土曜の夜のスパーキー・レイン(その2)


  降り続いていた雨は、すっかり止んでいた。

 Y国にクーデターが起こり、T国との戦闘が一時中断したことは、隣国にも知れ渡ることになった。

結局のところ、T国とY国の国境を挟んで向かい合っていた両軍は、互いに刃を合わせることなく、撤退を開始した。

「戦闘中止。中止だ。撤収するぞ」

 各軍隊長の怒声に近い指示が戦地に響いた。

 闘い開始の合図を待っていた兵士たちは、気が緩んだように無言で立ち去る者がほとんどだったが、一度火の付いた闘争心の矛先をどこに向けていいのやらわからず、相手を睨みつけながら、唾を吐きながら背を向けて立ち去る者もいた。

 一方、中には、戦わずに済んだ喜びに、土豪を飛び出て、奇声を発し、握手を交わす者や、抱き合う者、肩を叩き合う者もいた。


 クレアの影武者となって馬車に乗り込み、前線まで歩みを進めていたワルキューレの軍団も、反乱軍の決起により、Y国の政治体制が崩壊したという報告が入った。

「作戦はうまくいったそうだ、今報告が入ったぞ、スコグル」

 そう言ったのは、スクルドを「姉」とするワルキューレ六姉妹の一人、「ミスト」だ。

「そう。なら、もうこの兜を取ってもいいわね」

 クレアの影武者を務めていたのは、六姉妹の一人の「スコグル」だった。

 彼女は先の戦いで負傷したが、クレアの役に立ちたいという申し出で、まだ実際の戦闘は無理でも、影武者なら務まるだろうと、スクルドの計らいで赴いていた。

 ワルキューレ軍が、Y国の宮廷に向けて引き返し始めてからしばらくした、その時だ。

 スコグルの耳に、遠くから蜂の唸るような音が聞こえた。

 敵の攻撃を受けて、若干トラウマ気味になっていたスコグルは、その音の正体を敏感に察した。

「まさか。停戦という報告が届いていないわけではあるまい」

 スコグルが振り返った方向の空から、T国の「黒カラス軍団」が国境を越えて向かってくることがわかった。

「あいつらは、確か、前回の停戦協定を無視して攻撃してきた、過激派の連中じゃないのか」

 スコグルのそばにいたミストが叫んだ。

「確かにそうだわ」

 スコグルは、間近に迫りつつあるカラス軍団の敵影がはっきりしつつあるのを見て、まだ癒えていない傷が疼いた。

「どうする、我々だけで向かい撃つには、さすがに手薄だぞ」

 ミストは、焦りの浮かんだ表情でスコグルを振り返った。

「覚悟を決めるしかなさそうね。奴らをここで見過ごすわけにはいかない」

 スコグルはそう言うと、馬車を飛び降り、愛用の槍を両手で構えた。

 先ほどまでは、兜を取った黒髪を雨上がりの風になびかせていたが、懐から、星のように煌めく青色(スパーキー・ブルー)の結い紐を取り出すと髪を後ろ手に結び直した。

「わかった、スコグル。みんな行くぞ」

 髪を結い直すスコグルの様子を見守るように待っていたミストも、自分の槍を構え直し、ワルキューレ軍の総員に呼びかけた。

 敵の数は判然としないが、目視した限りでは、数百名といったところか。

数十名しかいない彼女たちだけで、全員を食い止めるのは明らかに不可能だ。

しかし、できる限り気勢を削いでおくことは必要だ。

「おい、ちょっと待て!」

 先陣を切って舞い上がったスコグルに驚いて声を掛けたが、もう間に合わない。

「やれやれ、相変わらずだ」

 スコグルは、大人しそうな外見とは裏腹に、戦闘となると、真っ先に突き進んでいくタイプだ。

 爆弾で傷を負ったもの、そうした猪突猛進の性格が生んだ、ちょっとした油断が起因しているのかもしれないと、スクルドは語っていたが、本人はきっと気づいていないだろうと、ミストは思いながら、スコグルの後を追うように、羽根を広げて舞い上がった。

