さようなら一週間、そして新しい一日へ

さようなら一週間、そして新しい一日へ(その1)

「アルテミス」


 近くで“自分”を呼ぶ声が聞こえた。

「なんだ、エミリアか」

「今回は、なんか悪い予感がする」

 小川の水を掬って口に含んだアルテミスの後ろにエミリアが立っていた。

 少し離れて侍女のマチルダが待機していた。

 三人とも、“念のために”戦闘用の銀色の甲冑に身を包んでいた。

 アルテミスは、背中に愛用の弓と、腰に聖剣“ブラッド・パールを”携えていた。


「いまさら言うまでもないことだが、奴ら“人間”どもを簡単に信用してはいけない。

 あなただって、これまでの奴らの歴史を知らんわけはないだろう。人間の歴史は“嘘偽り”と“裏切り”の歴史だ。

 他者を騙すことなんて平気な生き物なのだ」

「エミリア。君の欠点は、“他人”を信じなさ過ぎることだ。

 彼らだって、争うことに倦み疲れているはずだ。

 和平を望むというのだから、もう少し信じてあげてもいいだろう」

「アルテミス、あなたは優しすぎる。

 まあ、そこがあなたの美点でもあり、欠点でもあるがな」

 エミリアは、アルテミスの背中を見つめながら溜息交じりに言った。

「悪かった。ちょっと嫌な予感がしたものだから。ここまで来て、愚痴っても仕方ないからな。先に馬車に戻るぞ」

 彼女たち“神族”は、空を飛んだり、場合によってはテレポートによって空間を移動することができた。

 だが、その距離が長ければ長いほどエネルギーの消耗が激しいのは、人間の徒歩感覚と一緒だ。

 神族といえども、今回の任のように遠方に赴くにあたっては、“馬車”などを使って目的地まで移動することが多かった。

 彼女たちが馬車に用いている馬は、ただの馬ではない。“ペガサス種”と呼ばれる翼をもつ馬で天空を駆けることができた。

 アルテミスとエミリア、そして従者のマチルダの三人は、神族と人族との間で繰り広げられてきた数千年に及ぶ“争い”に終止符を打つべく、人間側の提示した和平交渉へと向かう路の途上にあった。

 この世界では、原初の頃より、神族はその圧倒的な“力”によって、人族を支配下に置いてきた。

 しかし、人族は人族なりに、独自の進化を密かに遂げてきたのだ。

 それは神族にはない“知能”といっていいだろう。

 だがそれは、神よりも人間の方が知能が勝っているという意味ではない。

 真に賢い者は、この世の成り立ちや、世界の原理などを探ろうとは思わない。

 だから、そもそも神族には、そうした知識は“不要”だったのである。

 ところが、人間は不完全ゆえに、神に近づきたい、さらに神を超えて、神を凌駕したいという欲求があった。

 そうした好奇心と知的欲求によって、人族の中から生まれた歴代の学者たちは、この世界の物質の仕組みを解明し、神族が思いもつかない新たな“道具”を生み出してきた。

 そうした知識の体系は、クレアの世界における、物理学であり化学であり、あるいは生物学、そして工学と同等のものであった。

 この世界にやってきたクレアが身に着けたIDPのように、それが“道具”として生かされているうちは良かったのだが、やがて“武器”として転用されるようになると、神族と人族のパワーバランスは崩れ始めることになった。

 人族は自らの力の弱さをそれらの武器によって補い、神族に対して抵抗を試みるようになった。

 これがいわゆる神と人との“争い”である。

 この世界におけるワルキューレは“半神族”と呼ばれるが、彼女たちは、神と人との合いの子であり、神族と人族で結ばれた男女の間にできた中間的な種族だった。

 しかし、神とも人とも付かなない“彼女”たちは、両性具有という特徴を持ち、その意味でも特殊な存在であった。

 彼女たちは、時代によって、神の側に付くことも、あるいは人類の側に付くこともあったが、神と人との対立が激しさを増すにつれ、どちらにも与しない、いわゆる“中立”の立場を表明することにした。

 長年にわたり、神族もそうした人族の抵抗に対して武力を用いて押さえつけようとしてきたが、ここへきて争いが激化するようになり、ある条件のもとに、人間を支配することは諦めようと考えるに至った。

