第20話 最初に奪われた物

 「まさきくぅ~ん」


 ベロベロに酔った杏里さんが抱き着いてくる。

 玄関のドアは彼女に閉められ、しかも鍵までされてしまった。

 そして俺は一つ思った。

 俺は今、完全に浮気をしていると。


 アルコールと香水の匂いが混ざり、鼻に着く何とも言えない臭いになっている。

 だが、この何とも言えない臭いにより、俺の酔いは完全に覚め、俺は自我を完全に取り返した。

 俺はここで冷静になってよくよく考えた。

 もしこの状況を奈菜美に知られたらどうする。

 最初に内定を取り消され、晴からも絶対に嫌われる。


 何とかしてここから逃げ出さなければ。


 「まさきくんってばぁ!」

 「な、なんですか?」

 「ベッドいこぉ?」


 俺は童貞でしかも女性経験も無い。

 さっき抱き着いた時ですらかなり厳しかったのに、今こんな言葉を言われたら股間が反応してしまう。

 ズボンが少し膨れ上がるのが自分でも分かった。

 でも、これだけは絶対に越えてはいけない一線。

 それは、童貞の俺でも分かるし、最初は好きな人とすると決めている。


 俺は杏里さんの手首を掴み、俺の肩から離した。


 「分かりました、行きましょう」


 別にこれはベッドに行くわけじゃない。

 とりあえず杏里さんに水を飲ませて、そしてベッドに寝かせる。

 その隙に逃げるっていう作戦だ。


 俺は作戦通りコップに注いだ水を飲ませ、そのままベッドに寝かせた。

 もちろん、俺は寝ずにベッドに腰を下ろしただけだ。


 「まさきくぅ~ん、寝ないの?」

 「いえ、大丈夫です。それじゃあ自分はもう帰りますね」

 「ダメだってぇ、まだ話し足りないよぉ」

 「杏里さん、俺のLIMU持ってるでしょ?」

 「やだぁ、面と向かって話したいのぉ」


 これは、ダメだ。

 完全に酔ってるせいで駄々こねモードになっている。

 杏里さんのこの姿、花園電機のやつらに見せたらどうなるんだろう。

 杏里さんは社内ではいつもキリっとしていて、仕事は一切妥協せず、真面目に取り組んでいたらしいから、きっとこの姿を知ったら驚くだろう。


 そんな事はさておき、どうしよう。

 寝る気配も無いし。


 作戦が失敗に終わり、打つ策も無い。

 そんな状況の俺に助け船が来た。


 「ピンポーン♪」


 急にチャイムが鳴った。


 「あ、まさきくぅん、でてくれなぁ~い?」 

 「あ、分かりました」


 俺は心の中でガッツポーズをした。

 これがもし宅配だったら全く意味が無かったが、現時刻は8時過ぎ。

 宅配も業務を終了している時間帯だと思うから、これは多分杏里さんの知り合いが来たに違いない。

 俺は解放されると思い、ウキウキの気分でドアを開けた。


 だが、その喜びも一瞬で消えた。


 「真崎さん、帰りますよ」


 ドアを開けた先に居たのは俺の彼女になった坂本奈菜美だった。


 「……」


 俺は弁解は不可能だと察し「杏里さん、何かあったらあとで連絡ください」とだけ言い、杏里さんの部屋を出た。


 ~~~


 俺のアパート……ではなく奈菜美の住むマンションにやって来た。

 どうやら奈菜美の住むマンションは巣鴨にあるらしく、杏里さんの住むマンションから歩いて5分ほどで着いた。

 

 俺は奈菜美に正座させられ、目の前で奈菜美が仁王立ちしている。

 殺される、殺されると思いながら、俺は心の中で怯えていた。

 俺が100%悪い事は重々承知だ。

 だが、内定取り消しだけは本当に勘弁してほしい。


 「ねえ、真崎さん」

 「なんでしょうか、奈菜美様」

 「様はいらない、普通に喋って」

 「……ハイ」


 奈菜美はしゃがみ込み、俺が顔を背けないように両手で固定して話をする。

 奈菜美と絶対に目が合い、その顔が笑っているようで笑っていなくてとても怖い。


 「あの人はだ~れ?」

 「花園電機の人です……」

 「じゃあどういう関係?」

 「花園電機に勤めていた時の先輩です……」

 「そっか、じゃあ最後の質問ね? あの人と一線超えた?」

 「超えてません……」

 

 奈菜美は俺の顔から手を離し、俺の後ろに回り込むとそっと両手で俺を包みこんだ。

 首筋に奈菜美の暖かくて細い腕が当たり、すごく心地が良い。

 

 「私、凄く不安だったんだからね……」


 奈菜美は凄く震えた声で話を始める。

 奈菜美の顔は見れないが、きっと泣いているのだろう。

 