 自分たちの行く手に突如現れた二人の乙女戦士(ワルキューレ)の姿に、カラス部隊の先陣たちが空中で止まった。

「これはこれは。麗しき乙女のお二人にお出迎え頂くとは、光栄ですな」

 カラス軍団の先頭にいた大柄な戦士が、黒い翼で羽ばたきを続けながら、二人に対峙した。

「あなたたちを、この先には行かせません」

 スコグルの言葉を聞いても、彼らは特に表情を変えることはなかった。

 先頭の大柄な男は、むしろ、口元に笑みを浮かべているほどだ。

 黒の戦士たちは、反乱軍を組織し、Y国への侵入を謀るほどだ。

 さらにその先陣を切っている連中だけに、自らの戦闘能力にはかなり自信があるのだろう。

 ワルキューレの姿を見ただけで、退散するか、尻込みしてしまう兵士が多い中で、全く怯む様子をみせていなかった。

「私はこの軍を率いるエンリケと申します。

 まあ、あなたたちには、私の名前など、どうでもいいですか。

 ワルキューレの皆様とは、ぜひお手合わせしてみたかったんです。あなたは、確か槍の名手スコグル様、とお見受けしましたが……」

 スコグルは、感じた。

(この男は、デキる)

 自分が負けるとは到底思えないが、たいていの「人間」は精神的に圧倒できるものだが、この男は、動じていない。

 もしかすると、神族と人間とのハーフの中でも、「神」の部分の血が濃い種族なのかもしれない。

「スコグル、気を抜くなよ」

「わかってるわ」

 ミストもこのエンリケという男が只者ではないことを感じているのだろう。

 二人は、槍を構え直してカラス軍団と対峙した。

 その彼女たちの後ろに、他のワルキューレたちも追いついてきた。

 黒の軍団は、十数名の乙女たちの周りを円形の壁のように徐々に取り囲んでいった。

(この連中は、戦い方に慣れている。

 だが、自分たちも生まれながらに、戦闘種族しての教育と訓練を積んできたのだ)

「いくわよ」

 躊躇はない。

 スコグルの号令で、彼女たちは一点から巨大は花火が炸裂するごとく、黒の軍団に向かって各々が飛び散っていった。

 黒い軍団の円形の壁に、彼女たちの一撃で、穴を穿つように、空間が開いた。

 スコグルが放った一撃は、先頭にいた10人中、8人までが地面に向けて落下させることに成功した。

 しかし、その中にエンリケの姿はなかった。

「ほう、さすがに強烈な一撃ですな」

 スコグルの一撃をわずかにかわしたエンリケは、凄まじい攻撃の中にも、わずかな隙を見出していた。

 エンリケも同様に槍の使い手だ。

 彼女が一撃を振るったあとに見せた眉間に寄せた皺を見逃さなかった。

(こいつは、どこか具合でも悪いのか……)

 もちろん、それに対して同情などしない。

(これならいける!)

 チャンスと直観したエンリケは、スコグルが体制を立て直す前に間髪入れず一撃を加えた。

不意を突かれた格好となったスコグルは、反射的にエンリケ目掛けて刃先を返した。

 速さではスコグルに分があったが、リーチがある分、スコグルよりも彼の方が有利だった。

 スコグルの槍先をわずかに交わしたエンリケは、槍の柄の末端を持ち、腕を目いっぱい伸ばして突いてきた。

 その槍の刃先がカウンターの形でスコグルの胸板に突き刺さり、さらに背中を貫いた。

「スコグル!」

 他の兵士を相手に戦っていたミストは、スコグルの方を振り返り悲鳴に近い声で叫んだ。



「T国の反乱分子がこちらに向かっているそうです」

 その連絡を受けて、例のカラス軍団だと、クレアは直観的に悟った。

 だが、なぜ彼らは戦いを挑んでくるのだろう。

 一時であれ、平和を望まないのは、なぜなんだろう。

 クレアには理解できなかった。

 そもそも、自分のいた世界でも、人々はなぜ戦争をするのか、理解できない点は多い。

 それは、考えてもしかたないのかもしれない。

 人が持って生まれた「闘争本能」がそうさせるのかもしれない。

 それは、人間だけに限ったことではない。

 動物、いや植物に限らず、すべての生き物は、自分が生き残るために、戦うのだ。

 自分の子孫を残すために、オス同士が争う。あるいは、メス同士で戦い合う。

 つまり人間の場合も、恒久的な平和など、理想に過ぎないのかもしれない。

 他国と戦い、勝った方の民族がより子孫を残す。

 そうして新たな種族が生まれ、現代に至っている。

 戦い続けることが、生きるということの本質なのかもしれない。

 革命によって休戦を申し出たY国に対して、「はい、そうですか、では戦争を辞めましょう」などというのは、あまりにお人よしで、楽観的で、理想主義的な考え方なのかもしれない。

