎さんには言うけど、絶対に他言無用だからね?」


 奈菜美は泣きそうな声でそう言った。

 俺は「ああ」とだけ言い、奈菜美の話を聞く。


 「案外知られていないかもしれないけど、私は虹ノ夢の初期メンバーだった。まあ、社長の孫ってことは伏せてデビューしたからこの関係を知っているのも極僅かな人間しかしらない」

 「そうだったのか」

 「うん、そうだよ。それで初期メンバーは私の他に10人居た。まあ、私の前に卒業した人も居るから今残ってる初期メンバーは8人かな……あっ、今出てるこの人も私の同期だよ」


 そう言い奈菜美がテレビに向かって指を指す。

 俺はテレビに映し出された人と名前を確認する。

 

 桜島千紗さくらじまちさ


 確か、奈菜美の前にセンターをしていた人で奈菜美が引退する前の人気投票でも僅差で惜しくも負けていた人だったはず。

 もの凄く悔しそうに泣いていて、その姿が全国放送されて結構な反響があった人物だ。

 今回発売されたシングルでは、奈菜美が卒業した事によって彼女がセンターに抜擢されたのだろう。

 とても楽しそうに歌っているが、彼女の笑顔はテレビ越しでも分かる少し切ない笑顔だった。


 「まあ、この人は私の友達。全然仲は良いし最近は会えてないけどたまに会ったりしてる」

 「なるほど。じゃあ、他の部分で何か問題があるってことか?」

 「そう、虹ノ夢はとにかくセンター争いが酷い。まず、センターになるためには人気投票でトップ5に入らないといけない、そして尚且つ決められた審査員に評価してもらい、その中で一番評価が高かった人がセンターになれるの。私の時もおばあちゃんとテレビ局のトップ、あと有名政治家に審査してもらった」


 俺は言葉を失った。

 確かにセンターに一度でもなれれば自分がセンターを担当したという肩書が残り、一時的なものになるかもしれないが知名度も取れる。

 それに、自分に入って来る金の額もぐんと上がるだろう。

 確か虹ノ夢49は現在一期生8人、二期生5人、三期生2人の計15人で構成されている。

 

 簡単に考えれば15分の1。

 だが、上位に君臨するためには計り知れない努力が必要だろう。


 「まあ、ちょっと前まではおばあちゃんとテレビ局の中堅ぐらいの人だったんだけど、私のおかげで虹ノ夢も売れたしね……?」


 奈菜美は煽るような口調でニヤニヤとしながらそう言う。

 まあだが、現に奈菜美のおかげで虹ノ夢49は明らかに伸びるスピードが上昇した。

 奈菜美がそう言う気持ちは全然分かる。


 「まあでも問題なのは売れない二期生と三期生。ほんとにこいつらが気持ち悪くて、えっとほら、一回私に彼氏が居るっていう噂流れた事あったでしょ?」

 「ああ、確かに。その時は腸が煮えくり返りそうだったことを覚えている」

 

 奈菜美が言う通り、一度だけどこの誰かも分からないが文春に『ななみんこと藍沢奈菜美はファンを裏切り彼氏とラブラブ!?』という内容で記事が載った事がある。

 まあ、それに関しては事務所がいち早く対応して、一部では燃えたがすぐに鎮火されたはず。

 確か、事務所が裁判か何かをして嘘を証明したとかだった。


 「それも二期生の売れない奴が友達に嘘吐きまくって、その友達が『文春にその情報を売ったら儲かるんじゃね!?』ってなってあの記事が載ったの」

 「そんな裏話が……」

 「まあ、他にも自分が枕営業したくないからって私に押し付けようとしたり、まだ虹ノ夢が売れてない頃、頑張って取った番組のレギュラーを奪ったりとか散々。だから一期生と二期生は仲が悪いの、百合営業をしてたけど、それも抱き着き合ってるのは全部一期生同士、二期生同士だからそんなに仲が悪いようには見えなかったと思う」


 アイドルって、大変なんだなぁと実感させられた今日この頃。

 そんな風に思っていると奈菜美は「でも、今の私は幸せ。真崎さんが居るから」と言い手を握って来る。

 俺の心情にも変化があったのか、なぜか最近は奈菜美のそばに居たいと思ってしまう事が多々ある。


 俺が自分の変化に関心していると奈菜美はいつの間にか俺の膝の上に乗っかっていた。

 俺の手を握り、指を絡ませてくる。

 俺はこれが恋人繋ぎというものなのかと納得しつつ、奈菜美に応えるようにそっと手を握った。


 「真崎さん?」

 「どうした」

 「朝のキスは?」

 「キスってこんな高頻度でするものなのか?」


 経験がない以上俺にはキスというものが全然分からない。

 確かに昨日初めてキスをした。

 だがそれは、流れに身を任せ、無理やりされてしまったもの。

 こうやって改まってするとなると何だか気恥ずかしい。


 「うるさいです。あなたのせいで心が苦しくなりました、早く私を癒して」

 

 俺は「分かった分かった、下手くそだから怒るなよ?」と懸念を伝えた後、奈菜美の小さな口にそっと唇を重ねた。

 昨日のような激しいキスではなく、ただ唇と唇を重ねるだけの軽いキス。

 だが、そんな不器用なキスでも彼女はそっと微笑み、俺に抱き着いた。

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