天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第19回

 おまえもそれでいいよな、と慎太郎が目顔で管生くだしょうに問うと、管生は、なお懐いてくるトビメの鼻先を避けながら、

「まあ、俺はあくまで御子神斎女に使われている身、その件についてどうこう言える義理ではない」

 それから美津江刀自に、

「しかし確かにこいつ、ずいぶん変わったな。昔はこんなに愛想のいい奴ではなかったぞ。下手をすると俺でも噛みつかれたものだ」

「気ままな旅暮らしが長かったせいか、すっかり毒気が抜けちゃってね」

「そもそも、いつ日本に帰った?」

「十年前の秋」

「ほう、半世紀近くも米国におった勘定か」

 美津江刀自と一緒に、トビメもうなずいた。

「きゅん、きゅん」

「それでは、あちらの流儀にかぶれても仕方なかろう。あちらの男と女は、人前でも平気で乳繰り合うと聞くからな」

「きゅん」

 興味津々でトビメを観察していた慎太郎は、米国云々の話題が気になり、美津江刀自に訊ねた。

「あの、アメリカにいたというのは……」

 伯祖母おおおばに聞いた話では、山室夫妻はずっと峰館で事業を営んでいたはずである。

「斎子ちゃんから、何か聞いてない?」

 美津江刀自の問いに、慎太郎も斎実も頭を振る。

「じゃあ、このおしゃべりな子も、あなたたちに何も言ってない?」

 管生が心外そうに、

「俺が信義を忘れると思うてか。他言無用の誓いは破らぬ」

「あのとき約束した大人たちは、もう誰も生きてないでしょうに」

「誓った相手が死に絶えたとて、俺が生きているかぎり誓いは誓いぞ」

 美津江刀自は、夫の民次老人と目を合わせ、軽くうなずき合った。

「じゃあ私たちも、他言無用の約束は守らないとね」

 それから慎太郎と斎実に、

「そんなこんなで、詳しい話はできないけれど――」

 百合と哀川教授も、興味深げに聞いている。

「前の東京オリンピック――昭和四十年の秋に開催されたオリンピックのことは、お若いあなた方でもご存知でしょう?」

 慎太郎と斎実は、はい、とうなずいた。

 本来は昭和三十九年の秋に予定されていたのだが、昨年の二度目と同じように、一年遅れで開催されたと聞いている。パンデミックのせいではなく、完成直後の国立競技場や選手村が、過激派の爆弾テロで大破したからだった。

 美津江刀自が話を続ける。

「あの頃、こちらでも色々と騒ぎがあって、後始末のためにトビメをアメリカに出張させたの。今なら私も一緒に行くところだけど、あの頃は田舎の小娘が海外に出かけるなんて、ほとんど無理な時代だったから」

 しばらく沈黙を保っていた哀川教授が、美津江刀自に言った。

「あなたは御自分の式神に、単独で太平洋を渡らせたとおっしゃるのですか?」

「ええ。そうしないと、仕事が片づかなかったものですから」

「一般的な伝承によると、いわゆる管生と呼ばれるタイプの式神は、あまり長く竹筒を離れると野に帰ってしまう――そう言われておりますが」

「そうですわね。ですから、もう手放す覚悟がないと、海を渡るほどの遠出はさせられません」

「それでも五十年後に戻ってきた――トビメさんの場合、何か例外的な要素が?」

「強いて言えば、好き嫌いが激しいところですわね」

 美津江刀自は、苦笑してトビメに目をやり、

「アメリカの食べ物に我慢できなくなった――そうよね?」

「きゅん、きゅん」

 管生は、むしろトビメに同情的な目を向け、

「俺は米国の鳥や獣を食ったことはないが、確かに白人は、食っても旨くないな。色が薄すぎるせいか、皮も肉も今一歩コクがない」

 トビメもしみじみうなずいて、

「……きゅん」

 今はどちらも愛らしい小動物姿だけに、管生たちの悪食を知っている一同は、少々困った顔になった。もっとも百合は、式神の姿や声をはっきり捉えられず、単に洋食が口に合わなかっただけと解釈したらしい。しかし哀川教授は、なぜか慎太郎と同様に苦虫を噛んだような顔で、囲炉裏端の二匹を窺っている。

「ところで、そこの哀川とやら」

 それを気取った管生が、哀川教授をまじまじと見据え、

「先程から、ずっと吾等われらが見えておろう。俺の声も聞こえておろう。術士とも思えぬが、ただの教師風情ではあるまい。おぬし、いったい何者だ?」

 警戒するより、むしろ面白がっている声だった。

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