天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第22回

 歩行の不自由な美津江刀自を、民治老人と吉田が両脇で支え、神棚の横手の襖に向かう。

 慎太郎と斎実も、その後に続いた。

 慎太郎は、襖の奥に階段があるのかと思ったが、そこは二畳ほどの狭い和室だった。襖以外の三方は白壁で、小窓も何もない。額装された毛筆の色紙が一枚、横の壁に掛かっているだけである。

 吉田が片手を伸ばして、その額に指を触れた。

 微かな機械音を響かせて、二畳間全体が上に動き始めた。

「……これ、エレベーターなんですか?」

 誰にともなく訊ねる斎実に、美津江刀自は恥ずかしげな笑顔で答えた。

「和風にこしらえたつもりなんだけど、忍者屋敷みたいになっちゃったわね」

 何事も徹底しすぎるとかえって変になる――慎太郎はそう思ったが、あえて口にしなかった。徹底しすぎた老夫婦も自覚しているようだし、吉田さえ苦笑している。


 ほどなく上昇が止まり、慎太郎が気を利かせて先に襖を開けると、僅かな板の間を挟んで、すぐ対面にまた襖があった。昨夜泊まった百合の旅館ほど華麗ではないが、正式な客間らしく、山水画をあしらった織物張りの襖である。

「失礼します。入ってよろしいかしら、杉戸さん」

 美津江刀自が、中に声をかけた。

「今日は奥州大学の哀川先生も一緒なの。実は他にもお客様が二人いらっしゃるんだけど、あなたのお母様と同じ仕事の方々だから、きっと力になってくれるわ」

 少しの間を置き、中から中年女性の細い声が返った。

「……はい、どうぞ」

 美津江刀自が、自分の手で襖を開ける。

 中は六畳ほどの和室だった。

 天井の梁の構造から、合掌造りの最上部に設けられた小部屋らしいと、慎太郎は推測した。建具や調度に手抜きはないが、奥に小窓が一つあるだけの、いかにも隠し部屋じみた造作である。

 その中央の座卓から、四十年輩の女性と十五六歳の少年が、神妙に頭を下げた。

 女性は年相応の渋い和装で、端然と正座していた。

「おや――あなたでしたか、寬枝ひろえさん」

 哀川教授が笑顔になって、女性に会釈した。

 女性の顔にも、懐かしげな微笑が浮かんだ。

「お久しぶりでございます、哀川先生」

「姓が変わられたということは、お母様の後は継がずに、御結婚なさったのですか?」

「はい。あの頃は母に言われて修行しておりましたが、残念ながら私には、依代よりしろとなる素質がなかったようで」

 女性は隣の少年に目をやり、

「息子の伸次しんじと申します」

 少年は白シャツに黒ズボンの学生姿で、ぺこりと形ばかりの会釈を見せた。今は正座しているが、慣れないらしく腰が浮いている。座敷用の低い木製椅子、いわゆる法事椅子がすぐ横にあるのを見ると、直前までそれに座っていたのだろう。

 美津江刀自が少年に言った。

「あらあら伸次君、脚を崩してちょうだい。椅子の方が楽なら、どうぞ遠慮なく。私も椅子を使わせていただくから」

 すでに吉田は、部屋の隅にあった別の座敷椅子を、美津江刀自の後ろに用意している。

 美津江刀自が腰を下ろすと、吉田が言った。

「奥様、先に私の用件を済ませてよろしいですか?」

「ええ、そろそろ警察の車が着きそうですものね」

 警察という言葉に、杉戸親子が反応を見せた。特に息子の伸次は、明らかに怯えている。

「伸次君」

 吉田が厳しい顔で言った。

「私はこの家のセキュリティーを任されている。その立場で君に訊かせてもらう。先週、君とお母さんが滞在することになった時、スマホの電源は絶対に入れないと約束したね」

 伸次は黙ってうなずいた。

 吉田は表情を和らげ、

「私は君を責めているわけじゃない。今の若い人たちが、スマホを頼りに生きていることも心得ている。ただ立場上、事実を知りたいだけなんだ。――電源を入れたのは、いつ頃?」

「……昨日の、いえ、今日の夜中です」

 母親の寬枝は唖然としている。彼女が寝ている間に、こっそり使ったのだろう。

 吉田は伸次に笑顔を見せ、

「正直に言ってくれてありがとう」

 それから山室夫妻に、

「伸次君のスマホにインストールされていたGPSがらみのアプリは、私があの時すべて無効化しました。警察は前夜の電源投入情報を直接プロバイダーから得て、即座に動いたことになります」

 民治老人が、ほう、とうなずき、

「つまり、伸治君に関わる何をどう捜査しているにしろ、早くから正式な捜査手順が踏まれていた、ということだな」

「はい」

「なら、追い返すのは簡単だ。おっつけ下に着く頃だろう。吉田君、一緒に来てくれ。篠川さんや関さんでは、今一ツブシが利かない。まして私一人では、チビすぎてナメられる」

 民治老人の冗談じみた口調に、吉田は苦笑して、

「御主人の素性を明かせば、県警の本部長だって遠慮するでしょう」

「それをしたくないから追い返すのさ。ここは大事な隠れ家だ。登記上もダミー会社の貸別荘にしてある」

 それから民治老人は、美津江刀自に、

「じゃあ、ちょっと行ってくる。後の話は、君に任せた」

「はい、行ってらっしゃい、御苦労様」


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