天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第16回

 向かって右の手前に座っていた白髪の老婆が、二人に深々と頭を下げた。

「いらっしゃい。遠いところから、ほんとうにご苦労様」

 二人が旅行前に斎子から写真を見せられた老婆――山室美津江だった。

 斎実の身なりをさらに重厚にしたような、イタコの長老といった佇まいには、人間離れした孤高感が漂っている。老婆や老婦人と呼ぶより、古風に刀自とじの敬称で呼びたい風情だ。西洋人を思わせる白い肌と、ルビーのように赤い瞳も、神秘性に拍車をかけている。彼女は生来、色素欠乏症アルビノなのである。

 老婆の奥の、上座に近い椅子に座っていた小柄な老人が、柔和な笑顔で頭を下げた。

「本来、こちらから出雲に伺いたかったんだが、妻が長旅に耐えられない体なものでね。ほんとうに、わざわざありがとう」

 美津江の夫、山室民治である。生来の軽微な兎唇を、経済的な余裕ができてから整形したためか、上唇に微かな縦の傷跡が窺える。慎太郎の着衣よりやや渋い仙斎茶の作務衣姿は、偶然か、それとも御子神家に似た流儀だからか。

 そして老人夫婦の向かいの席に、学者風の中年男性が一人。

 こちらはラフな山歩き姿だが、夏用のメッシュのベストに、海外登山用品会社のロゴが刺繍されている。慎太郎のフィールドワーク姿とは、予算の桁がゼロ一つ違う。この人物が、例の大学教授なのだろう。

 他に客らしい姿はない。

 慎太郎と斎実は、入ってすぐの畳に並んで正座し、両手をついて頭を下げた。

 目を伏せたまま、斎実が口を切った。

「お初にお目にかかります。先代御子神斎女の孫娘、御上斎実と申します。本来なら先代、あるいは当代が参上するべきところ、よんどころない事情で、わたくしが代参いたしました。ご覧のとおりの未熟者ですが、次代を継ぐための修行には日々怠りなく励んでおります。今後とも、なにとぞよろしくお願い申し上げます」

 来年には正式に御子神斎女を継ぐ斎実のこと、いざとなれば、もっともらしい口上くらいは淀みなく披露できる。でなければ、商店街の地鎮祭さえこなせない。

「まあまあ、まあまあ!」

 美津江刀自の声が、いきなりハイトーンに裏返った。

「学生時代の斎子ちゃんより、ずっと大人で立派だわ。さあ、こちらにいらっしゃい。よくお顔を見せて」

 二人が顔を上げると、美津江刀自は、最前の威厳とは別状、花のような笑顔を浮かべていた。斎実の祖母と同い年だから、無論、花も実も盛りを終えて久しい。それでも慎太郎は、まるで延齢草えんれいそうの花のようだ、と思った。フィールドワークやソロキャンプの途中、しっとりとした森の奥で密やかに咲いている小さな白い花に、何度か心惹かれたことがある。

 斎実は、いつか祖母のアルバムで見た、山室夫妻の婚礼写真を思い出していた。白無垢の博多人形のような、すらりと背の高い花嫁と、その頬にようやく頭が届くくらいの、口元にまだ明瞭な兎唇の手術跡を残した、しかし一片の翳りも感じさせない頑健そうな花婿――そんな二人が幼い頃、この森で無邪気に遊んでいた姿を想像すると、ほとんどグリム童話の世界である。


 斎実と慎太郎は、今は火が熾っていない置き囲炉裏の、ちょうど空いていた手前の席に並んで座った。

 左の中年男性が、すでに顔見知りの百合に、隣にどうぞ、と手振りで伝え、山室夫妻も、そうするようにうなずく。

 そうして座が落ち着くと、中年男性は、まだ若い斎実と慎太郎に、丁重すぎるほどの会釈を見せて言った。

「部外者の私が同席するのは恐縮なんですが、古典的巫術を質実共に継承する若い方は、もう滅多におりません。ぜひお話を伺いたくて、山室さんにお願いしました。もし、あなた方がお嫌でなければ――失礼、わたくしは、こんな仕事をしております」

 堅苦しい物言いだが、けして慇懃無礼ではない。大人らしく落ち着いた微笑の奥に、むしろ幼げな好奇心が透けて見える。差し出した名刺には『奥州大学 人文学部民俗学科教授 哀川拓人』とあった。

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