 一言で言うなら、「甘い」考えだろう。

 他国の反乱分子にとっては、政治的な体制が崩壊しつつあるY国は、攻め入るには、絶好のチャンスなのだ。

 しかし、クレアにとっては「ここ」で戦う意味というものが見出せないのだ。

「クレア様、どうしますか」

 ヘーゲル・ジュニアこと、トーマスは、心配そうな顔をさらに歪ませて、クレアに詰問してきた。

「もちろん、迎え撃つしかないでしょう」

 クレアは、心の中では疑念だらけだったが、ここでトーマス相手に逡巡したり、躊躇する姿を見せるわけにはいなかいと、悟っていた。

 

「今のところ、反乱軍の侵攻の一部は、中間地点にいるワルキューレ軍が食い止めているとの情報が入っています」

 報告者の言葉を受けて、クレアの横にいたスクルドの眉が上がった。

「それで、どれぐらいの数を食い止めているんだ?」

「そ、そこまでは、わかりません」

 スクルドに尋ねられて、報告者は肩をびくつかせながら、答えた。

「あの中間地点には、スコグルとミストを向かわせている」

 心配そうな顔をしているスクルドに、クレアはどう声を掛けてあげればいいのかわからなかった。

「スコグルさんは、この前の爆撃の時、怪我を負った人ね」

「そうだ、まだ傷が癒えていない。

 クレアの影武者ぐらいなら務まるだろうと、自分から申し出たのだ」

「それじゃ、まだ戦うのは無理なんじゃないの?」

「まあ、彼女なら怪我を負っていても、多少は食い止めることはできるだろうが」

「怪我をしているんじゃ、心配よね」

「スコグルの怪我のことなど、どうもでいい。

 それよりも、どれだけ戦えるか、そちらの方が心配だ」

 スクルドは、彼女の傷よりも戦闘力の方が心配なようなことを言っているが、きっと、強がりを言っているだけだろう。

 剣の柄を握り潰そうとしているかのように、右手の拳がはち切れんばかりに膨らんでいた。

「とりあえず、私たちがここで迎え撃つと町中に被害が及んでしまうわ。

できるだけ、市街地から離れた場所で戦うことにしましょう」

 クレアは、周りにいた兵士たちに声をかけた。

すると、兵士たちだけでなく、王政を打破したことに酔いしれている市民たちから賛同の声が上がった。

「そうだ、そうだ。

 我が国に侵入しようとする輩を赦すんじゃない」

「待って、皆さんの気持ちはわかるけど、

 戦いの方は我々に任せてちょうだ」

 このままでは、素手でも戦いに参加しそうな市民を窘めるように言った。

 気を大きくしたままT国の反乱分子とぶつかれば、丸腰の市民など、あっけなく皆殺しにされてしまうだろう。

「頼んだよ、救世主様」

 同行できないことに残念そうな顔をした市民たちが、己の意志をクレアたちに託した。

「あの、私は……」

 不安顔のトーマスにクレアは、怒りに似た感情が湧いた。

「あなたは、ここにいて、街の周辺の守りを固めてください」

 考えをまとめるより先に、イライラしながらそう口にしていた。

 クレアのその言葉を聞くと、トーマスはほっとした表情になって、「聞いた通りだ、みんな、守りを固めるぞ」と周りの兵に指示を始めた。

 やがて、ワルキューレの一人がクレアの前に馬車を牽いてきた。

クレアは市民に見送られながら、この場から敵地へ赴くことにした。

「乗るつもりはなかった馬車に、結局は乗ることになって、皮肉なものだな、クレア」

「スクルド、あなたが、そんなこと言うなんてちょっと意外ね」

 スクルドは、戦いの場に赴くことになって、気持ちが高ぶっているのか、顔が紅潮していた。

 その様子を見て、ワルキューレというのは、やはり生まれながらの戦闘民族なのかもしれないと、クレアは思った。


 *

 

