第19話 先輩

 「如月さん、山川さん、仕事の愚痴を言い合ってストレスを解消するのは良いけど、周り迷惑をかけるのは止めてくれるかしら? 会社の信用に傷がつくわ」


 若いサラリーマンは見覚えのある女性にそう言われると「す、すみません……御影さん」首をすくめて謝罪した。

 女性が「うちの会社の者がご迷惑をおかけしました、すみません」と全体に向けて謝罪した後、俺の隣のカウンター席に座った。

 

 女性が店員を呼び止め、慣れた用に注文していく。

 注文を終え、女性が水を一杯飲んだ所で俺は話しかけられた。


 「やはり真崎か」

 「バレてましたか、杏里さん」


 晴と同じぐらいサラサラで艶のある金髪、モデルなんじゃないかと思うぐらい整った体型、男女問わず誰でも彼女の虜になってしまいそうなキリっとした顔立ち。

 低すぎず、そして高くもない透き通った声が耳に優しく、眠たくなりそうだ。

 

 隣に居るこの女性は花園電機時代、部署は違うが少し関わりのあった先輩、御影杏里みかげあんりさん。

 杏里さんは俺の属していた財務部の隣の経理部に居た。

 経理部は残業が少なく、月初め以外忙しい日はほとんどない。

 一応4~5月にかけて期末決算という地獄の仕事があるのだが、今は6月の終わり。

 ちょうど期末決算が終わり、最近は暇なのだろう。

 今日も定時で上がり、ここに来たのだろう。

 

 そして、なぜ彼女が金髪なのか。

 普通の職場では髪の染色が認められているのは少数、花園電機のような職場では絶対にダメだ。

 ではなぜ彼女が金髪なのか、それは叔母がイギリス人だからだと彼女は言っていた。


 入社当時、とても疑問に思ったな。

 どうして彼女は髪を染めてもよくて、他の人はダメなのだろうかと。

 それこそ、入社当時から忙しかった俺は杏里さんに理由を聞く以前に、話をする事すらままならなかったし、髪色について聞いたのも花園電機を辞める2カ月とか前だった気がする。


 「もう、気づいてるんだったら声をかけてくれよ。水臭いなぁ」

 「ハハハ……何か怒ってましたし、話しかけるような状況でもありませんでしたし」


 俺は苦笑いをしながら頭を掻く素振りを見せ、杏里さんと話していく。

 杏里さんは少し不満げな表情になりながらも「お前も成長したな」と意味深な言葉を投げかけた。

 

 「成長……? 俺的には成長なんて感じられませんけどね」

 「成長したさ、花園に居た時は常に覇気の無い顔で仕事してて、課長の操り人形みたいな行動しかしてなかっただろ」


 杏里さんは小さく笑いながら、俺を小馬鹿にするように話をする。

 声のトーンは俺を煽るような感じだが、杏里さんが見せた小さな笑みは人を馬鹿にするような笑みではなく、どこか心配するような笑みに見えた。

 愛想笑いと言うのだろうか、面白いから笑うという感じでの笑みではない。


 「それが今は、活気のある顔をしている。もしかして、仕事を辞めて何か良い事があったのか?」


 ニヤニヤと俺をつつく杏里さん。

 俺は奈菜美の事を言うのはマズいと思い、とりあえず仕事の事だけ言うことにした。


 「それが、転職先が見つかってですね」

 「おお~、それは良かったじゃん」

 「はい、vertex receiveっていう会社なんですけど」

 「あ、あれじゃん。真崎が推してたアイドルが居るっていう会社?」

 

 杏里さんは真剣な表情で話をする。

 このまま話を持って行けば女性関係の話にはならなさそうだ。

 俺は少し安堵し、気を楽にしながら話を続ける。


 「あ、はいそうですね。でも最近卒業しちゃったんですよね……」

 「あー、ごめん。あんまり触れちゃいけなかったね」

 「いえいえ、大丈夫ですよ」


 ここで杏里さんが頼んでいた生ビールと枝豆が届いた。

 

