水曜のアクロポリスとシークレットガーデン(その2)

「はじめまして。タマナハ・クレア」

 ボーイ君は、惚けているのだろうか、それとも他人の空似で、彼とは別人なのだろうか。クレアは判断に迷った。

「は、はじめまして。エンゲルス様」

 クレアは椅子から立ち上がると、どういう姿勢で挨拶していいのわからず、何かの映画かドラマで見たような記憶をたどりながら、片膝を曲げ、さらに片腕を折って頭を下げてみた。

 果たしてこれで合っているのか、自分でもよくわからない。

 その仕草を見て、エンゲルス王は高らかに笑った。

「ははは、クレア。キミ、初めてボクに会ったとは思っていないよね。それとも、本当に気づいていないわけ?」

 クレアは、やっぱりクリムトの店のボーイなのねと納得したが、それを口に出して言うのは失礼な気がした。

「あのう、王様、お怪我の方は、もう大丈夫なんですか」

 クレアは恐る恐る頭を上げてエンゲルスに尋ねた。

「ああ、騙してご免。怪我は全然してないよ。ご覧の通り、ぴんぴんしてるよ。爆弾騒ぎが起きたとき、すぐに助けてもらったからね」

 エンゲルス王は、王冠をかぶったまま軽くジャンプしてみせた。

 クレアは王様があのモッズヘアのボーイだったということに、だんだん腹が立ってきた。

「新しい救世主とやらがどんな人なのか、この目で事前に確かめておきたかったんだ。それでクリムトにお願いして、一日だけのアルバイト店員として雇ってもらったのさ」

 王冠から少しだけはみ出たパッツンヘアの前髪をエンゲルスは撫でながら言った。

「救い主がとてもチャーミングなお嬢さんだったので、僕としてはびっくりだよ」

 もしかして、元の世界で同じ教室で隣に座っていたあのモッズヘアの彼も同じ人物ではないかと、クレアは疑い始めていた。

「王様は、横羽大学工学部ってご存じですか」

 クレアは自分でも行き過ぎた質問かなと思いつつも、訊かずにはいられなかった。

 隣にいたワグナーは、その質問の意味がよくわからなかったようだが、何か場にそぐわない質問であることを感じ取ったのか、慌てたようにクレアを見上げた。

「うーん、知っているような、知らないような」

 クレアの質問に、エンゲルス王が示した反応が意外だった。

 本当にあのモッズヘアの彼と同じ人物なのではないかと疑いが深まった。

「王様は、そこの大学に通っていませんでしたか?」

 そこまで聞いてエンゲルス王は急に真面目な顔つきになった。

 先ほどまでの笑顔は消えていた。

「いいかい、クレア。キミをここへ呼んだのには、とても大きな理由があるんだ。先に言っておくけど、僕は残念ながらその何とか大学の出身でもなければ、学生でもない。ただし……」

 そこまで言うと、椅子から立ち上がり、腕を後ろ手に組んだ。

 モッズヘアのボーイと同一人物だったということで、少しだけ気安い気持ちを持ち始めていたが、その立ち姿には、やはり王の威厳というものが籠っていた。

 中世ヨーロッパのキングが被るようなエンゲルスの王冠には、劇の安っぽい小道具とは違い、本物の地金と入り組んだ細工が醸し出す複雑な煌めきを周囲に放っていた。

 王の出で立ちがコスプレに見えないのも、ひとえにその王冠の輝きがあったからだ。

「率直に話そう」

 エンゲルスはクレアの方を見ずに言った。

「僕は、キミと同じ世界から来たんだ」

 クレアはその言葉にあまり驚くこともなく、素直に納得することができた。

 クリムトの店でエンゲルスを見たときに、同じ大学の学生と勘違いしたときから、何となく感じてはいたことだった。

「あれ? あまり驚いていないようだね。まあ、いいか」

 エンゲルスはそれほどがっかりすることもなく、先を続けた。

「つまり、僕も、かつてはこの世界に呼ばれた救世主の一人ということだ」


           *

 

