天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第24回

「でも、背景事情がどうであれ、伸次君が、いじめどころか悪質な性的虐待に加わってしまったのは確かな事実。それに報道では仮名になってても、いつの間にか伸次君の本名や住所が、世間に漏れてしまったの。わざわざ東京から、伸次君の家に押しかけてきた物好きもいたそうよ。ユーチューバーとか言うらしいんだけど、勝手に庭に入って家を撮影しながら、好き勝手に罵ったんですって。そんなこんなで伸次君は、家にも学校にも居場所がなくなった。お父さんやお兄さんもあからさまに厄介者扱いしてくるし、母親の寬枝さんさえ、他の家族に遠慮して伸治君をかばいきれない。それはそうよね。伸次君自身が、ずっと家族をないがしろにしてきたんだから。思いあまった伸次君は、母方のお祖母さんに相談したの。素行不良の伸治君にも、お祖母様だけは優しかったのね。で、お祖母さんに勧められて、お母さんと一緒に、この隠れ家にたどりついた――とまあ、そんな事情らしいんだけど」

 そこまで話すと、美津江刀自は、斎実に目を向けて、

「斎実さん、次の『御子神みこがみ斎女ときめ』として、あなたにはこの伸次君が、どう見える?」

 斎実は背筋を正して言った。

「……私にはどうこうできないほど、ですね」

 伸治に向ける視線の厳しさとは別状、母親の寬枝には、むしろ同情的な顔で、

「寬枝さんの気持ちは、今、美津江さんから聞いた話の通りだと思います。この伸治君を誰よりも愛して、本当に心配してます。でも、後妻という立場のせいか、歳の離れた旦那様にずいぶん遠慮があるし、先妻さんが産んだ長男の方には、もっと遠慮があるみたいですね。そのせいで、自分が産んだ次男の伸次君を、ずっとかばいきれないでいた――その事を、今は本当に悔やんでいます」

 寬枝は斎実に目を見張った。そこまでの家庭の事情は、美津江刀自にさえ話していない。

 伸次も驚いているが、母親に向ける表情は、後悔と安堵がないまぜになって、今にも泣きだしそうだった。

 斎実が続けて言った。

「ただ、伸次君の心は、どうしても読めません。そもそも私には、今、この子がどんな顔をしているかさえ、はっきり見えないんです。この子を包んでいる『はく』の色が、あんまり黒すぎて」

 慎太郎は、斎実の厳しい視線の理由を初めて知って、いささか驚いた。

 実のところ、慎太郎自身に『はく』を見る力はない。『はく』と対照を成す『こん』も見えない。ただ魂魄こんぱく双方が入り乱れる人の心――他人の記憶に介入できるだけである。それでも帯同する管生くだしょうに斎実を凌ぐ眼力があるから、祈祷師としての体面は保てていた。


 ちなみに『こん』と『はく』に関して、古代中国発祥の道教では、こう教えている。

 ――人の『霊』は『こん』と『はく』から成り、『こん』は精神を、『はく』は肉体を司る――。

 そんな定義に、古代中国における他の種々の思想が加わって、こんな定説が一般化した。

 ――『こん』は、陰陽における『陽』に属し、人が死ねば天に昇る。『陰』に属する『はく』は、人が死ねば地に沈む――。

 しかし、現在の『御子神斎女』の家系では、また別の解釈が採られている。

 ――『こん』とは、天にも地にも元から存在する『陽』の気であり、そもそも人の命は『こん』だけで始まる。しかし母親の胎内から生まれ出た瞬間、外の世のけがれにさらされる。そこで『陰』の気である『はく』が生じる。外の世で生きる内に、その『はく』が積もり積もって『こん』を蝕む。『はく』が『こん』を凌いだ時、人の命は終わる。負けた『こん』は他の新しい命を探してそちらに移り、勝った『はく』だけが黄泉よみに沈む――。

 まだ若い斎実や慎太郎には、必ずしも鵜呑みにしたくない生死観だが、まだ死んでいない者、しかしいずれは死を免れない者ばかりが右往左往する現世においては、どう解釈しようと、生者への対処に変わりはない。

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