 「真崎さんが金髪の女の人を背負って、そのままマンションに消えてくんだから……」

 「それは……ごめん、家に入るつもりは無かったんだ……」

 「良いよ別に、もう過ぎた事だし……」


 沈黙が生まれる。

 俺は酷く後悔した。

 半ば強引とは言え、一時の流れに身を任してしまい奈菜美を悲しませてしまった。

 俺は酷い人間だ。

 こんなにも可愛い彼女が居るのに、他の女性の家に入るなんて。


 「ねぇ、キスした?」


 不意にこんな声が聞こえた。

 酷く小さく、今にも消えてしまいそうな囁き。

 だが、耳元で囁かれた事もあり、俺にはハッキリと聞こえた。


 「……してないよ」


 俺は吐き捨てるようにそう呟く。

 また沈黙が生まれが、それはすぐになくなった。

 包んでいた両手が解け、そして奈菜美は俺の前に座り込むと両手で俺の顔を優しく包み込んだ。

 次第に近くなる奈菜美の顔。

 それが今の俺には世界で一番美しく見えてしまった。


 初めての体験、俺の少し固めな唇に何か柔らかい物が触れた。

 やがてそれは俺の唇を貪るように包み込み、口の中にまで達した。

 初めてで何をすれば良いのか分からない。

 俺はされるがまま、何も抵抗せずにその時が終わるまで待つ。


 中々終わらず、徐々にヒートアップしていく行為。

 口の中がかき回され、気づけば俺は床に寝ていた。

 彼女が上に伸し掛かり、貪り続ける。

 頭がフワフワしてきて、やがて幸せすら感じられるようになってきた。

 

 だが、幸せを感じてきた所で俺の唇は解放された。

 俺と彼女の唇の間で糸が引き、いやらしく見える。


 「真崎さんの初めては、全部私が貰うの。誰にも上げない」


 のしかかっている彼女はそう言うと、再度俺の唇を奪ってきた。

 俺も彼女の行為に応じ、口の中に入って来た物を絡めてみた。

 するとそれに反応したのか、口の中にある物はスピードを速めて激しく絡めて来る。

 

 だが、二回目のキスは短く、すぐに俺の唇は解放された。


 「ハァ……ハァ……、もうどこにも行かないでね。私、本当に好きなんだから」


 彼女はそう言うと俺の上で倒れるように眠りについた。

 俺は今起こった事が現実か分からずにいたが、頬をつねってみると痛みを感じたので現実だと無理矢理理解した。

 俺は奈菜美を一度俺の体から降ろし、寝室を探して、奈菜美を寝室まで運んだ。


 ~~~


 奈菜美を寝室に運んだ後、ソファを借りてテレビを見ていたがいつのまにか俺も寝ていた。

 気が付けば朝で、つけっぱになっていたテレビでは朝のテレビショッピングがやっていた。

 俺から見て、画面の左上に時刻が表示されている。


 5:12


 そう表示された時計を見て、俺は奈菜美を起こしに向かった。

 因みに、なぜこんな朝早くから彼女を起こすのかと言うと、それは俺が大学に通っていた時はこれぐらいの時間から起きて、事前学習に励んでいたからだ。

 きっと奈菜美も事前学習を欠かさず行っているのだろう。

 

 俺の学業脳が刺激されたが、寝室に入り奈菜美を起こすや否や「こんな朝早くから起こさないでよぉ……」と眠そうに怒られた。

 俺は「勉強は?」と聞くと「するわけないじゃぁん」と寝起きの甘ったるい声でそう言われた。

 

 奈菜美は目を擦り、やがて頭に着けていたヘアバンドを外した。

 そして酒臭いスーツを着た俺に抱き着く。

 

 「うわぁ、くっさ~」

 「うるせぇ、着替えが無かったんだ。そしてくっつくな」

 「どーてーだからこんなのにも反応しちゃうんだぁ」


 少しウザかったが事実なので仕方が無い。

 俺の股間は昨日のキスのせいでもう限界を迎えているのに、こんな事されたら今にでも襲いたくなってしまう。

 男性の本能というのだろうか、それとも生殖本能なのか分からないが俺の性欲は爆発しかけだった。


 「はーい、ぎゅーお終いねぇ」

 「もう頼む、限界だ。襲うぞ」

 「わぁお積極的、でも朝は嫌ですぅ」


 ぐぬぬと言わんばかりに俺は拳に力を入れた。

 寝ぼけているのかわざとやっているのか分からないが、少しスキンシップが増えた気がする。

 まあ、昨日の一件があれば増えるのもおかしいとは思わないが。


 とことこと小走りで寝室を出て行く奈菜美を見送り、俺は奈菜美が寝ていたベッドを整頓してから寝室を出た。

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