第10話 帰宅、そして妹

 「お肉、美味しかったですね!」

 「ああ、美味かったな」


 たんまりと焼肉を楽しみ、俺たちは店を出た。

 金額は8800円、予算内だ。

 お釣りの100円を胸ポケット中に入れ、駅まで歩いて来た。

 奈菜美はこの後も俺の家に来るのかと思ったが、午後から大学の講義があるから行けないらしい。

 俺的にはこのまま家に着いて来て何か仕掛けてくるのかと思ったが、実際そうではないらしい。

 

 もう今日は両方の意味でお腹いっぱいで満足したし、家でゆっくりとしよう。

 奈菜美とは駅構内で別れて、俺は山手線に乗って家に帰った。

 ~~~


 家に帰って来た。

 やっと自堕落な生活に戻れる。

 そう思っていたが、坂本代表からもらった社内ルールの紙に目を通すのと妹に今日は家に来るように言わなければならない。

 

 ビジネスバックから紙を取り出して、目を通す。

 週休二日制、勤務時間は朝8時半から夜5時半までの計8時間、経理部は月初めの月次決算時はフルで出社してもらい、それ以降はリモートワークや定時前に退社することが可能との事。

 週休二日制という部分だけ見れば少しブラック臭いが、経理部はリモートワークが出来るとの事なので思ったよりかは良さそうだ。

 

 他にも昼休憩の時間や他部署の仕事内容が書かれていたので、それもしっかりと目を通して俺はスマホを取り出した。

 

 連絡アプリ『LIMU』で妹の連絡先を探して「今日家に来れる?」というメッセージを送った。

 数秒もせずに「良いよ~!」というメッセージが送られて来たので俺は「ありがと」と送りスマホを床に投げた。

 

 今日は妹に奈菜美の事と仕事の事を相談しなければならない。

 就職するという連絡だけならメッセージ上でのやり取りで十分だが、奈菜美の事や付き合ったら給料アップという事はメッセージだけで決めてはいけない。

 面と向かって話をしなければ、多分妹に怒られてしまう。

 

 意外と妹は俺よりもしっかりしている。

 まあ、俺の妹だし、親もかなり厳しい人間だったから真面目に育つのは当たり前みたいな所はあるんだがな。

 中学、高校の成績は常に一位だったし、大学こそ少し偏差値の低い大学に行ったが、それも『自分の夢の為だ」と周りの人間には頼らずに一人で親を説得して進学した。

 俺みたいに親の操り人形にはならず、自らの道を自分で切り開いた。

 それは、今でも思うが凄い事だと思う。 

 

 妹の凄さに関心しながら、座っていた座布団を丸めて枕にする。

 床が畳なせいか、少しチクチクするが寝るには良い硬さだ。

 重たくなった瞼を楽にするようにそっと閉じる。

 今の生きがいは最近増えたが、前までは妹の大学での話を聞くだけ。

 起きたら妹が来て、きっと世間話や大学での出来事を話してくれるだろう。


 一日に動きすぎたせいか、生活リズムが崩れているせいか分からないが睡魔が襲ってきた。

 時間もちょうど昼過ぎ、昼寝には最適な時間だ。

 俺は気づけば瞼を閉じて、安楽の世界に入り込んでいた。


 ~~~


 「ピンポーン♪」


 少し甲高いチャイムの音で目が覚めた。


 今日もお隣さんかそのまた隣か?