「クレア、キミもそうだと思うけど、僕もこの世界に来たのは、コドモミュージアムの『入り口』からだった。僕はY市のある会社に勤めていたサラリーマンでね。最初はもちろん戸惑ったし、この世界を救ってほしいと聞いて冗談じゃないと思ったけれど、ここの生活に馴染んでくるにつれて、だんだん考え直すようになった」

 外見からすると、エンゲルスは学生と見紛(みまが)うぐらいでかなり若い。サラリーマンとしても新人に近かったのだろう。

「元の世界に戻ってもただのサラリーマンで一生を終えるだけだ。この世界ではAクラスの市民だけが持てるIDPもあるし、経済的には一生困ることはない。しかも救世主という、選ばれた人間として尊敬を集めている。この世界で暮らしてみるのも悪くないなと悟ったのさ」

 クレアは黙って聞いていた。エンゲルスがここに来た経緯はほぼわかった。

「たしか、王様が即位してから三年目と聞いています。つまり、王様は、三年前にこの世界に来たということですね」

「正確には四年前だね。ここに来てから一年間は、この国を治めるために戦っていたからね」

「それはT国と戦っていたということですか」

 エンゲルスは、その質問にはすぐに答えなかった。

 椅子に座り直すと、傍らにいた従者を指を鳴らして呼び付けた。

「まあ、クレアも椅子に座りなよ。少しゆっくりと話そう。紅茶でいいかな。元の世界のお茶と少し違うかもしれないけど、お茶には変わりない。なかなかイケる種類の紅茶があるんだ」

 クレアが椅子に座ると、従者の一人が小ぶりのテーブルを運んできた。やがてティーセットが運ばれてきて、紅茶が注がれた。

 アールグレイのようなベルガモットに近い香りがするお茶だ。

 味は確かに悪くない。暖かいミルクを入れて飲むとさらに美味しいかもしれない。

 紅茶に入れるミルクや砂糖の類は用意されていなかったのが少し残念だ。

「さて、きちんと話すと長くなりそうだから、かいつまんで話そう」

 エンゲルスはクレアと同じポットから注がれた紅茶を一口すすると、用意されたサイドテーブルにカップを戻して、ため息を吐いた。

「僕が戦っていたというのは、ほかでもない。この国の連中、Y国軍とだよ」

 自軍と戦う? どういうことだろう。

「僕はY国軍と戦い、勝利したことで、Y国を治めることになった。つまり、相手を打ち負かさすために戦うのではなく、味方に付けるために戦ったのさ」


       *


「僕がこの世界を救ってくれと妖精から頼まれてこちらに来たときはね、Y国はT国ではなく、西隣のO(オー)国と戦争になりかけていたんだ。当時Y国は、軍閥政治でね、ある将軍が国を治めていた」

 妖精とは、確かめるまでもなく、きっとネルバのことだろう。

『ある将軍』という言葉が出たとき、クレアの隣で畏まっていたワグナーの体がピクリと動いた気配がした。

 クレアはそこまで聞いて、すぐに一つの疑問が浮かんだ。

「王様は救世主として、一人だけ召喚されたんですよね。まさか一人でY国軍と戦ったんですか?」

「おいおい、そんなどこかのスーパーヒーローじゃあるまいし。一人でY国軍を制圧するなんて無理だよ。むしろ、僕は戦いには全然参加していなかったといってもいいぐらいだ」

「もしかして、王様と一緒に戦ったというのは、ワルキューレですか?」

 クレアはふと思い付いて言ってみた。

「正解。ワルキューレは、僕ら救世主の味方をしてくれる存在なんだ。昨日の爆弾騒ぎのとき、僕を救出してくれたのも、実は彼女たちさ」

 やっぱりそうか。

 クレアはスクルドの強さを見て、彼女たちなら、かなりの数の兵士でも数人で制圧することは可能な気がした。

「クレアは、もうワルキューレには会ったの?」

「会いました。スクルドと、あと二人。名前、なんて言ったっけ。ちょっと忘れましたけど、三人です」

「そうか。まだ三人か。ワルキューレはスクルドのほか、将軍クラスが十数名いて、あと千人程度の部下がいるんだ。人間の軍隊からしたら数は少ないけど、彼女たちは人間相手なら、いわゆる一騎当千ってやつさ」