 クレアとスクルド一行は、二人が初めて出会った市街の丘の上へとたどり着いた。

 つい数日前、遺体が散乱していた荒野は、あちこちに墓標が建ち、即席の共同墓地と化していた。

 そして、その日と同じように、同じ方向から黒い影が自分たちに向かって飛んでくるのが見えた。

 果たしてその数は減っているのだろうか。

 スコグルとミストは、このカラス軍団をある程度食い止めることができたのだろうか。

 偶然ではあったが、クレアたちは、ここで彼らを待ち構えることになった。

 やがて黒い陰影は人の姿を呈し始めた。

 先頭には、ひと際大柄な槍を携えた戦士がいた。

 彼らは、クレアたちの姿を認めると、手前20メートルほどの地点に次々に着陸していった。

 正確な数はわからないが、軍隊と呼べるほどかなりの人数がいる。

「これは、これは。

 先ほどのお嬢様方に続いて、またまたお美しい方々のお出迎えを頂くことになるとは。我々としては光栄至極ですな」

 先頭に立ったリーダーらしき男はそう述べると、携えていた槍を地面に突き立てた。

 先刻、スコグルと対峙していたエンリケである。

 その鏃(やじり)の方に、彼の風貌には似合わない、キラキラと光る青い飾り紐が巻いてあった。

「きさま、そのリボンをどこで!」

 その青い紐を目にして、スクルドが怒りの声を発した。

「スクルド、落ち着いて」

 今にも飛び出そうとするスクルドをクレアが押し留めた。

「あのリボンは、私がスコグルに贈ったものだ」

 スクルドが唸るように言った。

「ほう、この紐の持ち主のお知り合いでしたか」

 エンリケは、槍に巻いたリボンを見て、にやりと笑った。

「なかなか手強い相手でしたが……、この紐は、彼女の髪から我が勝利の証(あかし)として頂戴させて頂きました」

 男の目は真剣みを帯びており嘘を言ってるわけではなさそうだった。

 スクルドもそれは重々感じていたのだろうが、湧き出る感情は彼の言葉を素直に受け取れるものではなかった。

「きさま、嘘を吐け。スコグルがキサマごとに……」

 そう言いながら、スクルドは剣の柄を握り、今にも抜き放ちそうな体制を取った。

 クレアには、もう彼女を止めることができそうになかった。

 触れるどころか、近寄ることすらできないほどの闘気がその全身から湧き出していた。

 それは実際、太陽の光彩のような光を放っており、肉眼でも見えた。

「おお、これがワルキューレの本気というやつですか」

 それを見て、相手の男も多少怯んだようだ。

 周りにいた兵士たちも、それを見て、数歩退いた。

「キサマ、覚悟しろよ」

 スクルドが抜き放った剣の刀身までが、彼女の放つ闘気で青白い光を放っている。

 スクルドの最初の踏み出しが、戦闘開始の合図となった。

 クレアは、ここでカラス軍団を相手に刃を交えることは、分不相応であると感じていた。

 軍師さながらのポジションで、彼女たちの戦闘を見守ることが自分の役目であると悟った。

 しかし、相手の兵の数はあまりにも多い。

 闘いで零れて自分の方に向かってくる兵士がいれば、相手をせざるを得ない。

 クレアも覚悟を決めて馬車から降りて、ブラッド・パールを抜き放って構えた。


 スクルドは翼を半分ほど広げ、燕が滑空するように、地面から体を浮かし気味して駆け出していた。

「槍に対して剣を構えるとは、侮りましたね」

 エンリケは、突進してくるスクルドに対して槍を突くだけでよかった。

 カウンターの形で相手を貫くことができる。

 先ほどのワルキューレ、そう、スコグルと同じように。

 そう確信して槍を突き出したはずだった。

「え?」

 スクルドの抜き放った剣の切っ先が下段から上空へ向けて直線を描いた。

 その瞬間、剣の描く軌道に沿って空気は切り裂かれていた。

 何事が起ったのか、エンリケにもわからなかった。

 スクルドは、単に剣を下段から上段に構え直したようにしか見えなかった。

 エンリケが突き出した槍は、包丁でねぎを斜めに切ったかのごとく、スッパリとしその先端が消えていた。

「スコグルのリボンは、返してもらったぞ」

 スクルドは、切り取った相手の槍の先を左手にしていた。

 巻かれていた青いリボンを解(ほど)くと、ゆっくりと胸元に仕舞い込んだ。

 先端の刃が失われた槍を、男は信じられないという面持ちで見返した。

「うーむ。この槍を切るとは、凄まじい剣技ですな」

 エンリケの持っていた槍はそう容易く切れるものではない。

 特に切られた部分は鋼で作られている。それがすっぱりと切られているのだ。

 だが、鋭く切られたお陰で、まだ武器として戦うことができそうだ。

 エンリケは多少短くなった槍を構え直した。