「そろそろ、人族が人族として、自主独立を果たすことを赦そうではないか。

 我々神族が、人間を支配する時代はもう終わりにしよう」

 神族の王である“アイテル”はそのように告げ、和平交渉の使途として、娘であるアルテミスを派遣することにした。

「彼らへの条件は実に簡単なことだ。

 それは“人間同士”で争わないということ。この一点に尽きる」

 アイテル王は、そのような条件を提示したが、王の側近たちの多くはこの提案に懐疑的だった。

「王は、甘い。人間どもはそれほど善良ではありませんよ。

 ひと頃の戦争に使われた“爆弾”という兵器を知ってますか。

 あれは実に酷かった。

 我々が持っている“力”の数十倍、いや、モノによっては数百倍の威力はあるでしょうな。

 ドラゴンを一撃で倒せるほどの我々の戦士たちが、あの一発で数百人は吹っ飛びましたから。いや、大袈裟ではありませんよ。

 幸い、命を失った者はいませんでしたが」

 会合に集まった長老たちは、嘆くように語った。

 和平交渉の場は、すでに目の前まで来ていたが、“敵地”に赴く前に、ちょっと一息入れたいというエミリアの申し出に、アルテミスが応え、ちょうど眼下にあった手頃な小川のほとりに着地して休息を取っていたところだった。