 「お、来た来た。じゃあはい、真崎グラス持って?」

 「あ、はい」

 「それじゃあ、再開を祝して」


 「「乾杯!」」


 グラスがぶつかり合う「カンッ」という音が鳴る。

 誰かと飲むのは花園電機を辞める前に男の同期行ったきり。

 久々に誰かと酒を交えるのは楽しい。

 

 次第に酒を飲む回数は増え、お互いに酔いが回って来た。

 おつまみを追加で注文し、酒の種類も焼酎や日本酒などアルコールが強いものまで飲むようになった。

 

 「おい、まさきぃ。女はいねぇのかよ~!」

 「おんなぁ? いたことなんてあるわけないじゃないですかぁ!」

 「だよなぁ、まさきって女っ気ねぇもんなぁ!」


 互いに呂律が回らなくなり、何を喋ってるのかも分からなくなってきた。

 まだほんの少し自我が残っている間に帰らなければ。

 

 「あんりさぁん、もう自分帰りますねぇ」

 「まてよぉ、まだ話そうよぉ」

 「もう酔いが回りすぎて、ヤバいんでぇ」

 

 俺が伝票を持ち、会計に向かうと杏里さんもフラフラになりながら千鳥足でこちらに来る。

 財布を出すことも出来なさそうなので、俺は杏里さんの分も一緒に会計して酒原を出た。


 流石の俺も杏里さんの酔い方がマズい感じだったので、少しだけ酔いが覚めてきた。

 一度だけだが、杏里さんの家まで行ったことがある。

 杏里さんが風邪で会社を休み、なぜか俺に連絡が来て風邪薬やら何やら届けた事がある。


 俺は昔の記憶を頼りに杏里さんの家に向かった。


 ~~~


 酒原から杏里さんを背負い10分ほど経った。

 そろそろ肩と背中の限界だ。

 だが、杏里さんは背負い始めて1分もしないで寝てしまったため、ここで起こすわけにはいかないと思いなんとか踏ん張っている。

 だがここで、やっと杏里さんの住んでいるはずのマンションが見えてきた。


 俺はエントランスに入り、そこからエレベーターに乗った。

 エントランスに入る前、何か視線を感じたが気のせいだと思い、気にしないようにした。


 4階の301号室。

 俺は申し訳ないと思いながら杏里さんを起こした。

 寝ぼけているのか杏里さんは「んん……」と甘い声を出す。

 俺の耳に声の吐息がかかり体がふわっとした。


 「ああ……ごめんね真崎、ここまで……」

 「大丈夫ですよ。杏里さん鍵はありますか?」

 「ああ……ポケットに……」

 

 俺は杏里さんを降ろした。

 杏里さんはポケットから鍵を取り出して中に入る。


 「まさきぃ」

 「あ、はい。なんですか」

 「もうちょっと話そうよぉ」


 杏里さんは俺の手首を掴み、家に引きずり込もうとしてくる。

 久々に杏里さんと会ったし、もう少し話はしたい。

 だが、俺には奈菜美がいるからこういう事は絶対に良くない。

 二つの考えが俺の脳内で戦っていた。


 しかし、考えてるのが長すぎたのか杏里さんがぐいっと掴んでいた手首を引っ張った。

 突然の事だったので俺は驚いて体がよろけた。

 反動により前に倒れそうになる。


 「ひゃう」

 

 反射的に目を瞑ってしまい、俺はどういう状況か分からなかったが倒れるのを防ぐために俺は何かに抱き着いていた。

 恐る恐る目を開けてみる。

 目の前、口と口がくっついてしまうぐらい近い距離に杏里さんの顔があった。


 「もう、真崎は大胆だなぁ」

 「ちょ、違いますって!」


 俺は反射的に杏里さんからの体から離れた。

 口元はアルコールの匂いでかなりキツかったが、それでも服や髪の毛からか香水のような匂いがした。

 脳に直接来る匂いで、ずっと嗅ぎ続けたら変な感じになってしまうだろう。


 「もう、気にしないから。早く来てぇ」


 あんな事があっても杏里さんの酔いは覚めないようで、俺は観念して杏里さんの家に上がらせてもらうことにした。

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