 彼女たちのような味方があと千人もいるとは心強い。

「でも、僕が一緒に戦ったのは、ワルキューレだけじゃないよ。Y国軍の中には、将軍が国を治める軍閥政治に異を唱える連中もいたからね。そうした政府からみたら反乱分子もかき集めてね、クーデターに近い形で戦い続けていたんだ」

 エンゲルスの言葉はますます熱を帯びていった。

 クレアはちらりとワグナーの方を見た。目が合うと、ワグナーは目線をさらに下げて俯いた。

「僕はO国の政府と連絡を取り合って、ワルキューレとともにY国に戦闘を挑んだ。内部では反乱軍、外からはO国軍。多勢に無勢。やがてY国の政府軍をねじ伏せて、降参に追い込んだ」

 ワグナーは懐からハンカチを取り出して額の汗を拭いた。

「結果として、僕がY国を治めることになったんだ。ねえ、ワグナー元(もと)将軍」


 エンゲルスに急に名前を呼ばれたワグナーは、「はっ」と答えて畏まった。

「そのねじ伏せられた将軍って、ワグナーさんなの?」

 クレアはワグナーの方をまじまじと見て尋ねた。

 エンゲルスが元の世界の住人だったということよりも、そちらの方が驚きだ。

「僕らは人殺しが目的で戦っていたわけじゃない。ワグナー将軍や他の将校のほとんどは捕虜として捕えることに成功した」

 エンゲルスはエントランスホールをぐるりと見回した。

「当時、ここに彼らはいたんだ。彼らの本部があったんだよ。もっと事務的な机や椅子がいっぱい置いてあってね。書類も山積みだった。僕らが反乱軍とともにここに踏み込んだ時、ワグナー将軍はその辺の真ん中の席にいた。みんな、すぐに両手を挙げてくれたよね」

 エンゲルスは、持っていた杖でクレアのいる席の辺りを差し示しめすと、ワグナーがそちらの方をチラリと見た。

「彼らを軍法会議にかけた結果、A級市民の資格は永久にはく奪。多くの者は禁固刑となって今も服役中さ」

 ワグナーがどんな顔をしているのか、完全に顔を伏せてしまっているので、確かめようがなかった。

「だけど、僕はワグナーに恩赦を与え、パレスサイドの警備員として採用した」

 どんな事情があってそうなったのか、クレアにも多少の興味はあったが、無理に訊く話でもない気がした。

「彼がどんな経緯でこの国を治めるに至ったのか、そこはまあ、置いておくとして、収監されているときにワグナーに何度か面会に行った。話を聞いてみると、このワグナーは、なかなか面白い男でねえ」

 クレアはワグナーに娘がいることを思い出した。

 もしかして、エンゲルスとワグナーの娘とは何らかの繋がりができているのではないかと思ったが、あまり勘ぐってもしょうがない。

「元々敵だった人物を側近として置いておくのは、僕らの元の世界でも、歴史的にはよくあることさ。恨みを買って閉じ込めておくよりも、その方がいい場合も多い」

 エンゲルスは少しだけ憐れむような顔をしてワグナーの方を見つめた。

 だが、すぐに元の陽気な顔に戻ると話を続けた。

「話を元に戻そう。いいかい、クレア。世界を救うというのは、単純に戦争で勝つということではないんだ。どうすれば、世界が平和を取り戻すか、それをじっくりと考えて正しい手順で行動しなければいけない」

 クレアは、あまり真剣に物を考えなさそうなタイプだと感じたエンゲルスが真面目に語り出すのを聞いてある意味で感心してしまった。

 人はやはり見かけで判断してはいけないようだ。

「例えば、二つの大国の間で争いがあったとき、どちらの国に味方すればいいかと、一般的には悩むよね。僕らの世界では、マスコミの報道でしか判断できないことが山ほどある。いわゆる『情弱』といわれている連中は簡単に騙される。この世界でもそうした事情は同じさ」