 アルテミスが清流で喉を潤し、馬車に戻ろうと踵を返したその時だ。

「アルテミス、来るな!」

 エミリアの叫ぶ声がした。

「どうした?」

 アルテミスは不穏な空気を察知した。

 彼女たちの馬車の周りを人間の兵士が取り囲んでいた。

 兵士の中から、一人だけ黒い上下に身を包んだ、兵士らしくない男が歩み出た。

「あなたが、御高名な神の戦士、アルテミス様ですか、なかなか美しい方ですな」

「誰ですか、あなたは」

「おっと失礼。私は、フォン・ブラウンと申す“学者”です」

「ブラウン博士。ここは、和平交渉の場ではないはずですが」

 アルテミスはできるだけ冷静に応答した。が、これがただ事でないことは、察することができた。

「やはりな、だから言わんこっちゃない」

 エミリアは、自分の腰に差している剣の柄を握りしめ、今にも抜こうとしていた。

「おっと、我々はここで争うつもりはありませんよ。

 先に言っておきますが、あなた方に勝ち目はありません。

 我々は、此度の交渉までに、とある“兵器”を完成させることに成功しましてね。

 ここは素直に“捕虜”になって頂けますかな」

「ふざけるな」

 エミリアが唸るように言った。

 ブラウンは口の端を持ち上げ、片目に嵌めている“レンズ”を人差し指で支えながら、説明を加えた。

「あなたがた神族の力は、あまりに強大だ。

 それは、我々人間の力を遥かに凌駕しています。

 例えば、雷のように、離れた物体に電撃を加えることができるし、その力を剣に込めて、離れた物体を切り裂くことができる。

 これが実にやっかいだ」

「何が言いたい。それこそが、神と人の違いではないか。

 しかし、我々だって、無暗にこの力を行使しているわけではないぞ。

 人間が人間同士で諍いを起こさなければ決して用いることはないのだ」

 果たして本当に、この力を無暗に使ったことはないのだろうか、多少の疑問は感じながらも、大丈夫だと、アルテミスは、自分に言い聞かせるように言った。

「うーむ。そこは見解の相違ですな。

 我々人間が互いに争うからといって、あなたがた神の支配を受ける言われはありません。

 我々が人間同士で争うことになれば、それは人間同士で解決すればいいことです」

「解決できれば、な」

 エミリアが皮肉っぽく言った。

「まあ、今回はそんな論戦を挑みにきたのではありませんので、この辺に致しましょう」

 ブラウンはそう言って、片手を上げて、パチンと指を鳴らした。

 それが合図となったのか、後ろに控えていた兵士の一人が小型の黒いボックスに付いていた摘まみをひねった。

 すでに起動していた何かの“機械”がさらに出力を上げたような音を発し始めた。


〈ブウウウウウウン……〉


「この音は……。き、気分が悪い」

 機械の振動音が響き渡り、アルテミスが思わず両耳を塞ぐように覆った。

「なんだ、これは」

「エミリア様、わたくし、息が、苦しいです」

 エミリア、それにマチルダも同じように、耳を覆ってしゃがみ込んだ。

「ほう、思った以上に効果的だ。

 これは、我々には“まったく”聞こえない音なんですがね」

「何だと、こんな不快な音が聞こえないのか……」

 エミリアが片耳を塞ぎながら、剣を抜き放った。

「この音はですね、“神の力”を削ぐ効果があるんですよ。

 これこそ、我々が作り出した“対神用”兵器、アンチ・デバイン・フォース・アームズ……、まあ、名前はなんでもいいんですが。特殊は音波を発します。

 要するに、あなた方の力を封じ込める“玩具”ですな」

 ブラウン博士をはじめ、“人類”側の連合軍は、神族に対して、十二分な対策を講じていた。

 人類連合軍は、アルテミスたちがやってくる地点に、あらかじめ、特殊な波動を生み出す発信器を複数配置していた。

 このエリアには、それぞれの発信器から出された波動が蜘蛛の巣状に絡み合い、一種のバリアが張り巡らされていた。

 元々、“出力”の低い人間には無害であるが、出力の高い神族には、有害だ。一種の“結界”となって機能していた。

 結界が張り巡らされたエリアに入り込んだ神族は、神的なフォースが根こそぎ奪われてしまう。

 そのため、目的地の直前まで来て、エミリアは言い知れぬ“疲労”を感じて休息を取ることになったのだ。

 そして今、コントローラーを持った兵士が、ブラウンの合図で発信器の出力をさらに上げたところだった。


「力が入らん」

 エミリアは、剣を持つ手が震えていた。

 普段は食事用のナイフぐらいにしか感じない剣の重さが、肩が引き千切れるほどの重力を帯びているように感じられた。

 柄をそのまま握っていると、指が骨折しそうで、思わず手放してしまった。

「バカな……」

 アルテミスはブラッド・パールの柄を握るどころか、両耳を塞ぐ自分の手と腕さえ、重く感じられた。

「やれ」

 ブラウンの近くにいた隊長が兵士たちに、静かな声で号令を掛けた。

 耳を塞ぎながら膝を付くしかない三人の乙女たちに、それでも兵士たちは恐る恐る近づいていった。

「おのれ、小細工をしおって」

 エミリアは力を振り絞るように、剣を握り直し、やっとのことで立ち上がった。

「なんと、これでは足りぬというのか。

 いや、違うな、気力だけで立ち上がっていると見た」

 ブラウンはエミリアの根性に感心しつつも、勝利を確信していた。

 これは、自分たちが開発した新兵器のテストも兼ねている。

 この兵器がうまく機能すれば、今後の戦いに於いて、神族など恐るに足らない。まさに神の力を凌駕することができるのだ。

 彼女たちを取り囲んだ兵士たちの輪が徐々に狭まり、兵士たちの突き出した槍が届きそうになったとき、膝をがくりと落とし、頭を下げていたアルテミスが、腰に下げていたブラッド・パールを、さっと抜き放った。

 周りにいた兵士たちは、その一振りで腰の辺りを断ち切られていた。

「あがっ……」

 声にならない声を発して、数人の兵士が倒れた。

 斬られずに残っていた兵士が、高圧電流に触れたかのように思わず後ろに飛び退いた。

「なに? まだ、そんな力が残っているのか」

 ブラウン博士が驚きの声を上げた。

「大丈夫だ、兵器の威力は十分効いているぞ。

 彼女たちの力は今や並みの人間以下のはずだ」

 博士が兵士たちに発破をかけた。

「くそっ!」

 焼けになった兵士の一人がアルテミスに向けて槍を突き出した。

 アルテミスはその一突きを避ける間もなく、刃先をまともに胸で受け止めた。

「アルテミス?」

 近くにいたエミリアが信じられないという声をあげた。

 槍が簡単に命中したことで、驚いていたのは、兵士の方も一緒だった。

 触れてはならぬと忠告を受けていたにも関わらず、大切に飾られていた宝物に、過って槍を突き刺してしまったかのように、すぐさま引っこ抜いて、後ろに下がった。

「うわあああ」

 アルテミスにきっと睨まれて、兵士が怯えたような声をあげた。

 それも一瞬のことで、アルテミスは槍の支えを失って、糸が切れたマリオネットのように、体ごとばったりと地面に落ちた。

「アルテミス様!」

 マチルダが、手で口元を覆いながら、震え声で泣き叫んだ。

「うろたえるな、マチルダ。 大丈夫だ!」

 むしろ自分を鼓舞するように、エミリアが叱った。

 神族の英傑があっけなく倒れたのを見て、兵士たちがゾロゾロ近寄って来た。

「来るな、きさまら、ひとり残らず叩き切るぞ」

 近寄って来た兵士にエミリアが、吠えた。

「ふん、ただの強がりだ。行け!」

 再び、隊長の号令がかかる。

 薄れゆく意識の中で、アルテミスは思った。

(このままでは、いけない)