 スクルドは、上段に振りぬいていた剣をゆっくりと下に降ろした。

 周りでは、あちらこちらで戦闘が始まっている。

 両軍の兵士の誰もが、二人の戦いに気を取られている暇はなかった。

 この二人の戦況を見つめていたのは、この場ではただ一人、クレアだけだったかもしれない。

 クレアは、味方ながらスクルドの強さを改めて実感していた。

 彼女がもし敵の側だとしたら……。

 考えても仕方がないことだが、そもそもなぜ、異世界からやってきた自分や、先のエンゲルスのような人間に無条件で味方することができるのだろうか。

 確かに、「救世主」という肩書きは持っている。

 だが、そんな肩書きなんて簡単に信用できるものだろうか。

 そんなことをぼんやり考えていると、スクルドとエンリケの戦いは、すでに決着が付こうとしていた。

 切られた槍で再び前に出たエンリケの攻撃を最小限の横の動きで交わしたスクルドは、右手に持った剣をメジャーリーガーのアッパースイングのように斜め上に振り上げた。

 瞬間、剣の軌跡に沿って高輝度の青白い光が走った。

 次の瞬間、エンリケの槍は、両手に握られたまま地面に落下していた。

 スクルド剣は、今度は槍ではなく、男の両腕を肘の辺りから切り落としていたのだ。

「うああああ」

 エンリケは、両腕が切り落とされたショックで、悲鳴を上げた。

 それは、肉体的な痛みなのか、精神的な痛みなのか、あるいは両方の痛みから来る叫びなのか、なくなったばかりの両腕の行方を追うように、エンリケは跪き、叫び声を上げ続けていた。

 その様子を、スクルドは、冷徹な眼差しで眺めていた。

 全身から溢れ出していた闘気はすでに収まっていた。

 彼女は、もうこの戦いには興味がなくなったかのように落ち着いていた。

 やがてエンリケは、耐えがたい痛みが襲ってきたのか、頭を地面に擦り付けながら、震え出した。

「キサマ、我が姉妹を愚弄したこと、あの世で後悔するがよい」

 その言葉を聞いて、何か言いたそうに少しだけ顔を上げたエンリケだったが、きちんとした言葉を発するまでには至らなかった。

 最後は、苦痛で唸り声をあげ続けるエンリケの首を、スクルドは無言で刎(は)ねた。


「エンリケ様!」

 その様子を見ていたカラス軍団の兵士たちが口々に叫んだ。

「エンリケ軍曹がやられた」

「うろたえるな!

 我々の方が人数では勝っている。

 諦めずに戦うのだ」

 サブリーダーらしき兵士は、周囲の者を鼓舞するように命じたが、模擬戦では誰もかなう者がいないエンリケ軍曹を、まさに瞬殺してしまうこのスクルドという女戦士の力量はいったいどれほどのものなのか、考えも付かなかった。


 スクルドとエンリケの戦いの様子をクレアが見終えたとき、遠くの空に、カラス軍団とは別の飛行隊が近づいてきくるのに気づいた。

「スクルド!」

 空から彼女を呼ぶ、女性の声がした。

 それは敵に遭遇したワルキューレ部隊の生き残りだった。

 その中には、ミストに半身を抱えられながら一緒に飛んできたスコグルの姿もあった。

「スコグル、無事だったのか」

 スクルドの驚きの顔は、すぐに笑顔にとって替わった。

「スクルド、この男は……」

「お前のリボンは奪い返しておいたぞ」

 スクルドは、胸元に仕舞い込んだ青いリボンを取り出してスコグルに手渡した。

「申し訳ありません。油断してしまいました」

 応急手当をした胸の辺りを抑えながら、弱弱しい声でスコグルが謝った。

「まあ、無事ならそれでよい」

 目を剥いて地面に転がっているエンリケの首を見ながら呟くようにスクルドが言った。

「我々も加勢します」

 スコグルに肩を貸していたミストが言った。

「お前たちは、そこら辺で休んでいろ。

 この連中は我々で何とかする」

 スコグルは、剣を鞘に納めると、槍を手にして敵と対峙した。

 彼女の前にいた敵兵は、檻から逃げ出したライオンを取り囲むかのように、恐れをなしていた。

 彼女が少し前に進んだだけで、蜘蛛の子を蹴散らすように、周囲に大きな空間ができた。


 リーダーであったエンリケを一瞬で失ったカラス軍団は、統率が明らかに乱れ始めた。

 だが、そのことが逆に“窮鼠猫を噛む”的な結果をもたらすことになった。

 破れかぶれに近い精神状態で立ち向かってくる百人以上の敵を、わずか数十人で捌くのは骨が折れた。

 ワルキューレの切っ先を逃れた兵士がクレアの前に現れた。

「クレア!」

 槍を振るって敵を蹴散らしていたスクルドが、その気配を察し、振り返って叫んだ。

 クレアはブラッド・パールを昨夜のように両手で構え、向かってくる敵の攻撃を食い止めようとした。

(それじゃ、ダメだ!)