 どこかで聞いたようなセリフだ。

「Aが悪くてBが正しいとか、その逆にBが正しくてAが悪いとか、単純に判断したりするのは、愚の骨頂だ」

 クレアは、これらの意見は、エンゲルス独自の考えなのだろうかと疑った。

 もしかすると、ネルバの入れ知恵ではないかとも思える。

「どちらの国が善で悪かなんて一概には決められないものだ。しかも互いに戦争となれば、ほとんどの理屈は消し飛んでしまう」

 その国と国との利害関係で物事は決まる。市民が抱くシンパシーなんてあまり関係ない。

「一度弾き金が引かれれば、どちらの国が勝っても、真の平和は訪れないだろう。A国が勝てば、A国民は幸せかもしれないが、負けたB国の人々は難民となったり、貧困に陥ったり、不幸に陥る。それで果たして平和になったと呼べるのか」

 元の世界でも、そうした国際間の問題が非常に難しいことはクレアも重々知っている。

「そこで、一つの解決策としては、互いの国で妥協点を見つけて話し合いで終える。これはシンプルだが、もっとも平和的な解決方法だ。ただし、妥協点が見つからなければ、話し合いは一向に進まない。やがて戦争が始まる」

 クレアはエンゲルスが言わんとしていることはわかった。

「話し合いでは解決が付かず、どうしても戦争が避けられない状態にあるとき、より犠牲が少ない方法で解決するにはどうすればいいのか、僕なりに考えた」

 クレアは『僕なり』という言葉に嘘臭さを感じた。

「つまり、この場合、Y国とO国が争いを起こそうとしいていたので、Y国を内部から倒し、さらに自分がY国を支配することで争いを止めたというわけですね」

 ここは同調しておく方がよさそうだと、クレアは自分なりに考えをまとめてみた。

「まあ、結果としてそうなったけどね。僕はこう見えても計算高いんだ。Y国とO国を比較して、どちらの方がより戦力が強いか、きちんと測った上で、陰でO国の味方に付いた」

「では、もし戦力が逆だったら、Y国に味方して、O国の軍部を倒していたかもしれないということですか?」

「そういうことになるね」

 こんな話を近くで聞かされているワグナーはどんな気持ちだろうか。

 クレアはエンゲルスの考え方に釈然としないものを感じたままだったが、その点は黙っていた。

「で、今回は、Y国とその東隣りのT国との争いということですけど……」

 クレアは、その先の話が早く知りたかった。

「まあ、そんなに急がないでくれ。先のクーデターによってO国との争いが終結し、新しい政府ができて和平交渉に及んだ」

 新しい政府は民主的に樹立できたのだろうか、クレアはふと思った。

 エンゲルスは選挙で王様に選ばれたというわけではなさそうだ。

「当然のことながら、Y国とO国は、互いに不可侵条約を結ぶことにしたんだ。ところが、その中身に関して、T国が文句を言ってきた。Y国とO国が不可侵条約を結ぶということは、YとOがより強い同盟関係を結ぶことになり、結果としてT国にとって脅威になるというわけさ。しかも、この世界では、T国とO国は昔から仲が悪いらしくてね」

 エンゲルスはやれやれという顔をして、紅茶のカップに手を伸ばした。

「Y国が今回結ぶ予定のO国との条約を破棄するように、通達してきたんだ。T国の連中は、Y国に負けず劣らず好戦的でね。条約を破棄しなければ、Y国を敵国として認定し、攻撃するとまで言ってきた」