「エミリア、寄せ、この場は戦うな、我が国に、戻るのだ」

 アルテミスが弱々しい声を発した。

「何を言っている、アルテミス。

 こいつらは、我々を裏切ったのだぞ。

 それに、あなたを傷つけたこの連中を、このまま放っておくわけにはいかん」

 アルテミスの言葉に諫められるどころか、エミリアが逆に興奮し始めた。

「ブラウン博士、装置の出力が落ちています」

 兵たちが追撃しようとしたまさにその時、兵器のコントローラーを操作していた兵士が告げた。

「む、出力過多でオーバーヒートしたのかもしれん。皆、ちょっと待て」

 ブラウンに、やや焦りの色が見えた。

「どうやら、その兵器はまだ不完全なようだな」

 エミリアは、少しだけ体の重さが解消されたのを感じて、右肩を回した。

「エミリア様、ここはいったん、引くことにしましょう。

 アルテミス様の様子が……」

 マチルダが懇願するように言った。

「何? おい、しっかりしろ。

 アルテミス、目を覚ませ」

 どこに潜んでいたのか、彼女たち三人の後ろには、大勢の兵士が控えていた。

 いくら神族とはいえ、得体の知れぬ兵器で力を削がれたうえ、一人は瀕死の重傷だ。

 さらに何千人か分からぬ大軍を相手にするのは、さすがに不利だと、エミリアも悟った。

「ブラウンとやら、我々もここは引くとしよう。これ以上の手出しは無用だ」

「招致しました。我々もあまり犠牲は払いたくありません。

 こちらの実験はある程度成功しましたのでね、手出しはしないことはお約束しましょう。

 どうぞ、お引き取りを」


 ※


 エミリアがクレアの胸に剣を突き立てようと両腕を挙げて構えたその時、気を失っていたクレアの眼がパッと開いた。

 エミリアはその見開かれた顔を見て、ハッとした。

 これまでのクレアとは、“表情”が明らかに違う。

 別人のように精悍さが増していた。

「エミリア」

 クレアが自分の名前を呼んだ。

「まさか? アルテミス?」

 エミリアの心の中は、驚きと喜びが交差し始めた。

「記憶が戻ったのか?」

 クレアは、気絶していた間に、かつての自分の“死”の寸前までの出来事を克明に思い出していた。

「ああ、すべて思い出した」

 クレアにそう言われて、エミリアは彼女の傍から飛び退いた。

 クレアはゆっくりと立ち上がると、衣服に付いた砂埃を手で叩いて落とした。

 そして深く息を吸い込むと、ゆっくり吐き出し、辺りを見回した。

 地面に転がっていたブラッド・パールを見つけると、片手で拾い上げた。

 そして、刀身に付いていた砂埃を薙ぎ払うように、ヒュンと軽く一振りした。

 それは、これまでのクレアとは、全く異なる所作だった。

「おお、嘘ではないな。これは、まさにアルテミスの“動き”だ」

 エミリアの顔には、驚きよりも喜びの方が溢れていた。

「エミリア、一つだけ教えてほしい」

 クレアは、エミリアの方を振り向くと、静かに口を開いた。

「なんだ、何が知りたい」

「あの後……。ブラウン博士の一行に遭って、私が胸を刺されたあとのことだ。

 そのあと、私はどうなった?」

「……」

 エミリアは言い淀んでいた。

「そうか、やはり、あの傷で死んだのか」

 クレアが先に悟ったように言った。

「そうだ、あなたは、あの後、傷の手当てをしつつ、国まで連れ帰ったのだが、帰る途中で、すでに亡くなっていた」

「それから、今“この時”まで、どれぐらいの月日が経つ?」

「あれから、二千五百年が過ぎた」

「何だと?」


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