 心の中に呼びかける声が聞こえた。

(あなたは、誰なの?)

 クレアは呼びかけてきた声に問い掛けた。

(相手の攻撃を迎え撃つのではなく、自分から先に攻撃しろ!)

 クレアは、言われた通りに向かってきた相手へ、先に剣を振るった。

「いかん!」

 スクルドは、その様子を見て、思わず叫んでいた。

 敵はまだクレアの剣が届く範囲にまで到達していない。

 その距離で剣を振るっても空振りするだけだ。

 ところが、である。

 クレアが真横に振るった剣は、確かに敵の前方の空気を切っていたのだが、実際に切り裂いたのは、空気だけではなかった。

「バカめ。素人が」

 クレアの目の前まで来ていた兵士は、余裕の表情で自分の持っていた槍を構えて、クレアを見据えた。

「ぐあ!」

 が、兵士が槍を振るうまでには至らなかった。

 クレアが振るった剣の軌道に沿って、兵士の胴体はスッパリを断ち切られていた。

 上半身が下半身からずるりとズレて、崩れ落ちた。

 これにはクレア自身が驚いた。

(なんて威力なの、この剣は)

 クレアは自分のその攻撃を「剣」の威力であると、思っていた。

 スクルドは確信していた。

(やっぱり、クレアは“ただ者”ではない)

 

 クレアは気づいていなかったのかもしれないが、スクルドが剣を振るうと発する青白い光に対して、クレアが振るった剣の軌跡には、強烈な赤い光が走っていた。

 普通の人間では、ブラッド・パールをこのように操ることは不可能だ。

 彼女が異世界からやって来た人間であることも、その一つの条件ではあるに違いない。

 そしてもう一つの条件としては、“救世主”であることが、これに加わっているのだろう。

 だが、この“力”あのエンゲルスが持っていた力とはまた別物のようだ。

 エンゲルスは、このように“神器”を操る力を持っていなかった。

 クレアは自覚していないようだが、最初にエルバから受け取った“弓”にせよ、自分が渡したこのブラッド・パールにせよ、まるで玩具や日用品のように、軽やかに扱うことができる能力がある。

「クレア、その調子だ! 頼むぞ」

 スクルドは前方の敵を蹴散らしながら、クレアに呼びかけた。

「わかった」

 クレアは、何とか肯定的な返事を返しはしたが、実際は逃げ出したい気持ちの方が勝っていた。

 剣の威力に驚いた以上に、初めて人を切ったという事実をどう解釈すればいいのか、精神的に混乱していた。

(そうなのだ、こちらが殺(や)らなけば、殺(や)られるのだ)

 これは、戦闘に於ける正当防衛なのだ。

 だが、人を殺めてしまったという重圧は非常に強かった。

 目の前に半身を失って、もはや動かなくなった兵士が転がっていた。

 その姿を目にして、思わずぎくっとなった。

(今は、考えてはいけない。心を強く持つんだ)

 再び、心の中で声が聞こえた。

(そうだ、この戦いは、正当な理由があるのだ)

 そうしている間にも、別の敵兵が前方に姿を見せている。

 躊躇っている時ではない。

 クレアは、意を決してブラッド・パールを構え直した。


   *


 ワルキューレの戦闘力は凄まじかった。

 空が黒く煤けたように群れを成していた敵兵の数は、目に見えて減っており、今や叩き落された兵士の数の方が遥かに上回っていた。

 手勢の少ないクレアの前方にも、彼女の一刀両断の剣の威力を見て恐れを成したのか、敢えて挑んでくる者はいなかった。

 相手の士気は目に見えて下がっている。

(もう少しの辛抱だ)

 クレアが、そう思った矢先である。

 後方から、連絡係の兵士が駆け寄ってきた。

「クレア様!」

 そう叫ぶ兵士の表情を見て、不吉な予感が走った。

「大変です。敵の援軍が海上より現れました。

 国境に接するT川の下流に戦艦が横付けされ、現在、こちらに向かって行軍しているという情報が入りました」

 戦艦という言葉を聞いて、クレアは直感した。

「海からの援軍……。

それは、きっとビスマルクに違ないわ」


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