 そこまでエンゲルスが語ると、それまで黙っていたワグナーが突然口を開いた。

「一介の警備員の私が言うのもなんですが、我が国の海軍ではT国の海軍と互角に戦うのは、かなり難しいと思いますが」

 エンゲルスが「まあまあ」とワグナーを窘(たしな)めた。

「僕だって、うちの海軍には、そこまで期待はしていないさ。

 あちらにはビスマルクっていう有能な提督がいるしね」

ビスマルクと聞いて、かつてのドイツの名宰相の顔を思い浮かべないわけにはいかない。

「ああ、T国とは陸だけでなく、海を挟んで対峙しているからね。船が戦いの鍵を握るんだ」

 クレアが置いてけぼりにされていると思ったのか、エンゲルスが説明してくれた。

 クレハは思う。

 エンゲルスは気づいていない。

 彼もかつてのワグナー将軍と同じ轍を踏んでいることを。

 戦いを治めれば次の戦いが待っている。

 世界を真の平和に導くのは、かくも難しいことなのだ。


「ねえ、王様」

 クレアはエンゲルスとワグナーの間で戦術上の話が始まりそうだったので、自分がここに呼ばれたことについての話に戻したかった。

「それで、私の役目なんですけれど」

 クレアはエンゲルスの話を聞いて、彼のような役割が自分に務まる気がまったくしなかった。

 仮定して考えた場合どうだろう。

 Y国に味方するとして、ワルキューレとともにT国軍と戦い、T国軍を降参させて、T国を支配下に置く。

 そして自分がT国の女王として君臨し、Y国、もしくはO国を含めた三国同盟を結べば無事に解決したことになるのだろうか。

「私はY国軍の味方に付いて、ワルキューレと一緒に戦えばいいわけですか?」

「実際、そうなりつつあるよね」

 エンゲルスは満面の笑顔で答えた。

「それは私が、この世界にやってきた最初の日に、T国軍に矢を向けたことが原因ということですか?」


「キミは大きな勘違いをしているようだね」


 聞き覚えのある声がしてクレアは辺りを見回した。

「失敬、失敬。そこからは僕が話そう」

 ネルバがクレアの真横に姿を現していた。

「こんにちは。王様」

「おっと、キミはいつも突然現れるねえ。予告がほしいなあ。何月何日の何時何分、どこそこに現れます、ってねえ。このIDPって、メール機能は付いていないんだっけ? 僕にだっていろいろと都合があるしねえ」

 エンゲルスはIDPを耳元に当てながら、クレアに目配せをしてみせた。

 クレアはそれには一切反応しなかった。

「クレア。キミは確かに今回の戦いのきかっけを作ってしまったけれど、それを元に戻すことはできないんだよ。例えば、このカップの紅茶を海に注ぐことはとても簡単だし、誰でもできる。でも、それを元の紅茶として戻すことは、誰にもできない。それと同じことさ」

 ネルバの言う理屈はわかる。しかし、そんなたとえ話に感心している場合ではない。

「一旦戦争が始まれば、すぐに戦いを辞めるわけにはいかない。相手が銃を向ければ、こちらが応戦する。応戦しなければこちらが殺される。戦場は、その繰り返しさ。戦争は悪いことです。だからすぐに辞めましょう、なんて子供のような理屈は通用しないんだよ」

 ネルバは手を後ろ手に組み、クレアの前で小さな円を描くように歩きながら、語った。

 相変わらずの紫と黄色のチェッカー柄が目の前に落ち着きなく、左右にひらひらと動いている。

「ちょっと待って」

 クレアは一つ重要な点を忘れていた。

「私、ここにいるのは、一週間だけって聞いたんですけど」

「ああ、そうだよ」

「でも、王様はすでに4年もここにいますよ」

「それは、キミの選択次第さ。エンゲルスだって、ここに招かれたときは、一週間で元の世界に帰ることもできた。だが、彼はこの世界に残ることを決意したんだ」

 紫と黄色の動きがクレアの前でピタリと止まった。


 考える時間が欲しい。

 クレアとしては、Y国に特別な思い入れがあるわけではないし、T国を敵とみなす理由にも乏しい。

 別に嫌っていたわけでもないが、あまりエンゲルスに味方したくなかったし、ネルバの言いなりになるのが何よりも癪だ。

「時間がないことは重々承知してますけど、少しだけ考えさせてもらえまえせんか」

 クレアはネルバを無視して、エンゲルスに語りかけた。

 王の笑顔が止んだ。

 それも束の間だった。

 再び笑顔を作り直すと、エンゲルスは椅子から立ち上がった。

「わかったよ。この王宮の庭園はねえ、とても美しく手入れされていて、国民に開放されているんだ。今はバラがとてもきれいに咲いているから、少し散歩してくるといいよ。そのあとでキミの答えを聴くとしよう」

 エンゲルスはクレアたちの方を振り返ることなく、こう言いながら下がっていった。

「いい返事を待っているよ」

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