 そんな風に思いながら、寝起きの俺はドアを開けた。


 「ようっす! 来たぞ!」


 茶髪のショートヘアで両耳には雫のようなピアスを付けている。

 白いカーディガンを羽織り、中にはLife goes on! と細く印字された白Tを着ていて、それが緑のベイカーパンツと相まって春らしさを醸し出している。

 Life goes on! 意味としては「人生はこれから」という意味になり、理解できる人からしたら中々良い意味が書いてあるシャツだ。

 

 「来たか、晴」


 俺と違い、少し子供らしい顔をしていて親近感を湧かせる陽気な声の持ち主。

 目の前に居るこの女性こそが、俺の妹である池端晴いけはたはるだ。

 

 いつもと変わらずは晴は強引に家に上がって来る。

 変わらない光景に微笑ましく思いながらもドア閉めようとした時、晴が「ちょっと待って」と俺を軽く叩いた。

 

 「今日は友達連れて来てるんだけど」

 「友達……?」


 こんな小汚い家に妹以外を家に入れるのは流石に気が引けるが、もう家の前に居るのなら上げるしかないか。

 そう思い仕方なく扉を開けてみると、大き目の丸眼鏡をかけている女性が居た。


 落ち着いているのかそれとも人と関わる事が苦手なのか分からないが、俺がドアを開けた瞬間顔を伏せてしまった。

 

 白いニットベストの中に黒シャツを着ていて、下はジーパンというなんともシンプルな服装。

 髪も後ろで一本にまとめたポニーテール。

 何もおかしな所は無いはず。

 それなのになんだろう、この既視感は。

 初めて会うはずなのにどこかで会った事があるような気がしなくもない。


 「もう、奈菜美、早く入ってよ。そんなに警戒しなくて良いからさ! もしお兄ちゃんがなんかしそうになったら私が殺すから大丈夫だよ!」


 晴の言葉が俺の心に大ダメージを与えたが、それよりも奈菜美という名前が気になった。

 昼に会った奈菜美と感じられる雰囲気が何か似てるし、何より既視感を感じた。

 もしかして、こいつは坂本奈菜美なのか……?


 晴に奈菜美と言われた女性はさっきまで伏せていた顔を上げ、俺に挨拶をしてきた。

 

 「初めまして晴のお兄さん。私、晴の友達の坂本奈菜美って言います」


 俺の予想は的中した。

 大きな丸眼鏡越しに分かる大きな瞳、髪だって昼の時と同じ艶だし、声は少し変えているのかもしれないが酷似している。

 視界に自分の指を置いて奈菜美の口元だけを見えるようにして見た。

 見てみるとやはりサングラスで顔を隠している時の奈菜美と同じ様に見えた。

 

 俺の目の前に居るこの女性は正真正銘、坂本奈菜美だ。


 「お兄ちゃん、何してんの?」

 「あぁ、ごめん、ちょっと気になってな。坂本さんも汚い家だけどどうぞ入って」


 奈菜美は昼会った時とは別人のように「ああ、すみません」と礼儀正しく家の中に入って来た。

 初めて会った時のように部屋の汚さをバカにはせず、靴を揃えて敷かれた座布団の上に腰を下ろした。

 晴も礼儀の正しい奈菜美を見習ったのか、いつもは揃えない靴を揃えて持っていたカバンをちゃぶ台の横に置いた。

 

 「お兄ちゃん、私オムライス食べたーい」

 「どっかで食べて来てないのか?」

 

 いつもなら適当な場所で夜飯は済ませてくるのだが、今日は珍しく何も食べていないらしい。

 

 「いや、それがさ? 奈菜美ちゃんとどこで食べるか話してたらナンパされてさ」

 「あーなるほど」


 晴が世界で一番嫌いな事、それはナンパだ。

 晴は大学生になってからよくナンパされている

 まあ、全部断っていたがそれが恨みとなったのか最近はストーカー被害にまで発展した。

 それもあってなのか、前に家に来た時に「世界で一番嫌いな事がナンパに変わった」と言っていた。

 因みにその前の世界で一番嫌いな事は親に文句を言われる事だった。


 ストーカー被害にあってからというもの、大体話しかけられたら逃げるようにしているらしい。

 だから、今日も逃げるように家に来たのだろう。

 

 「怖かったよねー、奈菜美ちゃん!」

 「は、はい……怖かったです……」


 昼との奈菜美の変わりように笑いを堪えつつも、俺は冷蔵庫から鶏肉と卵を取り出した。

 

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